「ひよっこ」みね子を応援する訳 理不尽を耐え忍ぶ姿に自らを投影、幸せな結末を信じたい

 あえて好きな彼のため、身を引く--NHK連続テレビ小説「ひよっこ」で7月24日、微笑ましいお付き合いを続けてきた、主人公みね子(有村架純)と、大学生の島谷(竹内涼真)が、さよならをした。号泣したファンも多いだろう。我慢することが当たり前だった時代とはいえ、みね子は次々と、自分ではどうにもならない理不尽に見舞われ続け、耐え忍んできた。父の失踪、工場の倒産、そして今回は初めての恋人との別れ。みね子ファンは、不条理に屈せず必死に生きる彼女に、自らの姿を重ねて見てしまうのだろう。最後には幸せになれると信じたい。だから、みね子から目が離せないのだ。

 洋食店の店員みね子と、大学で経済学を学ぶ島谷は同じアパートの住人。将来は祖父や父の経営する会社を継ぎたいと語る島谷を、みね子は、世界が違うとどこかで遠慮しながらも、まぶしく思っていた。不器用な二人がようやく両想いに気付き、付き合い始めたのもつかの間、九州から島谷の父が上京。経営する製薬会社が傾き、会社を助けるために提携先の会社の娘と結婚しろと告げる。

 話し合うために会ったバーのカウンターで島谷は、みね子に実家との縁を切るつもりだと告げる。うれしいのだが、みね子は、あえて厳しい言葉で突き放す。親を捨てられるような「そんな人は嫌いです」と言い、縁談を受けるべきだと背中を押す。島谷は最後に「素敵な人を好きになれてよかった」と言い残して去っていく。

 そのまま日付が変わって20歳の誕生日を迎えたみね子は、探しに来た親友の前で号泣する。別れたことの悲しさではなく、彼にひどいことを言って傷つけてしまったという申し訳なさを訴えて。

 みね子の涙も、自分のためではなく、あくまで彼のためというのが、いじらしい。こんなにも純粋で善良なみね子が、どうしてこうも理不尽な目に逢うのかと、ファンたちはテレビの前で憤り、一緒に号泣したことだろう。恋愛ではなくても、かつて自分も「どうしようもなくて、諦めた」体験を思い起こして、切ない気持ちになった人も多いに違いない。

 昭和のあの頃は、様々な制約や規制があり、我慢することが当たり前だった。とはいえ、みね子を襲う不幸はどれも重い。父の失踪で一家は大黒柱を失い、集団就職した工場の倒産で東京での居場所と職を失い、そして今回は、恋人の親の決めた縁談によって初恋を失った。何も悪いことはしていないのに、ただ一生懸命、まじめに生きてきただけなのに、奪われるばかりだ。

 いずれも、みね子に落ち度はない。自分のせいではない、どうしようもない外部の事情に翻弄され続ける。自分で自分の運命を切り開いて行くこれまでの朝ドラのヒロインとは違い、自分によってではない事情に巻き込まれ続けるみね子。それでも、ひねず、腐らず、まっすぐ素直に生きるみね子。彼女の正直で真摯な生きざまに、皆が自分を重ね合わせて応援するのだろう。

 現代は、自分の力ではどうにもならない不条理に見舞われることの多い時代だ。どれだけ頑張っても、それが報いられることの方が少ない。不景気で会社ではリストラが行われ、給料は減らされ、仕事量は増え、ストレスを抱える。大人も子供も居場所がない。そんな自分の生きづらさを、理不尽を耐え忍ぶみね子の姿に重ねる。だから彼女が明るく元気に、健全な精神で、地味に地道に日々をこつこつと生き続ける姿に、励まされる人が多いのだろう。日本ではかつて、今よりももっと耐え忍んだ時代があった、と自らに言い聞かせながら。

 だからこそ、最後は必ず幸せになってほしいと願うのだ。みね子の幸せは自分の幸せ。神様は努力する者を見捨てない、と思いたい。名もなき市井の人々にも、腐らずにまじめに生きた日々に値するだけの幸せが、訪れることを見せてほしい。その体現者として、みね子に幸せになってほしいのだ。

 彼女が幸せになるその日まで。まだまだ、みね子から目が離せない。

(2017・07・24、元沢賀南子執筆)

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