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人魚のいる海 ーモザンビーク・ヴィランクロにて【旅のエッセイ】

 なぜヴィランクロに行きついたかは詳しく覚えていない。モザンビークは対岸にマダガスカルを置くアフリカ大陸の東側の海洋国で、インド洋に面しているため中世より海からの客人が多い。わたしは二十代だった。北部の世界遺産モザンビーク島、中部のベイラを経て、知り合いのいる南部の首都マプトにたどり着く前に一度インド洋らしい海を見ておきたかった。海岸沿いで豪雨に見舞われやすい古都ベイラから首都マプトまでは海岸線に太い道路が走っており、長距離バスにはヴィランクロで降りるルートがあったのだ。


 モザンビークは、およそ大半の外国人がアフリカと聞いて想像するくらいの、けだるい暑さにおおわれた常夏の国だった。ヴィランクロも同様に、古びた長距離バスを降りた瞬間、むっとした熱風が海から押し寄せるのがわかった。バス乗り場の地面を踏むと、海岸からはやや離れているのに、一帯が砂でできていた。さて、これから宿探し。小さな町だけれど、ポルトガル領だった名残なのか、四角く区画分けされたブロックに竹のような素材でできた塀が色あせて連なり、外からの人になんだかよそよそしい。どちらに行ったらいいのか、タクシーを呼べばいいのか、しかしタクシーも見当たら無さそうなので徒歩で歩けるような大きさの町なのだろう。わたしが大きなリュックをしょってバス乗り場付近をうろうろと当てもなく歩いていると、携帯電話のプリペイドカードをたくさん入れ込んだやかましいベストを着た、いわゆるサンドイッチマンのような、プリペイドカードの売り子が声をかけてきた。
「君、携帯電話もってるの」
モザンビークはポルトガル語が公用語である。バスの運転手も助手もガソリンスタンドの店員もホテルマンも、基本的にはポルトガル語しか話さない。ふいにプリペイドカード男が英語で話しかけてきたので、わたしは思わず返事をした。
「持っているけど、間に合っているよ」
プリペイドカード男は年のころは二十代前半くらい、褐色の肌に黄色のキャップをかぶっている。看板にサンドイッチされた中にはバスケットボール選手のようなタンクトップが一枚。
 それよりも良い宿を教えて、とわたしが聞くと「そんならバオバブロッジだね」と応える。どうやら連れて行ってくれるようである。無論、後で金を要求されるかもしれない。しかしプリペイドカード男は暇つぶしのようでもあった。たれた目の、覇気のない顔つきをしている。
「オレも、バオバブロッジ入りたいなあ、中にバーがあるんだけれど」
しかし観光客向けの宿は安宿と言えど高い塀とセキュリティキーつきの門があり、地元の人間はコネがないと入れないようだった。


 プリペイドカード男は、砂をだらだらと蹴りながらロッジへの道を歩いた。ヴィランクロの白い砂はサンダルで踏むと熱い。しばらく東に歩いていると、ヤシの木が植えられた海岸通りに出た。海岸側は細い竹やヨシのようなもので作られた塀で埋まっていて、海をみることはできないが潮風を感じる。
「海岸はね、宿が建ち並んでいるからね。通りからはみることができない。バオバブロッジは安いけど、もっと向こうには高級ホテルがあるし、金持ちが持っている私有地もあるよ」
 なんにせよ旅人がビーチフロントに出るには、宿を借りる必要がありそうである。やや古びて赤茶けた金属の塀にぐるりを囲まれたところ、そこがバオバブロッジだった。
「じゃあね、もしオレが遊びに来たら、客としてバーへ招いてよね」
 中に入れないのをやや残念がりつつ、案内代をせびるでもなく、プリペイドカード男はのろのろと今きた砂の道を、穴の開いたサンダルでだらりと蹴りながら帰っていった。


