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シソノという子 -マラウイ・サリマ、センガベイにて【旅のエッセイ】

蓮の湿原を抜けて

 シソノを思い出すとき、その場面は映画であるならおそらくハイライトと思われる。シソノは光をまとって微笑んでいる。しかしそのまぶしい光はすぐに霧に暗く覆われてしまう。シソノの行く末を考えると、彼女の将来は苦しみに満ちているのか、それとも満ち足りた生活を送っているのかと案じてしまう。わたしにはそれを知るすべがなく、涙を禁じえない。
 
 シソノはおそらく二歳とすこしだったと思う。そこらじゅうを走り回っていて、なにやら言葉を小鳥のようにぺちゃくちゃ喋っていた元気な女の子だった。わたしが彼女を思い出すとき、脳裏の画はあるときはマラウイ湖のほとりで水におびえている小さい黒人の女の子、というふうである。あるいは大きな犬に追いかけられて泣いている。さらにはひとりで母を待って突っ立っている。これがシソノなのである。
 ザンビアという国がアフリカ大陸のへその下あたりにある。東にタンザニア、北にコンゴ、西にアンゴラと、国境では小競り合いが絶えない国だが、南のほうはわりと開発され、中国の手によって長い鉄道も敷かれており(もっともこのいわくつき鉄道は動いたり動かなかったり、信用のおける代物ではないが)また、南のジンバブエ国境には世界遺産のビクトリアの滝があるため観光産業も盛んだ。海の無い内陸国であるがゆえに、物流や人の流れのハブとなっている国なのだ。そして私が訪ねた当時はインフレーションに沸き立っていた。
 わたしはザンビアの首都のルサカで、知人のお世話になっていた。日本を発つ前に知り合いが在ザンビア日本大使館に籍を置いているという旧友に連絡を取ってくれており、ご飯を頂いたりルサカを連れまわしてもらった。外交官を夫に持つ、みつえさんという初老の女性だった。不義理なわたしは礼状もはがき一枚で済ませてしまったが、本当に感謝してもしきれない。
 そのみつえさんが見ず知らずのわたしをかいがいしく世話してくださったのも、訳があるようだ。わたしがザンビアを発つ前の晩、わたしは晩御飯に邸宅に招かれた。しばらく日本食は食べていないでしょう、と言って、貴重な味噌をつかって美味しい味噌汁をご馳走してくださった。そのときみつえさんがじっとわたしの顔を見つめた。
「娘に似てるのよね、あなた」
みつえさんは本棚から何冊かのアルバムを引き抜き、わたしに見せた。サリマというのは、小さいころをザンビアで過ごし、やがて東京に嫁いでいった自身の長女の名であった。その幾枚かの写真を見ても、わたしは彼女に似ているとは思わなかったが、
「鼻が大きいところと、目が」
と念を押した。外交官である夫も、似てないよと言っていたが、みつえさんはかたわらにいない娘の幻影をわたしに重ねたのだろう。
「むかし、まだわたしたちがお隣の国のマラウイにいた頃、身ごもったの。わたしたちはそのころ草の根でボランティアみたいなのをしていたから、田舎のほうにいたのね。それでそこでは産めないから、産むときだけサリマという町に出て行ってね、診療所があるから。そこは水辺の町だから落ち着いたわ。そこで長女を産んだのよ。」
