自己紹介の続き 1 : あたしについて。ロンドンと日本で何をしていたのか。

先日noteで出した、自己紹介の続きです。

生まれてから最近に到るまでの履歴を現在から過去へ遡って説明をしています。

さて、カソリックの私立高校に通う前は、あたしは何をしていたのか。。。

Teen 真っ盛り、身体の変化が脳に影響する、そんな変化真っ只中の中学生:

この時期はとっても大きな変化がありました。13歳の時に何かのきっかけで、アンネの日記に出会った頃。幼い頃から敏感だったあたしは、この本を読んだ時にとても感銘を受け、周りに友達は結構いたけど、心の友というのはどう言う事なのだろうかと、いつも探求していました。(この事は、この数年で、解明されたからよかった。) これらの事がきっかけで、毎日日記を書くようになってて、なんでもいいから、書き始めればいいと思ってました。感情を言葉にして表現するのがいつも課題だった自分だったので、これは、大人になっても続き、後にとってもいいサポートになっていたと気づきました。この頃は、好きな人や友人たちに、ポエムを書いてプレゼントし始めたてた頃で、登場人物の名前はファンタジーな感じ。 " この友達はこんな感じの子だから、こんなキャラで " と自分で自由にクリエイトして楽しんでました。習っていたお習字教室に行かなくなったのもこのくらいの時期だったから、何が通じていたのかもしれないですね。

増して洋楽、洋画に没頭し始めたのもこの時期。 大好きだった人たちは、*1: Billie Holiday, *2: Michael Jackson, *Mariah Carey, *Fred Astaire & Ginger Rogers *Audrey Hepburn, *Julie Andrews  , *不思議の国のアリス、*メリーポピンズ

自分でも不思議なのが、どうやって彼らを知ったのか。あたしのあたしがなんか上手い事インスピレーションでこれ見たらいいよって、テレビとか有線とかで出してきてたんだろうなぁ。

お引越しをした小学生:

この頃も大きな変化を与えた時期でした。生まれ育った場所を出て、小学校4年生の時に同じ町の南から北へ転校。とっても敏感な時期にお引越しして、精神的にいろいろな変化がありました。とっても嬉しかったことは、ラブラドールリトリーバーのチャーリー(クリーム色)を飼い始めた事。彼は、15年程生きてくれました。いつもあたしの話相手だったチャーリー。

引っ越しする前に通ってた丘の上の小学校までは、すぐ近所の道をまっすぐ上がり、駄菓子屋さんを横目にまたちょっと歩いたら、校門にたどり着く場所でした。その当時とても新しい小学校で、屋上にはプラネタリウムと大きな天体望遠鏡がありました。学校の裏庭は林になっていて、ログで出来たアスレチックジムがありました。グリーンハウス(水鳥、うさぎ、小鳥たち)やぎさん、その近くの芝生のガーデンには噴水があり、ローマの休日に出てくるライオンさんの口もあったなぁ。そのお庭がとっても大好きだったのを憶えています。敏感なおとなしい女の子だったけれども、父の影響で、ある武道を始めた時期。TVゲームにもハマってたなぁ。

6才くらいの頃から音楽好きが始まって、特に、R&B, Jazz, Funk, Classical music をよく聞いてました 。父親がジェームスブラウン好き、母親はカーペンターズ好きっていうのもあったのかもしれません。そんなわたしにも、もちろん好きな日本のミュージシャン達もいて、自分達で作詞作曲されるような方たちに凄く惹かれていました。

紙粘土のきりんさんと幼稚園児のあたし:

年少さんの頃、母親に手伝ってもらって、紙粘土で一体のきりんさんを造るという、とても大きなイベントがありました。きれいな菜の花のような黄色と栗のような茶色の水玉もよう。首がとっても長いきりんさんを、どうしても、表現したかった。普通よりもっと首の長いきりんさんを創りたい!と、熱く母に伝え、彼女はサポートしてくれました。

そして、めっちゃめちゃ首が長いきりんさんを創ったのを覚えています。あまりの出来の素晴らしさに、確実にあたしのきりんさんがクラスのアート発表会(あれは、クラフトで何か創りましょう発表会というものだったような。)で1番をとると思ってました。

その前日からドキドキして、その日も一日中ドキドキしてたあたし。ある、クラスメイトの男の子が、お父さんに手伝ってもらったらしい、なんやらとってもかっこいい、未来の飛行機のような機械のようなものを出していました。そして、あたしはここでちょっと納得したんです。" あ、まじこれかっこいい。。。これ一番になるかも。。。 " 