 塀の中へ入ると、絵画のような景色が飛び込んできて思わず声を上げた。芝生が植えてある門の近くは少し高く位置しており、芝生を抜けた下方にはぽつぽつとバンガローが作ってあり、そのさらに先に限りなく空の色と似た遠浅の透き通る海が広く見えたのだ。空と海は、まるで抱き合って一緒になっているようだった。その間を分かつ唯一のものが、中世からなんら形を変えていないであろう、帆掛け船だった。どこからやってくるのか、おとぎ話でしか見たことのないような、動力の付いていない、つぎはぎだらけの帆を悠々とたわませた風まかせの帆掛け船がすいすいと浅い海を滑って行く。その多くは漁船か、交通船だった。あまりにも空と海が薄く青く透明でどこまでもつづくので一瞬、自分が宙に浮いているような感覚になる。昔読んだ童話に出てきた、この世のものではない不思議の国のようである。ほんとうにこの絵のような海で人が暮らしているのだろうかと思うほどの清らかさで、景色と自分との間に次元的なへだたりすら感じた。


 バオバブロッジは安宿と言えどいろんな価格帯の部屋があり、同じタイミングで門を開けたスペイン人のハネムーン中だという夫婦はビーチフロントの特別良い立地の少し値段の高いバンガローを予約していた。わたしはテントを持っていたので、門近くの芝生にテントを張らせてもらうことになり、1日あたり八百円程度払えばよかった。
 ロッジの敷地には砂浜に面したベンチとテーブルがいくつか揃えてあり、そこに腰かけてこの清らかすぎる海を眺めた。
 潮が引いていくとともに、ヴィランクロの地元の住民たちが続々と現れた。色とりどりの布を頭や腰に巻いた女性たち。薄汚れたシャツをゆったり着た男たち。そのほとんどはたらいに洗濯物を持ったり、魚を売ったり、用事があって砂浜にいるようだ。人々を見ていると、確かにこれはおとぎ話ではなく手に取れる現実の世界のものとして景色がぐっと近づく感覚があった。


 岸の近くに帆掛け船が座礁している、と思ったら座礁ではなく停泊しているのだった。港があるわけではないので、満潮の時に砂浜ぎりぎりまで来ておいて、だんだん潮が引いていくのを待つ。そうすると船が水底に着き、傾いてはいるが停泊ができる。そこで獲った魚をおろし、手売りしているのだろう。満潮になったらまたぷかぷか浮かび、発進していくという。
 ほぼ透明な海水は、女性たちが砂浜で洗濯するのを、男たちが魚を獲るのを黙って見ているようだった。この海の清らかさからだろうか、暑い国モザンビークにいるはずなのに、なぜか太陽もどことなく、ぎらつかなくて爽やかで心地よい。
 よく見ると遠浅の海の向こうに、ぼんやりと大きな島がいくつか見える。その島々が水平線に連なるせいか、海というよりも巨大な湖のようでもある。島に阻まれて、ヴィランクロという土地はどんづまり感もあり、いやしかし、島の向こうを意識させる風景でもあった。
「あの島へ行くツアーがあるよ」
 気が付くとテーブルの向かいに、モザンビーク人の男が座っている。ああ、見つかった。安宿の旅は、勧誘との戦いだ。闇両替、物売り、物乞い…断るのが苦手なので会わないでおこう、とチェックインを済ませたあとは一息ついて、ヤシの木に隠れられる、中庭でもかなり端っこの席を選んだのに。


 ジョゼというその男は、海岸線のロッジに出入りしている観光ツアーの下請けのような仕事をしているらしかった。観光客に話しかけ、ツアーを申し込んでもらう。それでマージンを得る。あるいは外国人にピアスや絵などの土産物を売る。ジョゼは21歳だった。背はわたしよりも少し高いくらいで細身のきょとんとした顔の持ち主だった。潮風にくたびれたTシャツを着ている。
「いや、ええと、興味ないから…」
 しどろもどろに断ると、わたしにツアーに行く素振りが見られないのを見て、ジョゼは急に外国人を騙すアフリカ人の典型的な緊張した顔を辞めて、ふいに緊張をほぐしたようだった。
「ふう、まあ、いいや。ツアーは、気になったらまた言ってよ。それよりも、話し相手になってよ。英語の勉強がしたいんだ」


