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うぉんのすけ つれづれ短歌021_20230412

さくらに思うこと


「遅れ来し 桜の花に 未来駆け 笑顔で会おう この木の下で」
「春が来て ウグイス鳴いて 桜咲き 不動の心 それも人生」
「ひとつ咲き 満開の空 仰ぎ見て よくぞ咲いたと
 感謝するだけ」

例年より9日ほど早く桜が咲いたようである。
昨年も桜の記事を書いた。
今年も同じような心境だ。

ここの地域は、桜の開花が遅い。
今年もnoteで皆さんが桜(花見)の投稿を終えられ、私も花見をした気になってしまい、肝心の自分のタイミングではもうお腹がいっぱいになってしまった。感動が半減。いつもこれが残念なのである。

もし私が今、ここに桜の写真を掲載したとする。
すでに花見を終えた方々は、どう思うだろう。
「うわぁ、綺麗ですね」
「もう今年は見られないと思っていたけれど、また見られてよかったです」

実際、私は桜にどんな思いをいだいているのだろうか。

もしかしたら私は、桜の花が見たかったのではなく、桜の花が咲いた事実を喜んでいただけなのではないかと思ったりした。

たしかに桜は綺麗である。はかないがゆえに、一瞬を楽しみたい。

今年は時間がたっぷりあるから、あちこちに行ける、ゆっくり見られると思っていた。
あそこの桜も綺麗だな。こっちの桜も綺麗だな。
この桜並木道を今年は歩いてみようか。

でも、実際の私はたった一瞬、一か所の桜が咲いたところを見ただけで満足だった。

昨年までのことも思い出した。
桜が見たい、花見がしたい。
でも忙しくて今年も桜が見られなかったや。

それでも毎年私は満足していたように思う。
だって、今年も桜は咲いたから。桜の時期がやってきたから。

だから、やっぱり私は今年も花見はしない。
たまたま歩いた場所に咲いていた1本の桜を喜び、きっとあちこちで桜が満開となり、人々を楽しませていることだろうと思いを巡らせ、来年もまた咲いてほしいと願う。
そして来年のまたここで桜が咲いた時の自分が今よりも少しだけ幸せであるといいなと思う。

「桜が咲いた」ということが私のしあわせ:ありがとう💕

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