ポタージュ5
心と体がうまくいかないって時があります。
メンタルがブレブレのときに足を捻挫なんかするともう最悪なわけです。
それでも、一ついいことがあると、なんとなく頑張れたりもするわけです。
はい、ポタージュ5です。
それまではこちら
ポタージュ
イヤホンから流れてくる音楽というものは不思議なもので、耳元で鳴っているにも関わらず驚くほど心が落ち着く。逆に学校の休み時間なんかは、イヤホンとは程遠いところから聞こえてくるのにうるさく、しかし距離があるからこそなんだか孤独を感じてしまう。詰まるところ、僕は教室が苦手だ。
自分の教室からは少し離れたところにある視聴覚室で一人、音楽を聴きながら時間を潰す。イヤホンをつけてしまうのはどこであろうと同じだ。昼休みなんかはとても教室にいられない。その内失踪の噂が流れてしまいそうだが、教室にいるよりはマシだった。視線、人の声、数、全部が嫌いだった。
昼から、サボってしまおうか。
特段嫌なことがあったわけではない。そんなことを考えたのは初めてだった。けれどいつからだろう。辛いとき、悲しいとき、泣けなくなってしまったのは。誰にも話せなくなったのは。
開けた窓から入る風がカーテンを揺らす。気づくと逃げるように眠ってしまっていた。
とても、静かだった。
どれくらい経ったのだろう。片方のイヤホンを引っぺがされて飛び起きた。しまった、本当にサボってしまった。ああ、最悪の日だな。イヤホンのケーブルを伝って見上げる。その先には茶髪の少女が僕のイヤホンで音楽を聴いていた。
あの日、ずぶ濡れだった人だ。
首から包丁をさげていたような、鋭く強かったあの日とは全く別の雰囲気を纏って彼女はそこにいた。むしろ陽だまりのようなやわらかい出で立ちでそこにいた。何食わぬ顔で僕のイヤホンを勝手に使う彼女を咎める気にならなかった。瞳は、あの日のようにきれいだったからだ。
「あの…。」
「やっぱり。」
そう言って彼女はイヤホンを優しく手渡してくれた。そして笑顔を一つ、僕に見せた。
痛みが一つ、僕の胸に落ちてきた。
「DearRadioでしょ、これ。」
「知ってんの?」
「年の離れた兄貴がいるんだ。兄貴がよく聴いててあたしも好きなんだよね。」
それは古いバンドだった。昔ながらのリズムを残しながら、寄り添うような歌を歌うカッコいいバンドだった。もう何年も前に解散してしまったのだが、まさか知っている人がいるとは。
あいつっていつもよくわからない音楽聴いてるよな。
教室のどこかで、そう笑われた気がした。そこから僕はここにくるようになった。
「まさか学校でDearRadioの話ができると思わなかった。」
心からそう思った。
「あたしも。かっこいいけど古いもんね。」
彼女は僕のことを覚えていないようだった。けれど僕は、あの日のことを忘れるわけにはいかなかった。あの日見過ごしてしまったことを償いたい、などと語って許しを請うてはいけない。償うにはあまりに無関係だ。忘れてしまうにはあまりにも鮮烈で、けれどあの日の君とはあまりに正反対で、要するに僕にもどうすればいいのかわからない。この思考に陥った時点で偽善であることに変わりわない。けれど、あの日と比較しながらでなければ彼女と話すことはできなかった。心のどこかで安心したんだと思う。あの強く、悲しい背中は、日常のものでなかったことに。
「ねぇ、好きな曲何?」
彼女が僕の前に座る。それは子どものような笑顔で言うのだった。
rewrite lightかな。歌詞がいい。
わかる。Cメロの歌詞が好きかな。
Cメロ最強説あるんだけどわかる?
めっちゃわかる。どの曲もそうだよね。
君はどれが好きなの?
bloom sideかな。元気になれる。
「曝け出して走れ」ってところがいいよね。
一緒。そこだよねやっぱ。
久しぶりに笑った気がした。好きなものが同じということが、こんなにも嬉しいことを初めて知った。君も同じ気持ちなのだろうか。
もう少しで昼休みが終わる。一通り話し合えて僕たちは落ち着く。その時、彼女がおもむろに口を開いた。
「昼から、一緒にサボらない?」
痛みがもう一つ、胸に落ちる。
「なんで?」
「最近いいことないんだよね。」
知ってる。よく知っている。
「授業は楽しくないし、退屈だし。でも久しぶりに笑えたから、今なら楽しいことできるかなって。あんたも、嫌なことがあってここにいたんだろ?話し合うし、一緒に気分変えようよって思って。」
断らない理由はなかった。なぜなら僕も同じことを考えていたから。あの日ずぶ濡れだった少女の面影はどこにもなかった。
「僕でいいのか?」
「兄貴が、『DearRadio好きに悪い奴いない』って言ってた。ほら、いくぞ。」
そう言って彼女は僕の腕を掴んで教室を飛び出した。僕らは誰にも見られないように学校中を走り回って学校を抜け出した。僕らは限りなく笑顔で、夢中で走った。息が切れようとも、足がもつれようとも、教室にいるよりはマシだった。二人で走ったその瞬間は、秘密に近いものだった。
爽やかな風が、僕らの背中を押す。
「そう言えば。あんた、名前は?」
「僕の名前は………。」
一目惚れのような劇的なものはない。けれど僕の恋は、確かにこの瞬間から始まったものだった。