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何をしてもいいのに何もできない理由

以前、両親から教えてほしかったこと、について姉と話したことがあります。
ごく普通の家庭で、これといった不自由は無く育ちましたが、
贅沢を言うなら、こんなことを両親から教えてほしかった。
それは、職業についてでした。

世の中にはこんなにたくさんの職業があって、それぞれの職業になるための方法も数え切れないほどあって、その選択肢の例などを、少しでも教えてもらえたらよかった、と思いました。

高校卒業前に、私が両親に音楽関係の仕事に就きたいかもしれない
(実際にはまったく違う職業に就きました)

とこぼしたとき、母は

「お母さんはまったくわからないわ」と父に助けを求め、

父は
「そんな仕事・・・」
と言葉を濁しました。

自分の知っている世界をかすってもいなかったので、
要するにまったくわからなかったんでしょう。

もちろん大人だって、わからないことだらけなのは当然なのですが、
少しくらい調べてくれてもよかったのに、と今は思います。

大人なら、高校生よりはまともな情報源へのアクセスがあって当然だと思うのですが、彼らにはそれも、想像つかなかったんでしょう。

それはおそらく、時代のせいだと思います。

昭和20年代生まれの彼らにしたら、仕事に就けるだけで御の字で
仕事を選り好みするなんて贅沢だったんだと思います。
一度会社に入ったら定年まで勤め上げることが何より素晴らしいことで、
『石の上にも三年』どころではありません。

そんな彼らにとって、私たちの世代の職業選びは理解できないもので、
そのためにサポートする方法もわからなかったんでしょう。
なので今は、彼らを責める気持ちはありません。

でも私は、これからどうなるか想像もつかない20年後、
自分の子供が仕事を選ぶ段階で、少しでも手助けができたらいいな、とは思います。

父や母の時代と比べて、爆発的に増えたもの、

それは選択肢だと思います。

ですがその増え方が急激過ぎて、選択肢の多さに対して知識が追いつかないために、結局大半の人は、これまでの従来の選択しにしがみつかざるを得ない、
というのが今の状態に思えます。

たとえば今の時代、ここまでインターネットやパソコンが普及して、
その技術も日々進化していて、職業の種類も無数にある中、
サラリーマンとして会社に就職しなくても実際に食べていく方法はいくらでもあると思います。

ですがその方法がわからず、そしてその方法の探し方もわからないために、
いまだに大多数の人が従来の方法に従い、
大学を卒業した後に就職して、サラリーマンとして月々の報酬を受け取り、
その中から支払いをして、貯金をして、後に定年、というレールに乗っています。
私もそのひとりです。

転職といっても、ひとつの会社から別の会社に移ることが転職で、
働くスタイルそのものを見直す人は少数です。

毎日は選択の連続です。

雨が降った朝は歩いて行くか、バスで行くかを選び、
コンビニで缶コーヒーにするかジュースにするかを選び、
お昼ごはんのお店をイタリアンにするか定食屋さんにするか選び、
仕事の後に飲みに行くか、ひとりで買い物するかを選びます。

大きな選択も、数限りなくあります。

結婚するか、しないか。
子供を持つか、持たないか。
離婚するか、しないか。
引っ越すか、引っ越さないか。
東京に住むか、地方に住むか。
大学受験をするか、海外留学をするか。
会社に勤めるか、起業するか。

どんな状態に人の目の前にも、選択肢は無数に用意されていて、
無意識、もしはく意識的に日々何かを選択して生きています。
何を選ぶかは、それぞれの自由です。

ですが私が思うのは、その今の選択肢の多さに対して、知識が足り無すぎる、ということです。

選択肢と同じくらい、たくさんの情報もあります。
ですが正しい、自分が必要としている情報を選び取るためにも、知識が必要です。

自分も含めて、毎日選択することで精一杯で、本当に自分が求めているものを選択できているか、と言われると疑問です。
選択する頻度と、選択肢の多さに、正直うんざりもしています。
そのため、適当に選んでいることがほとんどです。

それもすべて、知識不足のせいだと思います。

戦後からほとんど変わっていない学校教育にも変化が求められるところではありますが、すでに学生を卒業してしまっている私たちにとっては
自らを教育することが、自分の求めている人生を切り開くことにもつながる、そんな時代なんだと思います。

なのでまずは何ができるかというと、簡単なところで言うと、私はやはり

『信用性の高い情報を、知識として積み重ねる』

というところから始めています。

私はまだ、インターネットなどの無料の情報を、ひとりで精査できる自信がありません。
なのでひとまずは、有料で、出所の知れている情報をひと通り仕入れ、
自分で消化して血肉にしながら、選択肢の大海原を泳ぎきろうとしています。

情報は、人が発信している時点で少なからず偏るものです。
でもその偏りも、誰のものなのかがわかっていれば、客観的にひとつの意見として聞くことができるからです。

なので今の時代、質の良い情報に触れることが先決だと思います。

誰が言っているかわからない、過激なだけの匿名の意見や
何かを買わせるためだけに作れた広告だけにさらされていると
何かを選ばされているだけ、な気がするんですが、いかがでしょうか。

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Blog: workingmothersurvival.com/

ありがとうございます。今後の活動の原資にさせていただきます。