小説『ワンダリングノート・ファンタジー』(70)最終話〜いつもの二人で
Chapter70
「それじゃあ、レナ! 一緒に帰ろうか?」
「一緒に? 私と?」
靴に履き替えながら、レナは驚いた様子で答えた。トムはその表情を見て、気恥ずかしそうに目を逸らした。
「いや、何だか⋯⋯今日は天気がいいね! 傘なんて必要──えっ、雨!?」
「天気雨ね。私は傘持ってるから、関係ないけど」
「ああ、そうか⋯⋯僕は、持ってきてないな⋯⋯はは」
「入る? あなたは半分濡れてもらうけど、それでもいいなら」
レナはすたすたと歩き出し、折り畳み傘を開きながら淡々とした口調でトムに言う。
「え、いいの? それじゃ、遠慮なく⋯⋯」
トムはレナの差す傘に身を屈めながら、彼女の歩幅に合わせて一緒に校舎の正門を抜けた。
「⋯⋯で、何よ急に? あなたが私に話しかけてくるなんて、いつ以来かしら?」
「え? ああ⋯⋯そうだったっけ? いや、今日は何だか、君と一緒に帰りたい気分になったんだ。ダメかな?」
「もう一緒に帰ってるじゃない。あなた、そんなノリだった? 人が違ったみたい」
「え? 君も⋯⋯何だかその、冷たい態度のような気もするんだけど?」
「はあ? あなた⋯⋯私のこと散々無視してきたくせに、何言ってるのよ?」
気まずそうな表情のトムに、レナは傘をぷいと預けた。
「え? 君が濡れちゃうよ?」
「もう止んだもの」
レナはほんの少し、照れくさそうに目を逸らした。トムはそれに気づかず濡れた制服の肩についた雫を払い、水色の折り畳み傘を丁寧に閉じた。
***
「こっちは降ってなかったみたいね? 全然濡れてないもの」
「そ、そうだね。よかった、うん。久しぶりだねこの公園は! ベンチにでも座ろうか?」
明らかに様子のおかしいトムの態度に、レナは顔をしかめて言った。
「それで、私に何の用があるの? あなた⋯⋯何を企んでるの?」
「企む? いや、全然そんなんじゃないんだよ。ただ君とその⋯⋯久しぶりに話がしたくなったっていうか」
「何の話よ? 共通の話題も分からないくらい、時間が経ってるけど?」
「う⋯⋯それは、これから埋めて行けばいいんだ。大丈夫だよ!」
「何それ? あなた、どこか変よ? 頭でも打ったの?」
「まあ⋯⋯そんなところかな? ちょっと記憶が曖昧なんだよね⋯⋯」
「ちょっと、それホントなの? それを先に言いなさいよね! どうりでおかしいと思ったわ?」
レナは心配そうにトムを見つめた。その表情から、嘘は言っていないと判断した彼女は静かに彼の横へ座り、続けて尋ねた。
「その事を私に伝えようとしたのね? それで、どこで頭を打ったの? 家の階段から落ちたとか?」
「いや、頭をぶつけたとかじゃなくて。ただ、小説を書いていただけなんだけど、僕にもよく分からないんだよね」
「小説? あなた昔、漫画を描いてたわよね? それって⋯⋯頭を使いすぎちゃったってこと?」
「いや、それがね⋯⋯信じてもらえないかもしれないんだけど、これを見て欲しいんだ」
トムは徐に、自分のカバンから一冊のノートを取り出してレナに渡した。
「何? この表紙のタイトルは⋯⋯『さまようメモ』? あなた、どこへ行くつもりなの?」
「え? これって『不思議な』って意味じゃなかったっけ?」
「ああ、それならスペルが間違ってるわよ。ここの『a』を『o』に変えないと」
「さすがはレナ様! 聡明でいらっしゃる」
「茶化さないで。この最後の音符は、飾り?」
「え? いや、特に意味はないよ」
──wondering note♪──
「ふ〜ん⋯⋯note。音符って意味もあるから、別にそれでもいいけどね。で、これがどうしたのよ?」
「よし、準備は整った⋯⋯レナ、これから起こることを、目を逸らさずに受け止めてほしい。これは君にしか頼めない、大切な事なんだ。お願いだ、僕を助けると思って!」
「どうしたのよ急に? そんな風に言われたら、プレッシャーを感じるじゃない。一体何なのよ?」
「このノートは、僕が書いたんじゃない。勝手に『描かれて』いくんだ。まずはそれを見てほしい」
「勝手にって⋯⋯オカルトじゃないんだから──えっ!?」
レナは自分の目を疑った。トムによってノートがめくられた瞬間、無数の象形文字のようなものが渦を巻いてその上に現れた。それらはやがてアルファベットを形どり、白紙のページに馴染むように一文字ずつ、ふわりと舞い降りた。
「何これ!? 空間に文字が現れて⋯⋯書かれていくわ!! まるで立体映像っ!? どういう仕組みなのよこれ??」
「レナ⋯⋯君は、この不思議な現象を受け入れてくれるかい?」
「ちょっと待って! これは⋯⋯手品とかじゃないのよね!? この目で実際に見てしまったんだから⋯⋯もう信じるしか、ないわよ」
「ありがとう。それじゃ、ここに何て書かれてあるのか、読めるかな?」
"Believe without a shadow of doubt."
「これはええと⋯⋯『信じよ、疑いの影なく』でいいのかしら?」
その瞬間、ノートから強烈な光が放たれた。彼らを包み込んだ記憶の旋律は、二人の心に寄り添うように奏でられ、溶け込んでいく。トムはそっとレナの手を取り、放心状態の彼女の目を見つめながら尋ねた。
「どうかな⋯⋯何か思い出した? ここが何処か、わかるかい?」
「⋯⋯いつも一緒に遊んでたのに、急にそっけなくされて⋯⋯。嫌われちゃったのかと思った」
「え?」
「あの『長い旅の想い出』を、もう一度記憶に留めるためには⋯⋯それなりの空白の期間が私たちには必要だったのね? 記憶のデータを空けておいた的な?」
鏡の世界の記憶を取り戻したレナはトムの手を、その存在を確かめるように優しく包んだ。
「全てが元通りってわけにはいかないけど、それすら⋯⋯『並行世界』ですら、やがて一つになるかもしれない。僕らはゆっくりと、焦らずに信じていけばいいんだ⋯⋯」
「トム⋯⋯」
「え?」
「みんな見てる」
心地よい風が吹くいつもの公園で、いつもの二人は長旅の疲れを癒した。彼らの物語は心のノートへと、優しく刻まれていった。
《完》
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