 バオバブロッジには、何人かの欧米人が働いていた。漫画に出てくるような太っちょマークと、ちびのデイヴのデコボココンビの、気の良い三十代オーストラリア人たち。彼らはいつもふざけていて、漫才のようなかけあいをいつまででもしている。それと髪の長くて頼りない、妖精のような顔つきをしたドイツ人の五十代にさしかかるかという女性、ジャスミン。ジャスミンは旅の途中でここのロッジ居心地がよくほぼボランティアのような形で気ままに働いていた。早期退職した金で暮らしているようだが、ドイツにはもう独立した娘がひとりいるといった。そして、ヴィランクロには恋人がいる、とも。ゆらゆらとした不思議な雰囲気のジャスミンは、少女のような雰囲気があり、若く見えなくもなかった。現地の二十代だか三十代のヴィランクロ人の恋人がいるというのだ。


 それと、ヴィランクロ人の長身サミュエル。彼は二十九歳だといい、精悍な顔つきをしている。ポルトガル語訛りだが英語を流ちょうに話す。シャワールームの修繕や、受付や事務仕事をしたりしていたかと思うと夜は屋外のバーでバーテンダーをしている。実質バオバブロッジはサミュエルが切り盛りしていた。あまり笑わず、ひたすらに真面目に仕事をたんたんとこなしている。オーストラリア人やドイツ人の遊びのような仕事ぶりに、文句ひとつ言わずに誰よりも働いていた。アフリカの人らしくゆったりとした身のこなしだが、その無駄のない動きは見事な仕事ぶりである。アフリカ人と言えば、誰もが陽気でいつも歌を歌っていて、よくしゃべるというのがステレオタイプだと思われるが、実際にはサミュエルのような勤勉で寡黙な働き者はたくさんいる。

 サミュエルはいつもアフリカの色とりどりの布を、欧風のシャツやキャップに仕立てたものを着ていた。アフリカの若者は、だぼだぼのTシャツであるとか、太いジーンズを腰にひっかける、などアメリカのワル風の恰好をしていることが多いけれど、サミュエルはいつもアフリカの色とりどりの幾何学模様のシャツを仕立てたものを一番上のボタンまで留めてきっちりと着ていて、それがまた似合っていた。いつも同じシャツではなく、毎回違う柄の布で仕立ててあった。「なぜいつもアフリカの柄を着ているの」と聞くと、「アフリカ生まれアフリカ育ちなのだから、アフリカの柄を着るのが当たり前だろう」とぶっきらぼうに答えた。若いのに古風な男である。


 その日は、忙しかった。大型バスでアフリカ中をまわる野性味あふれる観光バスツアーが手っ取り早く安全に要所を見たい観光客には人気なのだが、ちょうどそのバスがたくさんの客を連れて二台訪れた。数泊してからまた次の町へ行くのだ。二十人ほどの客がバオバブロッジにどっと増えた。芝生にテントが何張も増えた。そしてさらに、週末になると近隣に派遣されているアメリカやオーストラリアからのボランティア団体の隊員たちが、息抜きにバーに訪れる。平日はもっと辺鄙な村の中で活動しているが、週末はボランティアも休みになるので少し垢ぬけたところで酒を飲みたいということだ。南アフリカからのバカンス旅行客もちらほら増えた。
 夜になり、中庭中央の青空バーカウンターが開く。草ぶきでアフリカらしい屋根の付いたバーカウンターでサミュエルの様子を眺めていると、昼と変わらず冷静な顔つきでひとつも笑わずにたくさんの客の注文を、千手観音のごとく素早い手つきでさばいている。ビール、バーボンのロック、ビール、お嬢さんにはカクテル、アフリカでよく流通しているアマルーラという木の実の醸造酒…。


