見出し画像

意見の違いが生むもの

意見の違いを位置エネルギーだと考えてみるといい。
そのエネルギーが極限まで高まっているとき、人は触れて痛い目にあいたくないから、距離を置く。
しかし、そのエネルギーは程よく溜まっている場合、とても役立つものになり得る。活動や創造の原動力となり得るのだ。

引用元:なぜこの人はわかってくれないのか―対立を超える会話の技術
ジェイソン・ジェイ
http://amzn.asia/dIBO9bA

家庭・学校・職場などで、意見の違いを経験する機会はどのくらいあるだろうか?
私個人の経験で言うと、家族の意見の違いは日常茶飯事だった。両親の間での違いもそうだし、両親と私の間もそうだし、兄弟の間でも。意見の違いは割と普通のことだと捉えていたような記憶がある。

意見の違いを位置エネルギーだと考える、と言うのがどんな風なのかはわからないが、意見を通したい気持ちをエネルギー量で捉えるとするなら、なんとなくわかる。
家族での意見の違いはさほどエネルギー量は高くない感じだったと思う。だけど、それぞれが常に意見を出し合っている感じ。それは違う!とか言いつつも、出し合うことに関して誰かがダメだと言ったりした記憶がない。

一方、学校や職場ではどうか?特に学生時代は意見の違いはタブー視される傾向にあった気がする。学級会なる会議で何かを決める時には多数決が定番だった。
今、自分の子供の通う小学校では、多数決はやらない。異なる意見を出し合って、その理由を出し合う。可能なら両方の意見を実現することを検討し、無理なら、異なる意見のどちらかができない理由が納得できるところまで出し合う。

最初この方法でやることを知った時、
「時間かかりそう」「決まらないんじゃない?」
と言う気持ちが湧いてきた。
実際にやっている子供たちの声を聞くと、そうでもなく、時間内に決められているし、時間がオーバーしても最終的には決められているようだ。

意見の違いを出し合う場が私にとっても、子供たちにとっても日常茶飯事である一方、一般的にはそうでもないのだと言うこともわかる。

開放的な、真の意味で「安心」できる職場環境
しかし、私たちは恐れの奥の奥、最も根本的なレベルでは、全体性(ホールネス)を心から望んでない止まない。バラバラになった自分自身を統合して自分らしさをすべて出し、魂の真実を尊びたいのだ。
中略
自分そのものを誰からも見えるように差し出すと、私たち自身の最も大切な部分が非難やあざけり、拒絶にあうかもしれないからだ。

引用元:ティール組織 ― マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー
http://amzn.asia/21g2hNN

意見の違いが起こるとき、まさに自分自身の価値観を出し合う、そんな瞬間だと思う。そうやって価値観を出し合うからこそ、活動や創造の原動力となり得るのではないだろうか。

最初に出した私の家族の例は、表面的な意見を出し合っているに過ぎなかったのだと思う。少なくとも意見の違いが活動や創造の原動力にはなっていなかった。しかし、一方で意見を出し合ってもいいのだという雰囲気、受け取ってもらえる雰囲気はあったと思う。
一方、子供たちの学校での意見のどうか?出し合ってもいいという雰囲気もあったし、ルールがあるからこそ思っていることをしっかり出せている感じもあった。意見の違いが活動や創造の原動力になっているのか?と言われるとそれもちょっと微妙かもしれない。それと、やっぱり出せないけどきっと意見を持っているだろうな、という子はいて、それは言語化できてないのか、やっぱり言う勇気がないのか、までは特定できない。

ルールがあっても雰囲気があっても、意見を出し合えない。そう言うことは結構多いと思う。じゃあどんなことが必要なのか、これから、このテーマについて考えながら書いていきたいと思う。

#組織開発 #ティール組織 #なぜこの人はわかってくれないのか #チームビルディング #職場環境改善

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?