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病気を治すのは医者でも薬でも自分でもなく、自然だった

こんにちは!
アトピーが痛痒くて涙目なワッキーです。

こちらの記事の続きです。

私は心身の病気(そもそも何の病気なのかもわからないのですが)を治したい一心で、頑張りすぎていました。

だるさやめまいに耐えながら、立ちっぱなしで1時間以上かけて生搾りジュースを作ったり、土鍋で玄米ご飯を炊いていたり。

お風呂はいつもビワの葉や柑橘類の皮などを入れて、冷水シャワーで温冷浴をし、お風呂上がりには裸でせっせと化粧水やオイルを塗り込みます。

血だらけになった衣類はアルカリウォッシュ(セスキ炭酸ソーダ)でつけ置きしてから、気温がマイナスでも朝の散歩に行ってました。

頑張って食事療法や運動などをして、いいところまでは良くなるのに、イマイチ健康といえない状況なのは、

「食事が間違っているのだ」
「外部からやってくる毒のせいだ」

と悪者探しをしていました。

そして症状が悪化したら(好転反応や浄化であっても)、

「私の何がいけなかったの?」

と自分を(ときに他者を)責めていました。

そんななか、次の言葉に出会いました。

かならず春は来るから「東城百合子 著」より引用

病気は自分で治すものと、がんばりとつっぱりで力んでも、疲れる。内臓は自分で動かしてはいない。自然の働きです。それなら向こうまかせでいい。病気は治さなくていい。自分の間違いを正し、自然まかせの春風のように生きることだよと、砂は教えてくれました。

何が何でも病気を治したい。
自分なら病気を治せる。

それこそが私の病気の元であり、エゴであったのです。

そもそも病気を治すのは自分ではなく、自然、宇宙の采配であって、自分でできることは、食べ物や思考グセ、生き方の間違いを正すことだけだったのです。

だから、おまかせでいいのです。

自分でやれることをやっているなら、人やモノに助けを求めていいのです。

そして、必要以上に病気治しにこだわらないことです。

「よし! 人やモノに助けてもらおう!!」

と決心したとき、

臨時収入がありました。

封筒に入っているお金を取り出そうとしたら、余分に入っていました。
給付金受け取りの案内も届きました。

そのお金を使って、ゴッドクリーナーというデトックスの機械を頻繁に受けに行くことに。

お金が入ったから受けるのではなく、お金がかかってもいいから機械に頼るぞ! と決めたあとに臨時収入があったのです。

自立をしろ、自分軸を持てと言われて久しいですが、人やモノに頼ってはいけないという意味ではなく、自分ですべて決断して、自分でできることはやって、ときには人やモノを頼ったうえで、結果を宇宙におまかせする。どんな結果になっても受け入れる。

それでいいんだと思います。


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