 バーが開店ししばらくは冷静に見えたサミュエルだったが、少しカウンターから身を乗り出してこっそり内部を見学すると、シンクの中に洗うべきグラスやマドラー、酒を混ぜるシェイカーがこんもり溜まっていた。そつなくこなしている風のサミュエルの額にも玉の汗がこぼれている。このままでは次の注文を受けるグラスがなくなりそうだ。そんなときに、一応働いているというはずのジャスミンは?マークは?デイヴは?誰も見当たらない。なんということだ。
 わたしはサミュエルに「あのう…手伝おうか」と声をかけた。サミュエルは驚いた風でも喜んでいる風でもないが、煩わしそうでもなかった。カウンター横にある古いスイングドアを開いた。
 わたしは皿洗いバイトの経験が一応あったので、おせっかいではあるけれど邪魔にはならないだろうと考えていた。深いシンクの中のごちゃごちゃをひとつひとつ洗っていくと、隣に置いてあるトレイに伏せていった。だんだんとグラスの余剰ができてきた。
 「あちらのお客さんにビールを頼む、そこの下のボックスにある瓶を開けて」
 ふいにサミュエルから指示が降ってきた。次はコーラの瓶とカップを、次はまたグラスを洗って。これを混ぜて渡して。そこの棚にあるやつを出して…しばらく注文をやり過ごすと、中庭に満杯になった客たちの宴のピークも過ぎたようだった。
 闇の中から突然カウンターに、白人の赤ら顔の男性が現れてひじをついた。太り気味の身体に白いポロシャツを着て、空いた胸元に金色の胸毛が見えた。五十代くらいだろうか、酩酊している。そういえばさっきもカウンターにきたかもしれない。
「おい、ニガー。酒をよこせい」
空になったグラスを持って、下の段であるカウンター内部を見下ろしている。赤みを帯びた金髪の、くるくる頭の白人。赤ら顔。差別用語。アフリカーンス語訛りの英語。南アフリカ共和国から休暇を過ごしにやってきた観光客だった。


 ニガーと呼ばれたサミュエルはまた淡々と、酒を用意している。その瞳は冷ややかではある。わたしは南アフリカの男性を見上げた。カウンターの裸電球に照らされた男性の後ろには、とっぷりと黒くなった闇があり、奥には海があった。ヴィランクロの潮風はじっとりと重くなっていた。
「おれはヨハネスブルクから来たんだ」
学生ばかりのケープタウンの生活では気付けなかった、アパルトヘイトの名残が南アの白人の肚にはしっかりと錨のように横たわっているのだ。誰よりも懸命に賢く働いているにもかかわらず、ニガーと呼ばれている人を目の前に、わたしはどうしようもなく怒りが感じられて、この男に食いかかりそうになった。
「おう、アジア人、チャイナか」
わたしを一瞥して男は用意された酒をくいとあおった。湿気をまとった大音量の浮かれたダンス音楽が妙にぎこちなく、ねっとりと肌に染みてくる。
「触ってもいい女を置いているのか、ここは」
というようなことを言ったのだと思う。ヨハネスブルクの男の手がカウンターの中の自分に向かって伸びてくる。アフリカーンス語訛りの英語でよくわからなかった。
 男の伸ばした手が、サミュエルによってさえぎられた。
「お客さん、僕のことはニガーと呼んでもいいけれど、女性に手を出すのはいけない」
 サミュエルが白人を睨んでいた。少し沈黙があって、ふん、黒人め生意気に、と酒を片手に男は宴に消えていった。向こうではオーストラリア人の女の子たちがどこから出してきたのか、酔っぱらいながらフラフープに興じている。ビリヤード台からもにぎやかに歓声が上がっている。
 突風のように起きた出来事に、わたしは安易にカウンターを手伝ったのを恥じた。いままでの旅では意識しなかったけれど、そうか、わたしは「こっち側」だったのか、と生まれて初めて差別を受けた経験だと気付く。カウンターの「こっち側」のアジア人は、アパルトヘイトを意識下に持つ男の目には触ってもいい対象に見えたのかもしれない。
「ごめんなさい、安易に手伝って。面倒なことになってしまった」サミュエルに謝っていると、寝ぼけまなこのマークとジャスミンがそろりと現れて、「あらあら、まあまあ」と事情を知りたしなめる。「いや、でも手伝ってくれてとても助かったよ、シフトにはいってるはずのジャスミンは来ないしさ」とサミュエルは夕寝していたジャスミンを見た。ジャスミンは知らん顔をしている。
「南アフリカの年配の人は、まだアパルトヘイト時代が終わってないんだよ。多くの差別主義者が、数多く残っているさ。特に、ああいう世代はさ」
 同じ白人であるマークは、白人代表として謝るようなふうに、苦々しい顔で言った。