 サリマという響きはいかにも美しかった。産み落とされた子供に、付けたくなるほど素敵な名前の町だ。ザンビアは高地にあるためさほど暑くないが、日本に比べたらやはり気温は高い。なにせコーヒー豆の産地なのだ。マラウイに行き、水辺で涼むのも良いと思った。
 みつえさんに別れを告げ、サリマに行こうと思い立ったわたしはザンビアから二日掛けてマラウイの首都に到着した。マラウイは南北に延びた細長い、ヒルのような形の国だ。ザンビアの肩にへばりつくように位置している。東側はマラウイ湖に面している。首都リロングエは細く伸びたマラウイの中部にあるが、サリマはそのリロングエを抜けてそのまままっすぐ東に向かった水辺の町らしい。
 サリマへはリロングエからミニバスに乗って三時間くらいだったと思う。サリマに着くとそこは意外にも、土埃の舞う、露店のごった返したアフリカの小さな町の典型だった。ミニバスを降りると、わたしはひとまず銀行で金を下ろそうと考え、この町唯一のコンクリートの通りへ出た。大通りのすぐ先には草原が広がっている。南部アフリカでよく見る銀行の看板が見えたため、大通りを横切り、ATMに入った。すると、機械の電源が落ちていた。手持ちのマラウイの紙幣があまりなかったので、これは困る、と思った。
 とにかく宿を探さねばならない。道にたむろしている若者たちが、
「今日は銀行は休みみたいだよ」
と親切に教えてくれた。マラウイの若者は、他の国と比べるとすれていないような印象を受けた。この男もはやりの編みこみなどせず丸刈り頭だった。後からATMの電源が落ちていた原因は停電だったとわかったのだが、ATMが使えないのでは、停電も定休日でも同じことである。ひとまず手持ちの紙幣とドル札でなんとかしのごう。わたしは若者に尋ねた。
「湖はどっちの方向?」
若者は質問されて得意げに答えた。
「湖はここからまた車に乗って行くんだよ。スンガベというところ」
サリマと言うのは町の中心地の名前で、そのスンガベは湾かなにかの名前なのだろうと思った。彼に礼を言い、バスターミナルに戻り、スンガベ行きのバスを探すと、浮浪者のように歯の抜けた調子のいい男が、ターミナルの外にある車高の低めの4トンくらいの古いトラックを指差した。あれがスンガベ行きだからエスコートしてあげるという。少し不審に思いつつも付いていくと、トラックの運転手にうやうやしくわたしを引き渡した。男は歯茎を見せて笑った。男の胸元をみると、木でしつらえたロザリオがかかっている。
「荷台に座っていなさい」
調子のいい男は調子のいいことをして満足したらしく、去って行った。運転手に聞くとあと十分くらいで出発だと言っていたが、トラックは大通りに出たり、バスターミナルに戻ったりしつつ、行き先を叫びながら客寄せをしていた。結局出発したのは一時間後くらいだったように思う。エンジンがかかったのは、荷台にざっと見て十五人以上乗った時だった。キャッサバ芋を布に包んだものを抱える女性。引っ越し荷物のようにたくさん荷を持つ男性。手ぶらの若者。よく見ると、皆胸元にはロザリオがかかっているのだった。
 
