見出し画像

『信仰』について考えてみる

村田沙耶香さんの著作を読むのは2冊目。1冊目の『コンビニ人間』の読後感は、これまで読んだことのあったどの本とも違う感覚で、相当乱暴に無理矢理に端折って敢えて一言で言うなら「なんじゃこりゃああああ!!!」だったのですが。

今回の本は「なんじゃこりゃああああ!!!でもなるほどおおおお!!!」の二言にならざるを得ない感じでした。

『信仰』- 著者:村田沙耶香さん

今回は短編集で、小説とエッセイが予告なしに複数入り混じっている不思議な構成でした。物語かと思いきや突然エッセイでドキッとしたり。
じゃあ一体何が「なるほどおおお」だったのかと言うと、その一見無秩序に並んでいるように見える作品たちの根底に、終始一貫しているとも言える村田さんのテーマ性を垣間見た気がしたからです。(だからこそ『コンビニ人間』の時のあの表現やあの描写があったのか、と腑に落ちる感覚でした。)

この本は読後感はスッキリ爽やか!には程遠く、心はざわつくし、日頃無いものとしているような、見てはいけないものを見てしまっているような、何とも言えない気持ちが残りました。もしも「自分史上好きな本に入りますか?」と言われれば「いや、全然好きではないです」なんだけれども。でも、スルメのようにジワジワくる本で、そっと読み返してみたくなりました。(失礼な表現に感じられてしまったらごめんなさい)

新参者としても感じることは、村田さんの作品にはどうやら「『普通』って何?」をとても生々しく突きつけられるということ。主な登場人物の考え方や性格、物語の設定は「極端」なところが大いにあるにも関わらず、彼女たちにとっての「普通」はじゃあどうして「異常」と言い切れるのか?そもそも私たちが「普通」と思っていることのは本当に普通?じゃあ異質性って?それに本当の多様性って?
そういう問いかけが、どの作品にも根底に感じられる気がしました。

エッセイでは、こういった表現が印象的で。

異物になってはいけない。私は周りの子供の真似をし、できるだけ普通の子供であるよう、目立たないように必死に振る舞った。学校は恐ろしい場所だった。異物はすぐに発見され、集団から迫害され、嘲笑の対象になった。

P.93「彼らの惑星へ帰っていくこと」

当時の私は、「個性」とは、「大人たちにとって気持ちがいい、想像がつく範囲の、ちょうどいい、素敵な特徴を見せてください!」という意味の言葉なのだな、と思った。

P.111「気持ちよさという罪」

「自分にとって気持ちがいい多様性」が怖い。「自分にとって気持ちが悪い多様性」が何なのか、ちゃんと自分の中で克明に言語化されて辿り着くまで、その言葉を使って快楽に浸るのが怖い。そして、自分にとって都合が悪く、絶望的に気持ちが悪い「多様性」のこともきちんと考えられるようになるまで、その言葉を使う権利は自分にはない、とどこかで思っている。

P.112「気持ちよさという罪」

なるほど、だからあの作品のあの登場人物はあの時ああだったんだな、と。

そして、このインタビュー記事が良かったのでぜひオススメ。本を読んだ後に読むとさらに理解が深まります。作家ってすごい。作家の方々の頭の中ってほんと、どうなっているんだろうといつも思う。

奇しくも「信仰」「信条」などのワードがとてつもなくタイムリーな最近の日本社会、いや世界中の社会がそうか。信じるって何だろう、普通って何だろう。そんなことをじっくり考えてみたい時に手に取ってみると良いかもしれません。

この記事が参加している募集

#読書感想文

187,975件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?