ほのぼの生きる 101_20230425
それでも煙草はやめられない
私はおじいちゃん子である。
私はおじいちゃんが52歳の時にできた初孫である。
当時はまだバリバリ働いていた。
祖母は43歳だった。ずいぶん歳の離れた夫婦。
おばあちゃんはとても体が弱くて、11回ぐらい手術していた。
母は一人っ子であった。
父は3歳年下、気の優しい農家の長男。お婿に来た。
大黒柱のおじいちゃんが頑張らないわけがない。
ちなみに私は(性格が)おじいちゃん(ときどき母)に似ていると言われている。
これから書く話は聞いた話であって、私は全く記憶にない。
3歳にもなっていなかっただろうという話である。
この出来事がなければ、我が家は全く違う形になっていたのかもしれないし、結局同じだったかもしれないし。
いずれにしても私は両親とはかなりの距離感で育ってきた。
おじいちゃん子=両親の直接的な接触が少ない
これは、実はうちの夫にも共通しており、夫はおばあちゃん子である。
おじいちゃん子とおばあちゃん子の私たち夫婦はお互いの両親との距離感が共通しているため、深い部分で理解ができているような気がしている。
さて、うぉんのすけの身に何が起こったのか。
ある日、「煙草」を食べてしまい、昏睡状態に陥ってしまった。
3日間ぐらい意識はなく、祖父が病院に寝泊りして見守ってくれていたそうである。生死をさまよっていたらしい。胃を洗浄するのに時間がかかったとのこと。
もう一度書くが、煙草を「食べた」のであり「吸った」のではない。
赤ちゃんを想像してほしい。
いつも見ているおじいちゃんとおとうさんが煙草を吸っている。
当然食べるものと勘違いをする。
ある日、ちゃぶ台の上に煙草が置いてあった。
赤ちゃんは、ハイハイしてちゃぶ台に近づき、煙草を手に取り、口に入れる。
・・・とまぁ、なんとなく想像できそうな。
想像できても、それあかんやつやろっ!っていう類のはなし。
問題は私が死にかけたという話ではない。ここからが本題である(えっもう800字でっせ。長くなるやんけ)
「あんた煙草食べて死にかけたんよ。
あれが原因でおじいちゃんはお父さんをめっちゃ怒って、私たちからあんたを奪ってしまった。お前みたいなやつに大事な孫は預けられんって」
母は言い訳がましく、私と自分たち夫婦が少し距離感があることをおじいちゃんのせいにしていた。
まぁ、いいけど。
「ところで、おじいちゃんの目って片方別の方向に向いているよね?なんか変。」
「あーあれはね、おじいちゃんがくわえ煙草してお前を高い高いしとったら、手元が崩れて、お前がおじいちゃんの上に落ちたんよ。それで煙草の灰が目に入って・・・」
ふーーん。
ところでさぁ、おじいちゃんもお父さんもいまだに煙草吸ってるよね。
私は幼いながらに、そのことがとても不思議だった。
子どもが死にかけた。自分の煙草のせいで。
自分の目が斜視になった。自分の煙草(孫?)のせいで。
私は自分が死にかけた話を聞かされる意味が分からなかった。
・・・そういうことがあってね、お父さん煙草止めたのよ
ではない。だからおじいちゃんがお前の面倒を見ている。
これは何の目的で私に聞かせる話なのか。
おじいちゃんが煙草を吸っていないのであれば、まだ納得もできた。
おじいちゃん、あんたもまだ吸ってるやん?
私は小さい時からそんな風に大人たちの言動を冷たく分析する変な子だった。
私は祖父や父(そして母)を責めたくてこの記事を書いているのではない。
煙草には中毒性がある。
人はどんなことが起こっても好きなものはなかなか止められない。
ということを学んだ、という話だ。
両親は完璧ではない。祖父も完璧ではない。
そういう完璧でない家族の中で、私はゆるさを学んだ。
母はとても厳格な人だった。でも完璧じゃない。
大人の言うことは正しいかもしれないが、完璧じゃない。
私は完璧じゃない人が大好きだ。
完璧な人なんているはずがない。
学校の先生だって、完璧じゃない。
そういう私は?
ゆるすぎて、不完全すぎて・・・私はこういう自分が大好きだ。
私は成人してから煙草を吸う人ばかりを好きになった。
バカだったのか。
いやあの頃は圧倒的に煙草を吸う人が多かったから確率的に仕方がない。
私は「自分を死に至らしめようとした憎き煙草を吸っている人が好き」な自分をこれまた完璧でない人として、面白がった。
世の中に禁煙ブームが到来した。
今は煙草の煙(副流煙)をちょっと吸っただけでむせ返る。
朝の散歩の時に、家の前で煙草を吸っている人に会うと、このやろー朝から気分を壊しやがってと、にらみつける。
夫は(たまたま)煙草を吸わない。
そうやって、自分の好みが変わるのも完璧でなくて面白い。
私が煙草を嫌いな理由が「食べて死にかけたからではない」からだ。
私は小さい時に死にかけたエピソードとその理由とそれに対する家族の反応などを織り交ぜて、今こうしてこの日記を書いている。
これがうぉんのすけの原点と言ってもいいのかもしれない。
おわり
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