 サリマに来る途中に立ち寄ったマラウイの首都リロングエでも、敬虔な教徒をたくさん見た。バスの客引きの男は、待ち時間に聖書を呼んでいる。バスの中では聖歌が歌われる。ユースホステルの番人は、宗教観について語りたがる。ザンビアとはまったく違った雰囲気なのだった。マラウイでは、どんな悪そうに見えるごろつきも、胸にロザリオをして神のご加護を、と告げる。
 貧しい国ほど、敬虔な教徒が多い、というのは世界共通なのだという。マラウイでは小さい国土というハンディに加え、近隣国が産出しているような金やダイヤモンドなどの鉱物もなく、主な生産物は細々とした農産物だけである。国民のほとんどが漁師や農民なので国の予算は少ない。貧しい国である。人々はその日暮らしの不安が絶えずある。娯楽も少ない。だからこそ、キリスト教に光を求めるのだ。
 純粋すぎるまでの神への信頼がマラウイにはあった。それはまるで恋をしているかのように、皆神を心の底から渇望しているのだった。

 あまりにも荷台にぎゅうぎゅう詰めに人を載せるので、わたしはもうほとんどふくらはぎで荷台の壁面を支えながらお尻を外に突き出していた。それでも出発のすこし前に、さらに白人の男がひとり、大きなバックパックを抱えて乗ってきた。
 蒸し暑い風の中をタール道が続く。しばらくは前を向いていたが、吹き付ける風が目を乾燥させるので、背後の景色を見始めた。湿原に、蓮が一面に咲いていた。マラウイの蓮は勢いがあった。ひっそりと咲くのではない、花弁いっぱいに光を受けようとしていた。空は透き通り、蓮の葉の緑と花弁の白だけが地平線まで続いているようだった。ここは湿原にささやかな橋が渡っていて、車を通しているのだった。橋の隅を、老年の男性がゆっくり歩いていた。麦わら帽をかぶり、蓮など目にもくれずに熱の中を進んでいる。そうやって歩いていれば、車に乗らなくてもいつかは到着するのだと、諦めたように歩いていた。金があれば手をヒョイと挙げればトラックは止まってくれる。彼はきっと金がないから仕方なしに歩くのだ。
 いくつかの集落を越えて、トラックは速度を緩めた。ここがスンガベだという。払いは五〇円くらいだった。アフリカではたまに法外な金をミニバスとかタクシーの運転手に要求されることがある。わたしは村人の支払いを目ざとく見ていて、それより高いじゃないかと運転手に文句を言う。するとたいてい運転手らは、「あなた方はお金をもっているから、地元の人より高く払っていいだろう」と言う。わたしはお金はあまり持っていなかったけれど、日本にいたら稼ごうと思えばアフリカの人よりはきっと稼げるし、ぜいたくしようと思えばできる環境にあるということは、それだけでお金持ちになれる可能性はアフリカ人よりかは格段にある。だからわたしはそういうとき、運転手の要求した金を少し負けてもらって、地元の人よりかは少し高く払った。
 しかしこのサリマのトラックの運転手は地元民と同じだけ要求した。外国人だからといってふっかけられないことに安堵し、運転手に感謝した。
 荷台から飛び降りると、数少ない宿から客ひきが来ていた。そのとき、トラックに乗っていた白人男性が声を掛けてきた。宿はどこに行くつもりだい、と聞くので、決まっていないが、テントを持っているのでキャンプサイトがある所がいいのだと答えた。
 その男性はドイツ人でジョナサンと名乗った。彼はドイツではエンジニアをしており、バカンスを利用して知り合いのNGOのプロジェクトに参加しに来ていると言った。ぼくはバタフライロッジに行くつもりだが来てみるかい、といわれた。わたしがぜひ、というと客引きの中からそのバタフライロッジに通ずる男が現れ、道を教えよう、と言った。
 ジョナサンの正しい英語発音でわかったことなのだが、地名はスンガベではなく、センガ・ベイであった。マラウイ湖は九州より少し小さいほどの大きさの湖で、たくさんの入り江や湾がある。そのひとつの湾のベイである。アフリカの人は独特の訛りがあり、それを完全に解読するのは難しい。
 例外なく埃っぽい未舗装の裏道には、露店や、八百屋がバラックのように狭く並んでいた。雨が近頃降ったらしく、埃っぽい道には水たまりが到る所にできていた。子どもたちが食べた飴玉の袋や、瓶や缶がそこらじゅうに捨てられている。なにをするでもなくたむろしている人々がいて、じっとりとこちらを見ている。
 しばらく歩くと、マラウイ湖が姿を表した。ガイドブックでは、透き通った淡水の写真ばかりだったが、実際のマラウイ湖は茶色く濁っていた。季節ごと・場所ごとに濁りぐあいが違うらしい。

 センガ・ベイと呼ばれる湖に面した一帯には、十軒ほどのゲストハウスや別荘が限られた湾に競い合うように建っていた。バタフライロッジはセンガ・ベイの北の端にあるロッジで、南アフリカから来た夫婦が経営していた。
 バタフライロッジは湖に面している平屋で、外庭に水を望みながらご飯が食べられるようにソファとテーブルが三対置いてあった。湖は近くで見るとやはり、遠くからわざわざ来て喜んで観るに値するかどうか分からないほどの泥水だった。海のように途方もなく広いマラウイ湖はどこまで見渡しても、泥水の色が続くだけだった。泥水の色は未舗装の道路のようでもあり、貧しい炉端の子どもたちが着ている煮しめたようなTシャツの色のようでもあった。
 この湖はマラウイの宝なのだという。なにしろ魚が獲れる。淡水なので水を引ける。水産、農業、観光と、この小さな国のはかない経済をなんとか支えているのは他でもない、この湖なのである。
 センガ・ベイでも季節によっては透明に見えるのだろう。しかし、ただ水辺であると言うだけでも人々の心は安らぐし、集まってくる。
 
 マラウイでは停電によく遭遇した。政府が電力を供給できないから計画停電をしているのだ。マラウイは南部アフリカ最貧国だ。中国の食い物にされているが、マラウイというのは中国が相手にして得をするのか分からないほど小さくて慎ましい経済である。とにかく朝でも夜でも頻繁に停電した。冷たいジュースはあまり飲めなかったし、電灯の下のディナーも一度きりだった。そのかわり蝋燭で過ごす。わたしは蝋燭でも構わないと思っていた。本が読めたらそれで良かった。

