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「新しい出会い」中毒


最近、「知らない人と会って話す」というのが自分のライフワークみたいになっていることに気づいた。

振り返れば、東京で一人暮らしを始めた18の頃から、私は「全くの知らない人」とサシで会い続けている。

夜職もそうだし、昼の本業もそうだ。
その日初めて出会う人と、1対1で、約1時間をワンセットとして、お話をする。

夜の仕事は延長があるので、人によっては3時間、4時間話すこともあるが、
やはり勝負は1時間くらいで決まってしまう。

そこまでが私の集中力の持つ限界であり、逆にそこまでに関係を築けたらあとは多少力を抜いてもなんとかなるものだ。

とにかく、私は昼夜問わず、公私問わず、「知らない人と会って話す」をひたすら何千回と繰り返してきたことになる。10年以上20年未満。

いや、この際きちんと計算してみよう。大体の数を。年数をかけて。

→計算してみると、ざっと8000回〜10000回の間のどこかということになる。リピーターも多いから、その回数は少なくとも1万回は超えているはずだ。

以前本か何かで、何事も1万時間かけるとある領域に達するみたいなことを聞いたことがあるが、私もそういう意味では既に何かしらの領域には達しているのかもしれない。

***

夜のお店にはもう出ないと決めた(今も籍は置いてあると社長は言うが)。

だから夜職は卒業したわけだが、今でも暇な時間を持て余すと、興味を惹かれた「知らない人」と会う機会を作っている。

最高のパートナーも見つけて、夜職の必要性からも解放されて、昼も仕事で人の話聞いて、それでなんでわざわざ知らない人と出会って話す必要があるわけ?頭おかしいんじゃないの?と思われるだろうが、私もそう思う。

自分の頭がおかしいことは結構前から知っているので特に驚きはない。

私はたぶん好きなのだ。知らない人と出会うことが。仕事とかプライベートとか、金銭が発生するしない関係なく。
その行為、その時間、その体験が好きなのだ。

最初は全然うまくいかなくて、怖くて、緊張して、無様に失敗ばかりしていた。
でも、いつの間にかコツを掴んでいき、面白くなってきて、やりがいを感じて、その行為に価値を見出すようになったんだと思う。

その人が面白い人間かどうかは、その人がどんな経験をどれくらい豊かにしてきたかによって決まる。

私の場合は、人に会うという経験が特化していると思う。それがいまや私のアイデンティティの一部になっている。
だからそういう経験の機会を、今もこうして自ら作り続けているのだと思う。


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知らない人と会うのは楽しい。

それまで生きてきた「その人」の歴史が、経験が、叡智が、今この瞬間に目の前に立ち現れてくる。
その人の言葉、呼吸の仕方、仕草、瞳の動きを、ひとつひとつ、じっくりとみる。全ての集中力を使って目の前のその人をみる。きく。感じとる。

この人は物事をどう捉えているか。人生をどう生きているか。他人をどう見ているか。
どれくらい誠実で、どれくらい勝手で、どれくらい快楽主義で、悲観的なのか。

これまでどんな風に他者と関わってきて、どんな対人理解が身についているか。
知能水準、ソーシャルスキル、育ちの良し悪し、思い遣りの程度、異性経験の量と質。
仕事ができるかどうか。内向的か、外交的か、警戒心、好奇心はどの程度か。

1時間もあれば十分だ。

その人の人生と、私の人生とが初めて交差し、新たな“かかわり”が生まれる。
刺激し合い、共鳴し合い、理解し合う。

ユクスキュルという生物学者が提唱した環世界という概念があるが、
まさに我々は、互いに出会うその瞬間、環世界を触れ合わせて、新しい世界の見方を獲得し合っていることになる。

ある人は私を拒絶し、ある人は私を求める。
ある人を私は好意的に思い、ある人からはネガティブなものを受け取る。

どんな出会いも、一見ネガティブで時間の無駄にしか思えない出会いも、必ず何かを教えてくれる。

先日読んだ松浦弥太郎さんの本の中に、

「どんな人も先生になりうる あなたに何かを教えてくれる ただその人が何を教えてくれる先生なのかは、あなたが見つけなくてはならない」

みたいなことが書いてあって、面白いなあその通りだなあと思った。

***

といっても、いい出会い、自分の価値観を震わす出会いというのは100人に1人、1000人に1人くらいの確率でしか起こらない。

人生の時間は有限なので、私は誰とでも1時間を共にするわけではないし、時間を共にする人は厳選する。厳選しても一度会えば十分という人もいる。

と、ここまでちょっと抽象的な話が続いてしまった。具体的な話がないとつまらないと思うので、最近出会った面白い人を3人ご紹介したい。

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