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徒然なるままに・・・032_20220610

外国に住んでみた(オーストラリア編)

2年ほどオーストラリアに住んでいた。
2006年、日豪交流年の年だった。

外国に2年も住んでいたとなると当然、英語は・・・となるが、残念なことに、オフィスは日本人と日本語を話せる現地スタッフのみ。オフィスの中は日本語だったので、2年間で英語を話す機会は、ほとんどなかった。(これははっきり言って英語が上達しなかった言い訳です)。

私の日記(徒然なるままに・・・)は、時代が前後する。書きたいときに書きたいことを書くので、なぜオーストラリアに行くことになったかはまたの機会に。

私は外国に住んでみたくて、国際的な仕事がしてみたくて、20代頑張っていた。
その「夢」のために取り組んだこと。
・大学院に行ってみた(なろうとした職が修士以上が条件だったため)
・社交ダンスを習ってみた(ドレスも2着買っていったのに、一度も踊る機会がなかった。まぁそりゃそうだ。イメージ間違ってたかも)
・極真空手に通ってみた(女性が一人行く場合の護身術のため。周囲の人からは、「で、なぜ数ある中から極真空手を選んだのか?」と不思議がられたが)

違う違う!!
取り組み方、ちっがーーう!!
(取り組み方間違いはいまだに治らない・・・)

行こうとしている国のこと、もっと知るべき。
赴任直後、首相の名前すら知らなかった。ジョンハワード?誰それ?みたいな。
言葉、ある程度分かってた方がよかったかも。
英語は好きだったけど、結局勉強しなかった。話すほどのレベルにならなかった。情けない。それが、現地の人との交流を避け、日本人集団という楽な方に流れる逃げ道を作ってしまった。

日本のこともちゃんと知っておくべき。
2年間、オーストラリアの人と会えば、日本のことをいろいろ聞かれることがあった。答えられない。情けない。政治的なこと、経済・環境のこと、文化のこと、食べ物のこと、習慣・風習などなど。

事前の取り組み方を間違えた挙句、現地に行ってからも取り組み方を間違えた(苦笑)

現地の食事を楽しむべき。
私はもともと和食が好き。オーストラリアの食事はいまいち口に合わなかった。最初はシーフード料理などを楽しんでいたが、すぐに飽きて、中華街に行って、中華料理を食べたり、タイ料理、ベトナム料理、イタリア料理、スペイン料理、韓国料理など和食以外のものを食べるようにしてみたが、1週間に1回はラーメンを食べないとダメになり、刺身、天ぷら、Wagyuの焼肉が食べられるジャパレス(Japanese Restaurant)にしか行かなくなった。
東京マートという日本の食材を売っている場所に行き、米をはじめ、納豆や豆腐などを買って食べる生活の方がトータルでは多かったと思う。

カンガルーやクロコダイル(ワニ)、エミューなどの変わった肉も食べてみた。
オーストラリアはやっぱりシーフードが一番。オイスター(牡蛎)やマッスル(ムール貝)はよく食べた。

私は酒を飲まない(と、しょっちゅう書いているがホントか?)が、オーストラリアワインはおすすめだ。私はオーストラリアでワインを覚えた。
シラーズ(シラー:赤ワイン)が好きだ。
日本の駐在員をあつめたワイン会というのがあり、利きワインをするイベントに参加したりもしていた。
ワイナリーも各地にあり、おすすめはSA(サウスオーストラリア州)のバロッサバレー。ロックフォードのバスケットプレスは最高だ(ワイン通の真似)

現地のスポーツを楽しむべき。
ちょうどワールドカップの開催年であり、日本対オーストラリア戦をアウェイの形で観戦することになった。1841年に創業した老舗の「The Lord Nelson Brewery Hotel」のバーでみんなで観戦。最初は日本が勝っていて、われわれ少数のグループがそれなりに盛り上がり、この場所を去るとき、ヤバいんでないかと少し心配になりながら終盤、あっさり逆転負けした。いい思い出だ。
オーストラリアといえば、サッカーよりラグビー。3種類のラグビーがあって、日本で人気の15人制の「ラグビー・ユニオン」よりも「ラグビーリーグ」が人気。そして「オーストラリアンフットボール」(AFL)これが、一番人気があるのかな?そもそもこれをラグビーと言っていいのかよくわからない。近くにOval(楕円形のグラウンド)があり、AFLの試合を観戦したが、まったくルールが分からなかった。
そして、クリケット。テレビをつければ、ずっとクリケットの試合を流していたが、これも全く分からず。
もっと勉強して、現地で楽しめばよかったな。

オーストラリアへの旅行が再開された。あー早く帰りたい!
私がそう言えば夫が目を細くして「現地にいるとき、全然楽しそうじゃなかったじゃないっ!」という。そうなんだよね、2年間もいたんだから、もっと楽しめばよかった。当時は日本に帰りたい病になってたからね。
そう、いかに「今を生きる」かが大事。今を大事にしなかった私は後悔がいっぱい。


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