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可能性の天井

電車の移動時間が片道20分でその時間で最近見始めた。
先日、Tedトークで「他に例を見ない最高の幼稚園」というテーマがあって即決で視聴。よかったのでシェアハピ。

内容は面白い形をした幼稚園について。その幼稚園は園舎の形をドーナツ型に設計されていて、とってもユニーク。

名前は「ふじようちえん」

結論から書くと、
危ないからやめなさいと過保護じゃなくて、やらしてみてその行動の結果がどうなるのか本人が気付き学ぶこと。この視点が重要って気づかされた。

うん、体験からの学びを大切にしているって園長先生も言ってて体現してる。

最近、小学校の先生をしている友人との会話で、何を知るにも安全に配慮しなければならないけど、なんだか過剰に感じることもあるって言ってたのを思い出した。

これはほんまに難しい点ではある、もし何かあれば管理責任を問われるのは学校側・教員だから。
しかし、教育現場素人の僕から一つワンポイントアドバイスしたい。

人間だって自然に生かされている生物ってこと、動物だってこと。

では、動物が危険や身の安全を学ぶ方法は何か。

親が危ないことを教えるのではなく、自ら、危険に遭って痛みを知ることで学ぶと思う。 自分で何が危険か身を持って味わう。

では、人間は? 

危険なところには行ってはいけない。怪我をするからやめなさい。
そもそも怪我や危ない可能性を作らなければいい。
危ない物は撤去しよう。 もし万が一の事があったらいけないからやる事を制限しよう。

これは、危険に遭遇できているか?身を持って危険を経験できるのか?

危険因子を排除して、子供たちの身の安全を守るのは素晴らしい事で、安全第一な環境が約束されているのが親の気持ちからしても大事。

ただ、ただし、
僕が思うに、やりすぎ保護は身の危険から守る事が行きすぎて、自ら未知に飛び込み、学ぶ機会を無くしてしまうんじゃないかと感じている。

視点を広げると生存競争、不確定な社会で生き抜く力すら奪うことになる。

自分の身を以て感じる体験からの学びを大人が奪っちゃうのって本末転倒じゃないか?

強制させず、抑制させず。
まずは、やらせてみる。好きに自由に。これで学んでいく。

初めから制限してしまうと、その制限の中でしかできなくなるし、できること、挑戦することの度合いを決めつけるのは可能性を狭めることにつながる。可能性の天井を、守ってあげる義務で決めつけないように。

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まとめると、

見る前に、飛べ。
考えるのは、その後。


以上、僕のホスピタリティを120%にしてもまだまだ子を持つ親の気持ちは理解できそうにない状態での魂からのアドバイスでした!!!








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