シソノという女の子

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 わたしとシソノが会ったのは、このバタフライロッジだった。シソノは小さな来客者であった。
 ここに来て二日目の朝だったろうか。ロッジでは朝飯付きだった。薄いパンが二枚に、塩辛いトマトの炒めたのとスクランブルエッグが付いた。紅茶もミルクつきだった。こんなに贅沢な朝飯は久しぶりで、かなり満足してドミトリーの部屋に戻った。散らばった小物を片づけていると、開けていたドアに物影が見えた。そちらに目をやると、二歳くらいの黒人の幼女がこちらを凝視している。髪は伸びっぱなしで、鳥の巣のようになっていた。やぶれかぶれのサテンの銀色のワンピースを着て、ピクリともせずこちらを見ている。
 「どうしたの、あなたは」
話しかけたが、瞬きすらしない。幼女のまつ毛は長く太く、くるりとカールしていた。眼はまんまるで、お人形のようである。
「名前は」
眼はわたしを追いかけるのだが、体は動かず、ぴたりと止まっている。何を言ってもうんともすんとも言葉を発さないので、この子は耳が聞こえないのかと思った。
 ジョナサンが歯磨きをしながら部屋に入ろうとし、ドア付近に幼女がいるので驚いたらしい。
 ジョナサンは歯ブラシをくわえたまま幼女に話しかけた。やはりびくともしない。彼は気を引くために幼女の両手を取り、上下に動かしながら歌を歌った。すると歯磨き粉いりの白い唾液が床に垂れた。女の子はますます身を硬くしている。
 わたしは幼女に熱心に話しかけた。言葉は発さないものの、彼女は出て行こうとはしなかったので、嫌ではないのだろうと思った。わたしは背をむけてしゃがんで、幼女に「背中に乗る?」と聞いた。すると彼女は軽い体重をそっとわたしに委ねてくれた。
 幼女は文句も言わずおとなしくおんぶされている。ドミトリーの部屋を離れ、キッチンへと続く細い廊下に出ると、箒を持って廊下を掃いている若い女性がこちらに気づいた。赤い伝統の腰巻をつけている。彼女はクックックと白い歯を出して笑い始めた。その剥き出しの歯の正面、前歯が一本抜けているのが見えた。
「わたしの娘よ、あなたの背中にいるのは!」
それを聞いてわたしは幼女を床に下ろした。
「名前はなんていうの?この子」
母はゆっくり答えた。
「シ・ソ・ノ」
 まだ小さいから仕事場に連れてきているという。
 シソノ?わたしは聞き返した。わたしは紫蘇の繁る野を思った。良い香りのする名前だと思った。赤い紫の葉っぱの群れが風に揺れている畑か。
「あなたがおんぶしていたほうがいいかな」
わたしは母親に聞いた。勝手に人の子をおんぶしていてはいけないような気がしたのだ。あなたがいいならおんぶしていて、と彼女はわたしにシソノを託した。
「この子は」
わたしははばかりながら尋ねた。
「耳が聞こえないの?」
母親は前歯の抜けた笑顔を向けて、
「いいえ、この子はしゃべるわよ。まだ英語は知らないから、緊張してるのよ」
と説明した。
 シソノはおんぶを気にいったようだった。わたしはこのまま外を散歩しようと思った。目的もない旅なのだから、こういう無駄なことはいくらでも引き受ける。
 裏庭の物干しざおを見に行ったり、湖のほとりまで出たり、外周をぐるぐる回っているうちに、シソノが背中から言葉を発した。短い言葉だった。二歳らしく高く透き通った声だった。もちろんその単語はわたしにはわからなかった。土着の言葉は挨拶くらいしか覚えていなかった。
「なにをいってるのかね」
わたしが聞いたのを、返事ととらえたのか、シソノは気を良くして溢れるように喋り始めた。時には指を差しながら、「あっちへいく」という意味のようなことも言った。背面で歌うように語りかけるシソノの言葉は、語彙がたくさんあった。わたしは適当に返事をしながら、シソノの歌を聴いていた。シソノの歌は、濁ったマラウイ湖の景色に合っていた。ヤシの木が揺れて、マラウイ湖のむこうの対岸がみえた。さざなみがリズムを刻むのも聴こえた。シソノを通じて、景色が、匂いが、声が、風が、わたしの脳味噌に遅く浸透してくる。
 おんぶが次第に疲れてきたとき、さっきの前歯のない母親をみつけた。彼女は、一度シソノに昼飯を食べさせに帰る、と言ってシソノを受け取り、抱えて門の外へ出て行った。

