探究のスタンスがあれば心はラクになる
はじめに(いつも書いてること)
このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。
※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。
今回の内容
僕の特徴・・・何かについて調べる時、とにかく様々な情報を調べまくる。
これは中学時代からのクセな気がしてます。
当時から、どんなに小さな疑問も逃さずに、納得して理解するまで勉強をしていました。
小さな疑問も逃さず、納得して理解するまでやる。
これを実行していたのは、自分の言葉として誰かに伝えたり、自分の答えとしてテストで回答したりしないと、なんか嫌だったからです。
理解してないのに、「教科書に書いてあるからそうなんだよ」って誰かに伝えるのは嫌だし、「教科書に載っているから」とか「先生が言っているから」とかは、答えを導いた理由にならないというのが自論でした。
自分が理解した上で、自分の言葉で説明できる状態にならなければ、僕の勉強は完了しません。
中学、高校、大学、大学院と、どのフェーズにおいてもそのスタンスは変わりませんでした。
そして、社会人として働いている今もです。
このスタンスは、『探究』という言葉で表されるかなって思っています。
そして、この『探究』ですが、高校教育に導入されているようです。
『①課題の発見→②情報収集→③整理・分析→④まとめ・表現』の流れって、ビジネスパーソンのスキルやスタンスとして求められていることだと思うので、とても良いなと感じます。
さらに・・・
このような教育を受けた高校生が出てきて、各々の進路選択を経て、社会人として世に出てくるわけです。
僕が今、人材開発に携わっていて感じるのは、『探究』を日常的にできる人が少ないということ。
当たり前のように探究をやっていける人材が社会や会社で増えてきて、当たり前のよう探究ができない人たちと共に働くことになっていくわけです。
仮に、探究を当たり前にできる人が部下で、探究を当たり前にできない人が上司というのが最初の関係性だったら、その上司の部下たちは上司と仕事への向き合い方が合わずに、早期離職するかもしれません。
以下の内容を読むと、『探究』を追求していくだけで、自立して自律して自走できる人材を育成していける気がします。
探究することが当たり前になっていない人が何をやっていけばいいかというと、すごくシンプルですが、「日常に疑問を持ち、その疑問に対してとことん深掘りをすること」だと思っています。
「なぜ?」の思考を持って、常に自分に問い続けるんです。
全てはここから始まる気がします。
そして、スタンスとしてとても大切なのは、自分の行動や発言に責任を持つことだと思います。
「何かに書かれているから」とか「誰かが言っていたから」という理由づけをしている人は、最終的な責任のありかを自分に置いていない可能性があります。
「だって、そう言われたんだもん」
「だって、そう書いてあったんだもん」
こんな無責任な人とは、誰も一緒に仕事をしたくありません。
自分の言葉で、自分の意見として何かを言えるようになることが大切なんだと思います。
「誰かに言われたからやった」じゃなくて、自分の意思決定として何かを実行できれば、誰かに依存することなく自分の言動をコントロールできるので、心はラクになっていきます。
感謝
今回も、読んでいただきありがとうございました。
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