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【マネジメント】褒めるって本当に正しい?

まず初めに褒めるということを否定しているわけではありません。

褒めさえしてれば良いの?という感じです。

20年前に人材開発部長をやっていたときに研修会社の方達がしきりに日本人が出来ていないのは褒めるなんです。ということをしきりに言っていたことを最近のSNSなどを見ていると思い出します。

褒められたいと思う根本原因は孤立感からきていると思うのです。

エーリッヒ・フロムが「愛するということ」という本の中で述べていますが、人間が最も恐ろしいと思うものは孤立感だと述べています。人間の歴史は孤立化からの脱却の歴史であるとも言っています。

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上記の図のように人間はどこかに居場所を求めています。3つの場所に居場所がある人は幸せな人ということができるでしょう。

人間が孤立感に敏感に反応する動物なんだと思う瞬間は、例えば、友人同志で遊びに行くというときに自分だけ誘われない。とか、カフェでお茶を飲んでいるときに私の方を見てヒソヒソ話をされているように思う。SNSで発信してもまったく反応がない。などはすべて孤立感がもたらす現象なのです。

孤立感から脱却するひとつの手段として、褒めるということがあるのかもしれません。しかし、原理から考えると孤立化をどう防ぐかということが根本問題であるにもかかわらず、どうして手段ばかりに話がいくのかなのです。

フロムが述べるように人間の歴史が孤立化の歴史であれば、日本の歴史もそれを解決するために注力してきた歴史とも考えられます。

季節毎にお祭りがあり、町内での集まりがあります。お祭りに参加する人は一瞬ですが、それを準備する人たちは何ヶ月もかかって準備したりするわけです。忙しい合間をぬって時間を作り、準備をするという「面倒」という代償の代わりに孤立化から脱却できていたわです。島国と揶揄されますが、実は孤立化から解放するための術を色々と持っていたのです。

しかし、自分の自由な時間も欲しい、地域との付き合いは面倒だという行動が結果的に地域のコミュニティを崩壊させ自分自身では気づかないうちに自分で自分を孤立化に追いやっているのかもしれません。自分は大丈夫、強い人間だと思っている人ほど。。。

なので、自分でどうしようもなくなったときにハタと気づいて何かにすがることになっていく、でもその時には自分自身で根本原因がどこにあるかが理解できていなから怪しい誘いに乗ってしまう。そんな気がしています。

ここで本題に戻るわけですが、褒めるというのは手段だということです。

認知欲求を満たすということであれば、他に手段はいくらでもあるはずです。人は認めて欲しい生き物ですから。それは、孤立がこわいから心理的に安全な状態を求めていると思うのです。

ところが、ここが心理学を学んだ人の悪いところで、すぐに相手を心理操作したがるわけです。相手の心にうまく入っていこうとします。

私から言えば、人は尊敬に基礎を置くべき(人間性尊重)なので、これができていれば、人種問題、ジェンダー問題、宗教問題などすべてが解決するのです。

また、人間性を磨くということが最も重要になってきます。

褒めるという行為は、日本の文化で言えば、親が子供に褒めるはありますが、子供が親に褒めるのは???ですね。部下や後輩が上司や先輩を褒めるというのは、「おちょくっているのか?」となるわけです。正しくは、褒めるではなく認めるということの方がしっくりときます。「先輩の行動には頭が下がります。」となる方がしっくりときます。

もっと高度な関係は、実は、態度で見せるというとなんですね。

これが欧米人には、暗黙知として不明瞭な文脈になるものですから否定されるわけですが、実は人間性としてはこの方がレベルが高いわけです。

世の中の状況的に衛生面の話があるので今はできませんが、私が知っているある企業の役員の方が私の前を歩かれていて目の前にゴミが落ちていると、黙って拾ってご自分のポケットにスッと入れている。皆さん、ちゃんと見ていて自分自身はできないなぁと思われているわけです。

しかし、ここで褒めるという言葉など出てきません。その方は説教もしません。

無言なのです。

ただし、これは日本だけではなく、最近、海外の欧米人の方でもリーンの世界では同じ価値観を持ち行動されているのを見ます。

本質を捉えて、目的と手段を見間違わないようにしたいものです。







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