 でもニガーと呼ばれて、そのままにしておくなんてあんまりだ、ああいうときはもっと怒ってもいいんじゃない、とわたしはサミュエルに訴えた。するとサミュエルはしたり顔で「よく聞きな。怒るのは簡単だ。でもあそこで怒ったら、オレは奴らと同じレベルになっちまうだろう。奴らには品性が欠けている、オレは奴らよりも品があるんだ。だからオレは怒らないんだ。」とアフリカ柄のキャップのつばを上げた。わたしはサミュエルたちモザンビーク人、アフリカ人たちが受けてきたであろう数々の不当な扱いのことを思って、そしてナイフを向けられても決して品性を失わずに振舞っているこの賢いモザンビーク人の言葉を聞いて、胸がいっぱいになってしまって、何も言えなくなってしまった。モザンビークの流行りのけたたましいリズムを刻むダンス音楽は、すこし冷え始めた星空の下をただ漂っていた。


 次の日、ジョゼはまた暇そうな顔をして、ロッジのベンチに現れた。
「僕さ、英語の勉強をしているんだ。観光客にビジネスするためにさ。でも、ネイティブスピーカーは英語の勉強にって言っても、まともに相手にしてくんないだろう。君くらいの英語だったら、お互い練習になるんじゃないかと思って」
おしゃべりの提案を受けて、それは確かにそう、と思いわたしはジョゼと話をすることにした。
「僕はスウェーデン人の恋人がいるんだ。ボランティアでモザンビークに来ていて。ぼくの地元の、ここより少し南のトーフウにいるんだ」
日本でいうところの青年海外協力隊のようなシステムは各国にあり、ジョゼの彼女はスウェーデンから派遣されてきたのだという。
「でもさ、彼女、会いたい会いたいばっかり言って、まあそれは僕を求めてるってことで気分はいいんだけどさ。でも僕は仕事が好きだから、毎週末彼女に会うよりも、もっと仕事をがんばりたいって実は思ってるんだけど。」
 モザンビークは一九九四年に内戦が終わった。いまもモザンビーク各地では、内戦時の名残の大砲や壊れたビルなど、ものものしい雰囲気が残る地域がある。内戦に参加したという年配者も出会った。地元の警察はカラシニコフ銃のような大きなライフル銃を携えていて危険な匂いがする。しかし内戦が終結した後は、復興バブルのはじまりだ。荒廃し、何もなくなってしまった大地に支援の手が入り、フロンティアでビジネスを始めるものも増え、テクノロジーの波が訪れ、一気にモザンビークは成長を続けている。


 そんな背景からなのか、わたしが訪れたときのモザンビークでは日本のバブル期同様、ボディコンのような肌と身体のラインを剥き出しにしたファッションが女性の間に流行っていた。
「モザンビークは今、みんな、金金、金なんだ。男は稼ぎたい。女はそれにあやかりたい。」
 ジョゼがため息をついた。日本でもバブル期は男性の羽振りが良いからなのか、女性は物質的に依存するように「アッシー君、メッシー君」などと男性を「使う」ように扱っていた。モザンビークでもその状況は同じなのかもしれない。
「いま、何をやってもビジネスをしたら儲けられるような状況だから、仕事を頑張りたい気持ちはぼくにももちろんわかるけれど、この国の女性は、いまいい女はいないよ。一生懸命仕事を頑張る男を金としか見ないなんて、ぼくは嫌なんだよな」
 実はバオバブロッジにいるオーストラリア人、デイヴにも現地妻ならぬ現地恋人がいた。20代の若いヴィランクロ人で、きついパーマをあてた瘦せっぽちで、多分に漏れずボディコンのような短いワンピースを着て、たまにロッジに現われていた。たいていが「おねだり」にくる用事なのだが、あるひデイヴが深刻な面持ちで
「今日、彼女に、卵を買ってよと言われたんだ」
と言った。卵は途上国では高級品である。
「ぼくはやだよ、と言ったんだ。服やバッグなら別だけど、卵なんてちっともロマンティックじゃないだろう」
誰から見ても金目当てに付き合っているのが見え透いているデイヴの現地恋人だったのだが、デイヴはその事実をつきつけられるのが嫌で、つまりほんとうに恋してしまっているので、卵などという生活感あふれるものを無心されるのを避けているのだった。太っちょで長身の相方マークは、デイヴをバカなやつだなと思いながらも、真実は言わないでいてあげるという絶妙な距離感を保っていた。
「ぼくはデイヴの彼女、あんまり好きじゃないな。でも彼女も熱心だからね。卵くらい買ってやってもいいと思うけどね」とマークはデイヴに聞こえないように笑った。やはり現地恋人はプロなのだ。
 ジョゼは男の懐具合を常に見ているような打算的な女は嫌だ、と言った。だからスウェーデン人の彼女を作ったのだろうに、会いたい、会いたいと言われるのも疲弊しているのでは、なかなか注文の多い男だ。


