見出し画像

徳を積む、その本質的な意味とは?

徳を積む、という事が「循環」という自分的な言葉にフィットしてきていて、最近はより分かった。どうしても人は「欲や自分という我」を表面に出していく事での見返りや分かりやすい廻っていくもの、に固執したくなるのだけれど、それのエネルギーは尖り、先鋭になるけれどその分細り、そもそも母体の「私」の負担もまた増えている。自然界には直線が無いように、そもそもの存在として生きている自分らにも同じ事が言えて、円、丸み、ご縁、という廻り廻っている事の前提を捻じ曲げないと、表面的には分からなかった「徳というエネルギー」がちゃんと廻り廻っていく、そこを最近話す【待つ・味わう】が出来る、という部分にも繋がっている。
 
自分が成し遂げた、
ではないそもそもの前提を
いかにちゃんと観れて受け止められるか、
これからの生き方には、
とても大事と思う。
 
個人セッション・Instagram PRサポート等
https://kennyfromheart.wixsite.com/ken-natsui/services-3

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?