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人はなぜ木に憧れるのか

 先日、YAMAPの春山さんにお話しを聞く機会があって、どれも面白い話だったんだけどその中でも「巡礼」の話がとても印象に残っていた。

 『人間の最たる特徴は何かと考えた時に、「巡礼」というものが人間の特徴をよく表していて、その特徴には長距離を二足歩行できる「歩く」ということと、もうひとつは誰かを想うとか自分の存在を超えて何かを願うとか「祈る」ということができる存在て人間の特徴だなと思って、「巡礼」を追っていくことで人間とは何かとかを考えるきっかけになると想う』と。

 その想いの源泉を辿って、春山さんの様々なお話しをメディアで追っかけていると中村桂子さんとの対談があり、人間は元々弱さ故に二足歩行するようになったという説に触れていた。「人間はもともと弱くて森が後退してサバンナになったときに、弱かったから遠くに食べ物を取りに行かないといけなくなってそれを持ち帰るために手が必要になり二足歩行になった。」と。
 この、「人間は弱い」ということの認識に立ち返ることがこれからの社会には大事だという話が、自分の中で自然や木と向き合う中で考えていることととても共鳴して、視野が晴れたような気がしたのだ。(二足歩行の話は、あくまで説でその真偽を問いたいのではなくて、妄想とかロマンの話です。)

僕自身は、木というものをただ単に「材料」や「もの」「アイテム」として捉えているのではなくて、その周辺や空間そのものを含めての木として捉えているので、それをどう伝えようかと悩みながらよく訳のわからない活動をやったりするのだけれど、この話を自分ごとで捉えた時に非常に聡明な心持ちになった。

僕たちは、人間は弱いという認識のもとに立った時に「木に憧れる」のだと思った。

つまり、僕らは弱さ故に動き「歩く」ときにそこにじっとただ立っているだけの動かない樹を見て、おののき憧れるのだろうと想う。逆にその想いに至らなければ、人間として、自然の中の人間性を忘却していることになる。だからそれを想い返すための本能として人間は森に行くのではないか。

 春山さんとの対談の中で中村桂子さんは更に、地球上の中でも人間は生物学的にも最も変てこな生き物だと言う。地球上に生息する最も変テコで弱い生き物の「人間」から見た時に、威厳がありオーセンティックで微動だにしない「樹」という存在は、時に神木化されかっこいい存在であるということを再認識することが人間の本質的な感性を呼び戻すことにつながるのではないだろうか。

それが「木に憧れる」ということだ。

そしてその感性は、人間が決して忘れてはいけないことであり、それを理屈ではなくて肌感覚として身体に溶けこますことが自然との共生であり理解ではないだろうか。そのことが社会が良くなる、という一歩につながればいいのになと想うのです。

なので「歩こう」と思った。
「山歩」

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