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小説『ワンダリングノート・ファンタジー』(45)鏡の世界へ

Chapter45


「大丈夫、トムはまだ⋯⋯消えてはいない!!」

 レナはダンに渾身の一撃を喰らわせ、その勢いで次の行動が決まった。彼女の中にはトムの決断が自然と力を与えており、その導きに従って前進するのみだった。

『待て』

 ダンの唸るような音波が空を裂き、レナの足元に衝撃を送り込んだ。彼の圧倒的なプレッシャーが彼女を鈍らせようとする中、どうにか前進しようと必死に足を動かした。

「もう少し⋯⋯あとちょっとで⋯⋯またこの池に飛び込めれば⋯⋯!!」

 トムが警官に襲われる光景が、この池の水面に映し出されたのをレナは鮮明に思い出した。これはただの池ではなく、「絵本世界」と「現実世界」を繋ぐ門であると直感し、さらにダンがぽろっと漏らした「並行世界」という言葉から、そのつながりが現実のものであると確信した。信じることで物語を創り出すという「この世界」の理に、レナは賭けていた。

『⋯⋯斧が金色の輝きを放ち共鳴するならば、その秘密も知り得ているという証拠。それを確認したかったのだが、ぐっ⋯⋯悪手だったか? やるではないか娘よ⋯⋯「名演技」だったぞ? 主演女優賞をくれてやる』

「もう少し⋯⋯池の淵まで、手を伸ばして⋯⋯」

 一歩一歩懸命に進もうとするレナをよそに、空を覆っていた雨雲は晴れ、傍観する気まぐれな太陽が顔を出した。瞬間、割れ散らばった鏡の破片が、うずくまるダンの黒く淀んだ顔を一斉に照らし上げた。

『フフ⋯⋯ハハハ! この「絵本世界」においては、全てが俺の味方だ! この光の反射が、俺の「鏡の能力」を格段に増幅させてくれるぞ!!』

 ダンの焼けこげたような顔面が、日光の反射で得られた「鏡のパワー」を浴びて、見る見るうちに修復されていった。彼はすぐさまレナの方を振り向き、彼女がまさに池に飛び込む瞬間を目撃した。ダンは左腕を伸ばし、手のひらを大きく開いた。

『逃がすものか!! パラレル・ミ──』

 ダンの「宣言」の途中で予期せぬものが彼の顔に飛び込み、へばり付いた。それはひどくベタつく感触で、飛び跳ねるのが得意な生き物だった。

『なっ⋯⋯! これは⋯⋯カエルか⋯⋯!?』

「ゲコッ」

 ダンは怒り混じりにそのカエルを顔から剥がし取り、不快感を隠しきれない表情でそれを見つめた。

『金色のカエルだと⋯⋯これも偶然か? そして、娘は⋯⋯』

 彼は波打つ池の水面を見ながら、手に持ったカエルに再び目を落とした。それが予期せぬ形で自身のストーリーに割り込んできたことに、ダンは大笑いをした。

『小娘よ⋯⋯今は「泳がせて」おいてやる。そしてあの小僧を⋯⋯別の並行世界の「トム」とやらを探すつもりだろうが⋯⋯フフ、上手くいけばいいがな』

 池に放たれたカエルの小さな波紋は、別の世界への扉を開いたかのように、ダンの足元まで広がった。


***


 何も聞こえない、完全な無音の空間。池に飛び込んだはずのレナは、真っ暗な場所にぽつんと立っていた。周囲の距離感もまったく掴めず、どれほどの広さや深さに自分が存在しているのかさえわからなかった。
 彼女の周りには無数の冷たい視線があるようで、あらゆる角度から監視されているような圧迫感を感じた。その不安から、自然と自分の肩を抱くように腕を組んだ。

 「やっぱり⋯⋯あの池は別の世界へ繋がっていたんだわ。思考の具現化⋯⋯なんでもありの世界⋯⋯でも、ここはまだ、元の「現実世界」じゃなさそうね」

 レナは右足を擦りながら、恐る恐る一歩を踏み出した。暗闇の中で明かりが欲しいと切に願ったが、彼女の頭の中でイメージが霧散してしまい、手がかりを探るように空中を掴む仕草をした。しかし、なぜかそれは思うように浮かび上がらず、頭の中のパズルのピースが欠けてしまったような気分だった。

「え? イメージができない? というか⋯⋯思考が進まない!?」

 「絵本世界」の能力が全く働かないこの場所で、強い恐怖感がレナを襲った。支配者のダンからは一時的に逃げ延びたものの、この不確かな暗黒の中でどうすればよいのか、彼女は全く見当がつかずパニックに陥った。泣き出しそうになる絶望の中で悲鳴を上げようとしたその瞬間、レナの制服のスカートを引っ張る小さな手が現れた。

「お姉ちゃん、大丈夫? ここは一番暗い場所だから、一緒にあっちへ行こう?」

 見下ろしたレナはハッと息を呑んだ。それは漆黒の空間から徐々に姿を現し、幼いながらも懐かしい面影のある笑顔で彼女を見つめていた。

「あなたはさっき、鏡に映っていた⋯⋯子供のトム⋯⋯!!」

 牛柄のTシャツで、赤いズボンを履いた裸足のトムが嬉しそうにレナを迎え入れた。彼はレナの手を取り、深い闇の中から光へと導こうとした。


"Ribbit!"


第44話     

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