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ほのぼの生きる  061_20230312

課題を共有することで物事は加速的に進む

最近、我が家では少しだけ「ズレ」が生じていた。
義母の手術に関することは私に一任され、逐一、夫には状況を説明していた。
時々、自分の母親のことなのに、冷たいなと思うことがあった。
でも、それは違うことも分かっていた。
私には今向き合う課題がないからだ。
自分に仕事があれば、もっと冷たかっただろうなと思う。
3月異動の時期、夫の気持ちは自分の4月からに気持ちが向いている。それが理解できるからこそ、私は何も言わなかった。

義母が入院している間の家の管理の件、病院との対応方法、義母の入院とは全く関係ない私たちの計画の修正の件。
私は義母の入院と手術について、随分前から我が家の課題ととらえ、夫に提案するも、夫には状況が上手く伝わらず、私が想定している解決方法にはならなかった。
ところが、先日、義母の手術についての説明に夫が同行した。途端に状況が一変し、あの件はこうしよう、ああしようと、これまで私が散々提案していたことに乗っかり、さーっと動いたのだ。

これって、職場でもよくあったなー
担当者としてこれが問題だ、これはこうした方がいいと思い、上司に相談する。でも、上司にはその問題も提案も上手く伝わらない。上司が自分ごととして考えてくれないからだ。
もしかすると私の課題設定が違う時もあるかもしれない。でも、もしそれがそうだよね!と思う課題であっても、それを上司に共有させるのは至難の業だ。

もしかしたら、私が課題を十分に共有する前から、自分なりの解決策を提案してしまうのが問題なのかもしれない?
でも、「これの何が問題なんだ?それで君はどうしたいんだ?」と聞かれることを想定した場合、解決策まで考えないといけないと思い、一生懸命考え、提案をする。

課題はすでに発生しており(そのことはもうどうしようもないのだから、それよりも)問題を早く解決することが重要だと思ってしまうからなのか、課題よりも解決策の方に重点が行くことに問題があることを発見した。

解決策はたくさんの人の意見が反映された方がいい。
問題は「課題を課題としてどれだけ共有できているか」だ。

今回は現場(夫を病院)に連れていくという方法をとったが、決定権のある人に現場やそのものに触れ、課題を体感してもらうのが一番なのかもしれない。

これはプライベートの話にも共通する。
友だちの恋愛話でも悩み相談でも困っていることを聞くとき、ついつい分かった気になって、こうすれば?ああすれば?と提案してしまう。
友だちはきっと「そこじゃない!」と思うはずだ。
友だちが抱えている課題を共有してあげることがまずは大事なんだな。
あなたはこういうことに悩んでいるのね。私はあなたの気持ちをここまで理解してあげれていますよ、ということを示してあげることが大切だ。
それでも「この人全然わかってくれていないな」と思われることもあるかもしれない。でもその共有作業をしない限りは、物事は進んでいかないのかもしれないな。

せっかちな性格の私の悪い部分が出る苦手分野であった。

とりあえず、夫と課題の共有ができ、我が家の課題はうちの社長である夫の一声で円滑に進んだという話でした。めでたし、めでたし。


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