 ジョゼは夜になると、またバオバブロッジへやってきた。わたしたち異邦人は、マーケットでココナツと蟹を買って、カレーを作ってみようという試みを楽しんでいた。
 ココナツは市場で二束三文で売られていたが、ココナツの実からココナツミルクを作るのには苦心した。人の頭ほどある大きなココナツを半分に切り、専用の削り台にまたがり、その先に付いたぎざぎざしている金属の削り板でココナツの内側の白い部分だけを削り出す。そこへ水を足して、それから絞る。これがココナツミルクだ。これも異邦人だけではやり遂げることは出来なくて、ああだこうだと交代で削りながらなかなか削り高があがらないでいたときに「おまえたち、ココナツもまとも削れないのか?」と呆れたサミュエルが瞬く間に手際よく削ってくれたのだった。
 長い時間をかけてココナツミルクを作ったのに、たっぷりと蟹を入れて出汁を取ったのに、オーストラリア人のデイヴのミスでコンデンスミルクを入れすぎて甘い甘いカレーができた。


 中庭でジョゼがひとり、ぽつんとテーブルについていた。
「カレー、みんなで作ったんだけど、いる?」
「いや、持ってきているから」
ジョゼはカバンからビニール袋に入った容器を取り出した。
「お弁当作ってきているんだ。すごいね」
「ぼくも、カレーだよ。ひとりで暮らしているから、自分で作らないといけないから」
容器の中を覗くと、細かく野菜が切られてよく煮込んであるこの地方のカレーが白米とともに盛られていた。モザンビークでは稲作もされていて白米は流通している。急いで作ったと言っていたがジョゼのカレーのほうがうんと美味しそうに見えた。
 ジョゼの後ろのほうの席に、見慣れない連中がいた。
ジョゼが勧誘をしている島ツアーの船を操る地元の若者たちだった。
彼らもまた、たまには白人が飲んでいるような場所で飲みたくて四、五人連れだってバオバブロッジに来ているのだった。ジョゼも知り合いのようだったが、積極的にしゃべるわけでもなく、グループは違うようだった。
 彼らはジャマイカのレゲエをやる人のような恰好をしていた。肩ほどまである髪をちりちりに編んだドレッドヘアーに、緑と赤と黄色と黒のストライプ。みんな似たような服装に、風貌だ。奴隷としてアフリカを出て、ジャマイカで生まれたレゲエの文化や、アメリカで華開いたブラックな文化に、いまはアフリカ人たちは皆憧れているのだった。
 カレーをともに作った、イギリス人の初老の男性ビルは、デイヴとともに彼らの隣のテーブルに座っていた。
 甘いカレーを食べながら、余り過ぎた蟹は茹で蟹にしていたデイヴたちだったが、鍋ごとテーブルに置かれた手のひらほどの小さな蟹たちは食べる身を取り出すのに難儀なように見えた。
「君たちの中で蟹味噌を食べる人はいるかい?わたしの妻は、蟹味噌を食べるんだ。ああいった輩の気が知れない。あれは、クソだぞ」
とさっき蟹を茹でながら言って皆の笑いを誘っていたビルだった。
「君たち、蟹はいらんかね」
イギリス人のビルが、レゲエ風の若者たちに声をかけた。
「たくさんあるから食べてくれないかね」
 そのとたん、ひゅっと冷たい空気がテーブルの間に流れたのがわかった。
 若者のうち、一番声と身体の大きいのが、目をぎょろりとさせて大声で答えた。
「いらないよ。俺たち、どこに生まれてどこで育っていると思ってんだい。俺たちは海岸線に生きているんだぜ」
よく通る、歌うような声だった。その他の若者が、軽く笑っていた。そうだとも、蟹なんざ食い飽きている。違いない、おれたちゃ海岸線に生きている。


