「数学」 につまずき夢を諦めた話
かつて私は、理系志望でした。
ヒトを含め生き物が好きだったので、大学でも生き物について研究するつもりでした。
数学は算数だったころからずっと苦手だったけれど、勉強していればいつかできるようになると信じていました。
あの時までは──
過酷な授業
国立理系クラスの数学の授業は、猛スピードで進んでいきました。
高校2年生の2学期までに数Ⅱ・Bの範囲を完全に終わらせ、3学期には数Ⅲの学習を開始し、さらに入試問題の演習も開始する。
それが当時の数学の主任の目標でした。
私は、一つのものごとの対処にたくさんの時間を使う方です。
数式記号の認識。
数式の書き写し。
板書の、一部省略された計算式の理解。
(大量の) イージーミスに、未然に気づくこと。
文字の大きさに気を遣いつつ問題を解くこと。
これらを他の生徒と同じスピードでこなすことは、発達障害の特性上、私には不可能なことでした。
その結果、授業が進むにつれ、私は授業についていけなくなっていきました。
理系を諦めきれなかった理由
それでもしばらくは、私はいつか数学ができるようになると信じていました。
小学校の頃からの夢だった生き物について学ぶことを、そう容易く諦めるつもりはありませんでした。
最初のうちは、苦手ながらも公式の意味は理解できてました。
そのため、1対1で学べる個別塾で先生にミスを指摘してもらえば、多くの時間を要しながらも微積の問題を最後まで解くこともできました。
しかし、高校2年生の2学期の後半になってくると、公式の意味さえ覚えられなくなりました。
合理的配慮を求めるも…
母は数学の主任に、合理的配慮を求めることを勧めました。
希望する配慮の内容は、私専用の計算余白の大きいプリントを作ってもらうことと、PCによる板書の許可です。
私は、途中式を略して書くと本来できるはずの計算も間違えてしまいます。
この計算で例えると、
私には、これだけの途中式を書き記すことが必要です。
しかし、授業用に配布されたプリントには、
これだけの計算式を書く分のスペースしかなかったうえに、先生もこのようにしか書かないのです。
もちろん実際は、これよりもはるかに複雑で過程の多い計算をやっていました。
そのため、より一層丁寧に書かないとわけが分からなくなってしまいます。
そしてもう1つ、私は早く文字を書こうとすればするほど、字が大きくなってしまいます。
小さく素早く丁寧に数式を書くことはできないのです。
そのため、
数式をたくさん書けるように、余白の大きいプリントを用意する。
より早く書けるように、PCで板書することを許可する。
このいずれかを行ってもらえるように私の口からお願いしたのですが、先生には断られてしまいました。
私自身、受験生の相手をする先生が忙しいのは分かっていて配慮を求めるのには抵抗がありました。
あの時は、母に言われて無理やり配慮をお願いした、というのが正直な本音です。
泣き暮らす日々の中
合理的配慮を受けられなかった私にとって、数学の時間はどんどん苦痛なものになっていきました。
数学の中間テスト中に大泣きし、トイレに引きこもって担任の先生を心配させたことも…
学校に早く来ても、登校から朝読書開始のチャイムが鳴るまで、トイレの蓋に伏せて泣き続けていた記憶があります。
こんな日々が続く中、私はこう思うようになりました。
「理系なんて辞めてしまおう」
そして私は文転を決意しました。
親の意見など、聞く余地もありませんでした。
さいごに
もし、合理的配慮がなされていたら。
今ごろ私は、夢だった生き物の研究をしていたかもしれない。
進路のことで、泣くほど苦しむ必要もなかったかもしれない。
今さら、そんな自分は想像できないけど──
同じような苦しみを味わう人が、二度といなくなることを願って、この文章を終わりにしたいと思います。
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