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「安楽死で死なせて下さい」読書感想文

2018/2/2 はてなブログ自記事より

こんにちは。あすぺるがーるです。

連日の寒波により、今日もまた雪が降っているようですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。


母に頼まれたお使いのあと、浮かない気持ちを晴らそうと本屋を散策していた私の目に、こんな本が飛び込んできました。


元々安楽死については興味があったものの、なかなか安楽死について知ったり話したりする機会がなかったので、これを機にと思って買いました。


第1章には橋田さんが「安楽死で死にたい」と思うに至った、自身の半生について書かれてました。

戦時中に学徒動員で働いた経験は、それだけで読む価値のあるものだと思います。

「戦争中のあの頃を思えば、どんな逆境でも怖くありません。だから死ぬことだって怖くないんです」

そう言い切れることのできる橋田さんのたくましさや、戦時中を生き抜いてきたことに、ただただ驚異の念を感じます。

もし私だったら、戦争が始まって1年もしないうちに自殺していたことでしょう。


それ以降は、橋田さんの安楽死に関する考え以外にも、死そのものについての考え方、安楽死と社会との関係性が書かれていました。


安楽死を論じる前提として、橋田さんは以下のように述べていました。

しかし、こうした理由をもとに、「安楽死を認めるべきだ」という議論をするのはよくないことです。「高齢者の社会保障費や医療費を削減するため、安楽死を認めよ」という主張は、「姥捨て」に繋がってしまうからです。

(中略)自分の考えを人さまに勧めるつもりなど、私には毛頭ありません。自分自身の尊厳やプライドを守るためであって、「国のお金で病院に行っちゃいけない。みんなで安楽死しましょう」と主張するつもりなどないのです。

そもそも、「これ以上生きていても仕方ない」というのは、あくまで私個人の思いです。まわりの人や社会から押し付けられたものではないし、まわりの人や社会が誰かにそんな判断を押し付けるなど、決してあってはならないことです。(P.126) 

安楽死の意思を示してない人は、認知症の老人だろうと障害者だろうと、生きる権利を大切にされなければいけません。(中略)どんな境遇であろうと幸せに暮らしている人の命を、奪ったり縮める権利など誰にもありません。(P.173)

私は、この観点は安楽死を論じるうえで最も大切にしなくてはいけない理念の一つだと思います。

死ぬ権利を認めることによって、生きる権利が否定されてはならないのです。



そして、生きる権利は当人が生きたいと思っている限りにおいては、貧しかろうと障害者だろうと侵害されてはならないと、私も思います。



この他にも、日本で安楽死が認められていないために起きてしまった事件や、安楽死を合法化した海外での事例、制度化の構想や制度化にあたっての問題点が、丁寧に論じられています。


端々に入る橋田さんの脚本家としてのエピソードは、橋田さんのドラマが好きな方には興味深いものでしょう。

(私は全く興味がないですが…)


本文は橋田さんと同世代のご高齢な方々を読者層として書かれているとはいえ、橋田さんは若いうちから安楽死について考えておくべきだと主張しています。

実際、小見出しにも「二十歳の誕生日に、死について考えよう」というのがあります。



二十歳…ちょうど私の年じゃん。



とにかく、「安楽死」というワードにピンときた方は読むことをオススメします。

#推薦図書 #安楽死 #安楽死合法化 #高齢者 #高齢化社会 #死ぬ権利 #生きる権利 #QOL #橋田壽賀子

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