 わたし含め、その場にいた非地元民すべてが、大きな誤解をしていた。それは、モザンビーク人は飢えているに違いない、ということである。わたしは自分自身がさきほどジョゼに、あまり美味くもないカレーをすすめたのは、ジョゼが多少なりとも飢えているかもしれないと思ったからだったと気付いた。ジョゼはそのような思惑に気付いていたのだろうか?サミュエルもジョゼも観光客から幾度「施し」の眼差しを受けてきたことだろうか。わたしも本質的にはあのアパルトヘイトの南アフリカ人と同じなのだ。
 ビルは、若者たちに突っぱねられたが、あ、そう、という感じで山盛りになっている鍋の中の蟹に手を伸ばした。
 ジョゼは遠い世界を知ろうとし、サミュエルとも船乗りの若者とも一線を画しているように見えたが、この時ばかりは、ま、そういうことだから…しばらく黙っていなさい、という沈黙を求めるように目配せをした。


「ね、今日は潮が一番ひく日なんだ。遠浅の海がさらに浅くなるよ。海の中をじゃぶじゃぶ歩けるから、案内してあげるよ。遠くまで行けば、人魚がいるかもしれないよ」 
 滞在も終わりに近づいたころ、ジョゼが冗談を交えて誘った。実はわたしはアフリカの人魚伝説に興味があった。世界各地で人魚伝説というのがあり、日本にも、ヨーロッパにもオセアニアにも、そしてアフリカにも人魚をみたという人がいる。西アフリカでは人魚はマミ・ワタと呼ばれる水の精霊で、マミ・ワタが宗教観の主要部に位置している民族もいるのであなどれない。わたしはバブロッジのトイレの壁面に、人魚の絵が描かれていたのを発見した。それはアフリカ人らしい、平面的な絵で、夕暮れの海に黒い肌の人魚が浮かんでいる不思議な絵だった。それでジョゼに人魚伝説を聞いたことがあるか、と先日訊ねたのだった。
「ジョンジ」と彼は言った。
現地の言葉で、この海に住む人魚のことをジョンジというのだそうだ。彼は迷信さ、興味ないね、と言いながら、
「ジョンジを見たって言ってた人はたくさんいる。向こうの島のほうには何人か人魚がいるらしい。ジョンジは、すっごく色気があって、それで漁師を惑わせて海に連れ込み、殺してしまうんだそうだ」
と楽しそうにぶっそうなことを言った。人魚は漁師を殺してどうするんだろうか。わたしは海の底で漁師をむしゃむしゃ食べる人魚を想像した。美しい、黒い肢体。輝く鱗。日本やヨーロッパなどではそのように猟奇的な人魚の話は聞いたことが無い。いや、似たような話はあるかもしれない。
 
 浜に出ると、ロッジの持つリゾートの雰囲気は一切なくなる。長い木の棒に魚をたくさん吊って肩に提げ、「魚はいらんかね」と売る魚売り。熱帯の魚なので色とりどりだ。潮のなかで洗濯をするお母さんたち。塩気が服に付いてしまうと思うのだが、そんなことはおかまいなし。漁から帰ってきたばかりの帆掛け船を浜に付けるために、何十人もの人が浅瀬から浜まで人力で船を押す姿。潮が満ちるまで待てばいいのに、そうしたら船が浮いて押しやすくなるだろうに。そのような意見はヴィランクロの人々は取り合わないだろうとわかっていた。潮風の中で村人たちが歌うように掛け声を合わせて船を押すということにこそ、意味があるのだろう。
 合理と非合理、貧しさと豊かさ、という価値観をもとに生きている日本人からするとヴィランクロの暮らしは合理の彼岸にあるように見えた。しかしこの村は昔からこうだったのだろう。帆掛け船も、しばらく形を変えていないように、ここの暮らしもしばらくはこのようなものなのだ。合理は非合理になり、非合理は合理になる。豊かさと貧しさは表裏一体だ。
 この光景を見ると、ヴィランクロの海は決してリゾート地ではなく、地元の住人たちが暮らす場であることがわかる。この中で白人たちが水着姿で泳いでいたり浜辺で肌を焼いていたりしたら、おかしな光景である。浜に出るとヨーロッパ人も肩身が狭いのか、ここで泳ぐ人はほとんどおらず、もっと南の高級ホテルのプライベートビーチへ行って泳ぐそうだ。それでも気にしないヨーロッパ人はこの生活の浜でも水着姿になっている。大多数の「暮らし」の住民は、それを意識しているのかいないのかわからないような黒い眼をして、それぞれのやるべきことを続けている白人も、生活をしている黒人のことは「そこに無いもののように」肌を焼くのだ。まるでお互いに幽霊かのように、パラレルワールドにいるかのように。そこには黒人と白人の世界が交わることのないおかしな異次元感があるのだった。
 アジア人であるわたしはというと、どのように振舞うべきか、こんがらがってくる。村人からすれば、同じ「あちら側」の人であろう。でも白人からするとわたしはまたもや「あちら側」。わたしは欧米人ではないのだから欧米人のように振舞うのも筋が合わないが、地元民ではないから地元民としては振舞えない。