 わたしは自身の幼少時代を思い出していた。わたしはそういえば徹底して受け身で、口の重い子供だった。かわいく甘えることは出来なかったし、言葉は選んで喋っていた。そのかわり心のなかのひとりごとは多かった覚えがある。外界はわたしを陥れる底なし沼で、得体の知れないものだから、うっかりおかしな発言はしたらいけないと思った。
 シソノはわたしと似ている気がした。おなじようなのは全世界どこにでもいるようである。南の国の人は皆フレンドリーで陽気だといわれているが、本質的にはおとなしくて陰気なのも少なからずいるはずだ。アフリカという環境によって成長とともに陽気なように矯正されていくだけなのではないか。

 バタフライロッジのご飯は出てくるのは遅かったが、旨かった。以前南アフリカのカフェで食べたミートソースは食べ物でない味がして落胆したが、ここのミートソースは近くの市場で売られる野菜をふんだんに使っていて、酸っぱくておいしかった。しかしこのキッチンの問題は、メニューにかいてあるものが殆ど作れないことだった。
ずらりとたくさんのメニューがあるのだけれど、「今日も、おすすめはミートソース」という具合だ。田舎なだけにしゃれた具材が手に入れにくいのかもしれない。
 次の日もシソノは「出勤」してきた。昨日と違って髪を黄色のカチューシャで留めあげていた。服も黄色のワンピースで、サテンのものよりはボロではなかった。シソノの母は、見てくれる人がいるから綺麗にさせたのだろう。本当に昨日は髪も梳かされず、蔑ろにされているかのようだったからだ。
 シソノはおんぶに味をしめたのか、わたしを見るとうれしそうに駆け寄ってきた。部屋にシソノを連れていき、ベッドに座らせ、髪を梳かしてみた。わたしの洗面用具を入れていた小さい巾着に安物の櫛があった。シソノのアフロは、細くこまかくちぢれてなかなかくしは進まなかった。しかしシソノは猫のようにうなだれて、されるままに気持ちよさそうにしていた。小さな頭全体を梳かし終えると、彼女はその櫛を持ちたがった。手に持たせると、シソノはにこにこしているが無言のまま、わたしの短い髪をとかし始めた。彼女がやりやすいようにわたしは頭を垂れた。シソノは櫛を持つのが初めてだったのだろう、極めてゆっくり、そしてか弱く手を動かした。それはくすぐったくさえあった。
 わたしはミートソースパスタをシソノに食べさせた。わたしはご飯を食べなければならず、シソノはその傍らにいたから、自然にミートソースはシソノの口に運ばれた。シソノはおずおずとパスタを食べた。パスタを口に近づけると口をあんぐりと開けるしぐさが愛おしく、つばめのヒナのようだと思った。

楽園をもとめるひとびと

 三日目、ジョナサンはこの宿が嫌になったと言った。もっと良い宿はあるはずだ、と。ジョナサンはわたしに、ちいさな若者向けの安宿雑誌をみせた。
「たとえばここ・・・モンキーベイロッジは、前に行ったことがあるのだけど、ここより1ドル安いのに、コーヒーや紅茶は飲み放題だったし、スキューバなんかも手配してくれるんだ。」
 マラウイ湖は四千円台でスキューバダイビングの免許が取れると評判だった。とするとやはり綺麗な湖畔も、この広大な湖のどこかにはあるいは存在するのかもしれない。
「だから昨日散歩して、もう少し浜を南に下ったところにバーつきの素敵な宿を発見しておいたんだ。ドイツ人はサービスに妥協はしないよ」
 ジョナサンが宿を出る前に市場を見に行かないか、というので付いていく。
 トラックを下りたバラックが建ち並ぶ地元のメインストリートに向かうと広場に青空市が立っている。マラウイ湖で獲れた小魚や、ナマズの一種が冷蔵庫もなしに並ぶなか、見たこともないような果物が置かれている。奇怪な形の果物たちのなかで、ジョナサンはサッカーボールほどの乾いた果物を手にした。
やしの実にも似たそれは、どうやって食べるかもわからず買ったものだから、ジョナサンは帰り道でちかくにいた男性に食べ方を訊ねた。
「中身をたべるんだよ」
そういってその男は実を地面で叩き割った。すると、実の中は全体に白いスポンジのようなふわふわしたもので満たされていた。
「これがうまいんだ、食ってみな」
といって、スポンジのような果実をすすめられる。
ジョナサンはひと口くちにすると「ひい、酸っぱい。食えたもんじゃない」と言った。わたしにもひと口くれたが、たしかにただただ酸っぱい繊維で、口の水分すら奪っていく。甘みは一切なかった。
 近くの木陰で、制服を着た小学生たちがサッカーに興じていた。ルールやサッカーゴールのあるサッカーではない、布を巻いた玉を奪い合う野良サッカーを数十人たちがだんごになってやっているのだった。ジョナサンは「これ、食う?」とそばにいた小学生のひとりにその実を渡した。
 そのとたん、布のサッカーボールに向かってだんごになっていた子どもたちが、烈火のごとくその実に向かって襲い掛かり始めたのだ。死に物狂いになって実にありつこうとしている。ある子は実を持っている者を蹴り、ある者は殴り、実が奪われたり落とされたりしながらあっちへこっちへ行く。砂埃が湧きたつ。1分もたたないうちに、空っぽになった実の殻だけが人だかりからぽいっと出てきた。
「そんなに奪い合って食うようなシロモノか」
ジョナサンは驚き、あざけった。