そう、ここであたしの願いが揺らいだ。午後になってみたら、あたしのきりんさんの首が、ポリっと折れて、ぐらんぐらんしてたのです。幼稚園生の発表会ということもあってか、首の中に針金を入れるとか、何か固定を入れた訳ではなかったからであったからかも。ま、それでも、発表会の午後までよく保ってくれたと思います。唯、この出来事が、人生に於いて、とても重要な事を物語っているとは、その時は知らぬままだったんですが。。。

そのきりんさんへの思いは、あたしの心の中で、静かーに冬眠してました。が、最近その冬眠から目覚め初めてきたのです。うふふ。


では、幼稚園の前はあたしは何をしていたのか、、、

生まれてから3歳の間:

はたして、何か覚えているだろうか、、、と振り返ってみました。


そう、以外にも思い出はいろいろあったのです。

その中でも一番の思い出は、とっても大好きだったアメリカ人のクリスの事。彼は、あたしの地元の高校で英語の先生をしていました。彼が、少しの間うちに居候していたのもあって、あたしはたまに遊んでもらっていたんです。

あたしの父は、ある武道の日本チャンピオンになった事があり、その後は地域密着型ボランティアで、その武道を大人から子供まで教えていました。当時、クリスもその武道クラスに通っていた生徒でした。

3歳にも満たなかった幼いあたし。人種という言葉も知らないあの頃。クリスという名で、金髪と青い目をもつ背の高い男性は、いつもとっても優しくあたしと遊んでくれていました。あたしは、心から自由に、楽しかったあの雰囲気を今でも憶えています。クリスが一度だけ、アメリカから彼に会いにきた三人の友人を、うちに連れてきたのも憶えています。うちは旅館になったかのような趣で、ゲスト一人一人に御膳が用意され、美味しそうな料理が並べられていました。美味しい美味しいといって食べている友人たちと話している時のクリスは、その時のあたしには全く理解が出来ない言語を使ってました。当時あたしは、英語という存在はよく分からなかっただろうし、ただ、なんだか不思議な音で話しをしているなぁくらいに思っていました。

そのわけも分からない、不思議な音・言語の発祥地に、その後あたしが移り住むとは想像もしてませんでした。

幼い時のこの思い出が、後のあたしの人生に於いて、" 人々が平等に生きるという事はどういうことか " を追求するきっかけになっていたのかも。この頃から既に、あたしのライフパーパスに関する出来事は、記憶されるようになっていたのかと思うと、人間として生まれてくるって、こういう面白さがあるんだぁと、ちょっと感動。

そして、もうひとつ。1歳頃なのか、赤ちゃんだったのか分からない記憶。

あたしは畳のお部屋いて、お布団の上で寝ころんでゴロゴロしている。とってもフワフワしているタオルケット(すごい発明だよね、タオルとブランケットの合わせ。日本人まじすごい)に包まれて、幸せな時間。"  あーフワフワしてるぅ、あったかーい。ゴロゴロたのしー " という気持ちとその時ゴロゴロしながらみていた部屋の中の光景を憶えています。

人間は、なんでも記憶してるんだわぁ。

赤ちゃんの頃みたいに、あんなにすばらしくコロコロとは動かないですが、あったかゴロゴロは、やっぱり大人になっても楽しいですね。💛


そんなゴロゴロしてた赤ちゃんの前は、あたしは何をやっていたのか。。。

次回は、スピリチュアルなサイドから見たあたしの履歴をご紹介します。

続く。。。


*1: Billie Holidayのオフィシャルサイトからお借りしました。*2: Michael Jacksonは、Michael Jacksonのオフィシャルサイトからお借りしました。(いろいろある中でめっちゃ悩んだ末にこのビデオになった)*3: Mariah Careyのオフィシャルサイトからお借りしました。*4:*Fred Astaire & Ginger RogersのFredはomarovさんから、Gingerは、PepsiPrimeさんからお借りしました。


Text and images copyright @ WOOLYYUMI BOOKS 2019

わたしのnoteに来て頂き 有難うございます💫 ヨーロッパ在住歴20年も含め、 地球での魂生を通じて 感じ・経験した事などを シェアしています。 みなさまの日々の氣づきや 参考になったら幸いです💞