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後輩育成で気付いた、助けてあげることは人をのためにならないって話。

私は社会人10年目ですが、そのうちほとんどの時間で人材育成をやってきました。


私の所属する会社は業界では古株なのですが、今いる部署自体は新しい。

なので、毎月のように人がどんどん入ってきます。


特に、私は今の会社が立ち上がった頃からいるので、かなりのお局。

そのせいで、願わずしてずっと「教える側」にいます。

最初はやりたくてやったわけではなかった育成だけど、このおかげで「人の成長に向き合うことが好き」という価値観に気付かされたので、人生ってなんとも数奇なもんだ。


そんな私の育成スタイルは、周りからすると「手厚い」らしくて。

気付けば「伸び悩んでる子を見てもらうならこの人」みたいなポジショニングになってしまっています。

繰り返しになりますが、狙ったわけではないんだけども。根本的に、おせっかいなんですよね。


私も、まわりから「手厚い」「育成なら博美さん」と言ってもらえるので、ちょっとイイ気になっていたのですが。

先日、ちょっと考えさせられることが起きまして。


教えている後輩がミスしてしまい、社内の人から指摘される場面がありました。

私、そういうときは「謝るの怖いだろうなー、私がカバーしてあげよ!」って思って、一緒に謝りにいったりしてたんです、いつも。


でも、今回、私が間に入ったら余計ややこしくなってしまってですね・・・。

結果、「博美さんじゃなくて本人に聞いてるんです」って余計に怒られるという事態に。


でも、このことで、気付いたことがあったんです。

「私はこの子のことを信頼してなかった」なぁ、と。


私は、「怒られたら凹むだろうな。辛いだろうな。」って思ってしまって、間に入ってた。


でも、本来、人間は、どんな辛いことがあっても立ち上がれるはずなんですよね。


本当は、そういう力が必ず人間にはあるはずなのに、私の中には「この子は乗り越えられないかもしれない」という気持ちがあった。

まるで、過保護な親みたい。


人は、そうやっていろんなことを乗り越えて、学んでいくはずなのに、私はその機会を奪ってしまっていたなと。

むしろ、余計にややこしくしてしまったし。


その人のことを大事に思っているつもりでも、それって本当に思っていることにならない。

本当に大事なら、その人のことを思っているなら、「この子なら立ち上がるから大丈夫!」って見守るべきですよね。


だって、人生で起きることには、必ずすべて意味があるんだから。

勝手にその人の機会を奪うなんて、誰の為にもならないよ。


「この子なら大丈夫!」

そう思って、見守れるようになろうと思った次第です。

私のムダな気遣い時間も減るからラクになるしね。笑

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