 ジョナサンと入れ替わりになるように一人のドイツ人女性がその宿にやってきた。四十歳くらいで、赤毛をうしろで束ねている小太りな人だ。この女性もまた、サービスの追求には労を辞さなかった。彼女はまず、マラウイの子供が金を強請ることに怒っていた。またバタフライロッジの朝食に辟易した。毎日同じメニューだったからだ。ゆったりとしたスピードの南アの夫婦の経営姿勢にも不満があるようだった。暇なわたしが数えたところによると、1分間喋ると三回は文句を言っていた。最後には村に一軒だけあるネットカフェのパソコンの通信速度の遅さに、なぜかわたしに向かって本気で腹を立てた。「あなた、なんで同じパソコンを使って、文句のひとつも言わないのよ!いい、良い環境を手に入れたかったら、主張をしないといけないわ。メールを一通送るのに二十分かかったわよ、すぐフリーズするんだもの。あんなバカみたいなパソコンにお金払うのは嫌だから、交渉したくなったわ」というふうに。ジョナサン曰く、ドイツ人は文句を言うことでしかサービスや環境は改善されないと信じている。この女性というのは、忙しくて狂いそうになるドイツの都会生活から逃れたくて南アのケープタウンに越してきたらしい。
 海がありウォーターフロントがオランダの水辺の街のようにしっかりと整備されたケープタウンは美しく娯楽もあったが、強盗に二度入られたという。あまりにも治安が悪いので、また違う住処を探してアフリカを旅しているという。
「あなた、知ってる?ピーターアイランドって…ヨーロッパのひとに人気の移住先よ。南米にあるのだけど、とっても綺麗な島なんですって。それでいて、とても整備されていて住みよいらしいわ。アフリカなんかやめて、そっちに行ってみようと思っているんだけどね」