 ジョゼに連れられて浅い透明な海の中へ、ズボンをひざまでたくし上げて裸足で入る。隣では赤子を背に載せたお母さんたちが、せっせと洗濯をしたり何かを運んだりしている。ただ散策のために手ぶらで歩いているのが心もとなくて、自分もなにか重いものを運ばないといけないような気持ちになってくる。
 ジョゼはそんなわたしの心を知ってか知らずか、ずんずん沖のほうへ進んでいく。
 浅い海に浸した足元には、大小さまざま、色とりどりの魚が夢のように泳いでいるのだ。足元を見ていると、前のジョゼはずっと遠くへ行ってしまう。ジョゼは遠浅の海を歩くのに慣れている。わたしはと言うと、裸足で入っているものだから、貝殻の破片が足裏に刺さって痛みを感じていた。
「歩くの早いね」
わたしが言うと、
「海で暮らしているから」
ジョゼはぽつりと言った。
 浜から離れて遠くまでくると、まわりに人はおらず、船が沖に見えるだけになった。ロッジからは遠くにかすんで見えていた島々が、ややはっきりと見える。あのあたりに人魚が棲んでいるのだ。
 驚いたことに、海は生き物のように蠢いていた。押しては返す波が、透明な砂底を泡立てて掘る。遠浅の海でも、潮の流れの急な場所と、そうでもない場所がある。一見のっぺりとした平面に見える海は、実はそれぞれに癖のある場所があり、それが時間ごとに波とともに変化していく。
「ロブスターが、いる」
ジョゼが足元に目を凝らすと、青色と赤色の混じった柄の大きなロブスターが悠々と海の底を歩いている。
「獲ってあげようか、今晩のご飯になるぞ」
とジョゼはゆっくりと狙いを定めた。
じゃぽん、ロブスターはかさかさと足を素早く動かして逃げた。今晩はロブスターのごちそうにありつけない。
「小さなころから、こうやってロブスターや蟹を手で取っているからね。学校後にロブスターを手づかみして村のおっかさんたちに売るんだ。本当はできるんだけどなあ」
負け惜しみを言った。


 
「ああ、もう今から潮が満ちてくる時間だ。帰らないと」
そういったのもつかの間、ジョゼの言う通り、潮が大きな蛇のようにわたしの足を巻き取ろうとした。ぐわわ、と水の量が増える瞬間が確かにあった。こんなふうに、干潮と満潮の明らかな境目があるんだ、ヴィランクロには。潮の満ちてくる速さに負けないように砂浜の方向へと向かった。足元にいた魚やロブスターも、少し焦っているように見えた。
 わたしは足の裏の痛みと、驚くべき世界の透明さ、背を向けて歩いてどんどん進んでしまうジョゼ、その間で打ちのめされないようになんとかバランスを保って波をかきわけ歩いた。
 なんとか岸に戻ると、ジョゼは言った。
「ねえ、やっぱり人魚っていると思うな。ここで暮らしていると、不思議なことって起こるんだと分かる」
 ジョゼの心の中には、どこまでも透明な海が広がっていて、そこには人魚がいるのだった。わたしには無くて、海岸線に住むひとにだけあるもの。ジョゼはそう、あちら側の人だ。わたしの中には海がない。
「仕事で成功してどっかスウェーデンでもどこでも、遠くへ行きたい気持ちもあるけど、ぼくは海から離れられないような気持ちもするんだ」
 振り返ると潮はほとんど岸の近くまで満ちていて、さっきまでたくさんいた洗濯のお母さんや船乗りや魚売りはいなくなり、砂浜は取り片づけられたようにがらんとしていた。

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