貧しさと贖罪
 

 ある昼下がりである。といってもわたしはこの宿には一週間しかいなかったのだから、おそらく五日目くらいだと思う。シソノを外の庭のソファに座らせ、わたしは隣に腰掛けて、いつものミートソースを頼んだ。前日に雨が降って湖が荒れたが、一夜あけると晴天だった。ぽかぽかして気持ちよい昼であった。水辺では女たちが洗濯をしている。子供はふざけて宙返りをしながら水中に飛び込む競争をしている。シソノはその子供たちに交じりたいふうでもなく、おとなしくちょこんと座っていた。
 しばらくするとおいしいミートソースがやってきた。ウェイターは若い痩せた男で、陽気な雰囲気だ。わたしは麺をフォークに少し取り、シソノの口元へやった。するとかわいらしい小さな口をいっぱいにあけてほおばった。わたしは数口自分が食べるごとに一口、シソノにやった。それは幼稚な母ごっこであった。
 シソノはかなりたくさん食べた。わたしがケチに惜しいと思うほど食べてしまった。
 すると、食べ終わったタイミングを見計らったように、先ほどのウェイターがやってきて、テーブルの前にひざまずいた。このようなしぐさはこれまでしたことがなく、わたしはあっけにとられた。男はなんだか喉に小骨でもはさまったような表情をしていた。
「あの、マダム」
彼はおずおずと言葉を発した。マダムなんて呼び方をされたのは初めてだった。わたしはまだマダムという歳ではなかった。
「お願いがあります、マダム」
彼は繰り返した。この若い男はおそらく二六、七くらいだとみえた。不実な感じはせず、切羽詰まっているようだったが、笑っていた。
「あの、娘と仲がよさそうですね」
シソノのことだった。
「ええ、とっても可愛い子です」
彼はにっこりと安心したようにうなずいた。
「マダムは日本人と聞きました、日本人はお金持ちなんでしょうね」
さも当然のごとく、男は言った。金属のお盆を脇にかかえたまま見下ろしている。
「わたしはまだ若いし、お金なんかないよ」
「でもトーキョーでは、たくさんのひとが目いっぱい働けるんでしょうね」
「そうね、選ばなければ職はあるね」
この男の訛りはひどかった。話が進むにつれてわたしは単語が聞き取りにくくなっていた。
「シソノはぼくの姉の娘です」
と言ったように思ったが、もしかしたら僕の娘だといったかもしれない。
「あなたは旅をしている。旅をするということは、余裕があるということ。もし、あなたがシソノを連れて旅をしたら、どんなに素敵だろうか」
わたしはこの男の「マダム」の反芻が、わたしへの迎合だと悟った。
「シソノはいろんなものを見るでしょう。ビルも、サファリも、車もみんな見るでしょう」
わたしは急に居心地が悪くなった。話が長引きそうだったからである。ひどい訛りの演説を聞くのは苦痛だし、乞われているのも嫌だった。
「つまりマダム、」
早くしてくれ、とわたしは思っていた。
「シソノをもらってくれませんか。こちらもそのほうが助かります。あなたもシソノをもらってハッピーです。シソノもお金持ちになれてハッピーです」
体中から血液が流れだしていく感覚が確かにあった。血の気が引いて、血圧が下がる。空気がひんやりと感じる。その瞬間、無理です、とわたしは反射的に答えた。それ以外に、わたしがなんと答えられよう。わたしはなにも考えなかった。男がなぜそういった提案を、娘か姪の前で口にするのか、もっと話を聞いたほうがよいのか、なにも考えなかったのだ。
 だめよ、わたしは―の後が続かずに、黙りこんだ。じっとりとした沈黙がつづいた。
「オー、ジーザス」
男は主の名をつぶやき、あきらめて去った。非常に後味の悪い時間が流れた。シソノの顔を見ることもはばかられた。シソノはそのときどんな顔をしていたのだろう。ミートソースの酸っぱい味がべっとりと口の中に残っていた。
 そうこうしているうちにシソノの母がパートタイムを終える時が来て、シソノをなかば奪い取るようにし、シソノは身をよじらせて泣き叫び、わたしにちいさな手を差し出した。わたしはただ見ているだけだった。よくあることだ、遊び相手が惜しくて泣くことは―…。シソノの姿が見えなくなる前に、わたしは自分の部屋へ戻った。
 シソノの母親は、シソノが憎くて、とか邪魔だからああいったことを提案したのではないだろう。愛されていないわけではないと確かにみえる。シソノにごはんを食べさせ、シソノをあやし、優しく抱く母である。ただ、わたしがあまりにシソノを可愛がっているから、ほんとうにそのほうが良いと思われたのだろう。ここは貧しいから。
 貧しさという、その深淵なるものの、ひと隅までも理解できていなかった自分に腹が立ち悲しみが押し寄せた。
 
 あの男が提案したことを万が一呑んだらどうなるのだろうと、楽観的に描いてみることにした。それは母ごっこの続きのようだった。
 わたしは旅をいったん中断し、シソノを里子にする手続きをとる。それには時間がかかるだろうから、まずシソノのパスポートを作って、日本にふたりで帰ってから、マラウイの行政とやり取りする。わたしの住んでいる小さなアパートに、シソノのための小さな椅子を買って置いておく。シソノはご飯が運ばれるのを待つ間、スプーンとフォークで遊んでいる。まだ自分でご飯を食べるのはうまくないから、しばしわたしが手伝いをする。わたしはシソノを養うために人一倍もりもり働かなければなるまい。ということはシソノは保育園に預けなければならない。保育園では肌の色が違うために、無垢でまっすぐな言葉を持つ他の子どもにいじめられるかもしれない。そのうちに、成長して美しい女になったシソノは、わたしのことを恨むかもしれない。わたしはマラウイにいたかったかもしれないのに、と育ての母をなじるかもしれない―。でもそれでもいいのだ、シソノが健康に大人になれるのならば。
 わたしは日本でのそれまでの生活に、満足していなかった。何のために働くのか見出していなかった。この無責任な空想は、その灰色の日本での生活に色彩を加えた。
 幼稚な母親ごっこは、するべきではなかった。そうだろう?― なにか、お天道様のようなものに叱られている、そんな気持ちでそのあとわたしはしばらくこうべを垂れていた。
 
 その夜、いつもの通り停電になって、わたしは夜の湖の浜辺に座った。政府の高官の別荘地にだけ、ライトが煌々と付いている。そこだけがぽっかりと浮かんでいるようだ。自家発電システムを持っているのだ。そういえばあのドイツ人女性が言っていた。国民には停電を強いておいて、高官のバカンス用の別荘地にだけライトが付くなんて、不正もいいところだわ。
 足をさざなみに投げ出すと、自分が夜の湖と一体になったように暗闇に落ちていく感覚になった。生ぬるい黒い波が足を覆うと、得体のしれない大きな液体に食べられていくかのようだ。
 シソノはもう寝ているだろうか。わたしはシソノの気配を湖に感じようと努めた。しかしあのウェイターのうやうやしい「マダム」という言葉が集中力を損なわせた。
 アフリカに最初に降り立った時、あのドイツ人女性がこんなところに住めやしないと言ったケープタウンの岩山、テーブルマウンテンに登った時。わたしは頂上で雲がちぎれながら、交わりながら、山風をひたすらに受けて龍のように舞い踊っているのを見た。そのときわたしは剥き出しの生の躍動、魂のマグマのようなものを感じた。そしてアフリカには全部ある、と思った。天国みたいに美味しいものも、とんでもなく不味いものも全部ある。美しいものも、汚いものも、祈りも、不正も。賢さも、愚かさも。雲はとびきり元気よく舞うし、ハチドリはうるさく蜜を吸う。生がアフリカでははっきりとして見え、死も同様だ。アフリカではすべてが露わだ。日本ではビニールにおおわれて見えなくしているようなものが、荒々しく剥き出しになっている。
 貧しい国、ロザリオ、赤茶けた路地、酸い奇怪な実、それを奪い合う少年たち、主張するドイツ人、楽園を探す女性…、そして幼子を差し出すひと。それらは、正しい/正しくない、であるとか、続けるべき/排除されるべき、などといった単純な二元論の枠の外側にいて、こちらを見てうっすらと笑っている。
 マラウイ湖の上には星がまたたいている。ここでは星は遠く、ささやかだ。空は湿気って星座を濡らしている。
 イエスキリストは暗闇を照らす光としてこの世にあらわれたという。その光がマラウイの停電の夜空を明るく照らしてくれないか、と思う。貧しさを忘れさせるほどに、明るく。

 はじめて出会ったとき。シソノがわたしの髪を梳かしてくれたとき、幾枚かシソノの写真を撮った。わたしはそれをもとに、シソノの肖像を描いた。彼女の顔から胸までを鉛筆とペンと水彩で描いた拙い肖像だったが、想像よりはうまく描けたと思った。
はじめ、それをシソノにあげようと思っていた。バタフライロッジにきて明日で一週間経つ。もう去ろう。去るときにこの画を贈ろう。
しかし、シソノは次の日は現れなかった。母親が休みの日だったのかもしれない。体調が悪かったのかもしれない。理由はわからない。結局その画は渡さず仕舞いだった。しかし、それでよかった。わたしの中に、画を与えれば、シソノに対してのことを許されるかもしれないというずるい気持ちが働いていたからである。シソノにこの画を渡したところで、ああいう提案を引き出させてしまった無責任さに対する贖罪にはならないだろう。口の中が、ずっと苦い。むしろこの苦々しい悔恨を味わなければ、ほんとうではない。
 
 土埃のバラックを抜けた。子供たちが青空教室で学んでいた。鶏が放し飼いにされて草をついばんでいる。吹き溜まりにゴミが溜まる。典型的なマラウイの昼だった。
 タール道に出て、サリマ行きのトラックを探し、値段を聞いて乗り込んだ。ふと眼をやった道端には、二歳か三歳の、ほとんど裸の男の子が家族とともに立っていた。その子の腹は飢餓要因であろう、風船のように膨らんでいた。そしてただ指をしゃぶっているのだった。一見すると健康な子供が多いマラウイにも、ひっそりと飢餓は根付いているのだ。 
 シソノ、とわたしは心の中で名前を呼んだ。そしてマラウイのひとたちが呼ぶ、神様をも呼んだ。神様、どうかシソノがご飯をいつまでも食べれられますように。母親にうんと愛されますように。
 トラックはまたこれでもかと乗客を荷台に詰めてけたたましいエンジン音とともに発進した。ぐんぐんと加速し、腹の膨らんだ子どもの影がちいさくなる。暑さで路面が揺れている。いつか、サリマは、センガベイは、美しい村だったと振り返る日が来るのだろうか。シソノのさえずるような声が脳裏にこだましていた。 

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