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失楽園鍋

昨日に引き続き、今日も筒井ともみさんメニュー。



かつて日本列島に一大センセーションを巻き起こした、かの名作『失楽園』に登場する鍋を作ってみました!



役所広司さん演じる編集者が、黒木瞳さん演じるうつくしい人妻と出会ってヤンヤンするお話。道ならぬ恋に燃え上がった二人が選んだのは、愛の絶頂の中で共に命を絶つという選択だった―――と、まあ今さらいちいち書くまでもない、大変有名な恋物語ですな。

この作品が話題になった当時、私は薔薇色の頬をした純情可憐な乙女であったので、「恋情の果ての心中かァ……太宰治先生みたいでろまんてぃっくだけど、よくよく考えたらクソだなこの大人ども」ぐらいの印象しか持っていなかったけれど(すみません何しろ小娘でしたので)、その後映画版を観た時、黒木瞳さんのあまりのうつくしさと色香に脳の機能が一時停止するくらいの衝撃を受けたおもひでがあります。今もなおおうつくしいけれど、今作の黒木さん演ずる凛子さんは、本当に……神がかり的なうつくしさだったなあ。楚々としていて、知性と気品があって、濡れ場だろうと決して損なわれない清潔感。だからこそ匂いたつような妖艶さ、色っぽさ。何よりも、役所さん演ずる久木氏との逢瀬を重ねてゆくうちに、次第に意思の強さを増してゆく眼差しの変化が印象的だった。そりゃこんな人のためなら何もかもかなぐり捨てて猪突猛進不可避っすよね役所の兄貴ィィイイイ!!ってな感じで、マーとにかく黒木さんにときめきましたねえ。


お恥ずかしいことについ最近まで、この映画の脚本を筒井ともみさんが担当なすっていたことを知らずにいたし、映画の終盤に登場する鍋のこともすっかり記憶から抜け落ちていたのだけれど、前述の本に「二人の最後の晩餐」についての記述を発見し、ぜひとも食べてみたいなあと思った次第。

ただこの「失楽園鍋」には、私みたいな庶民がおいそれと手を出せない貴族の鶏肉すなわち鴨肉の購入が不可避だ。しかも鍋の具材がたった二種類しかないもんだから、そこそこの分量が必要なわけ。


ところが!

昨日出かけた肉のユートピア・ロピアにて、最高の出逢いがあったのだ。


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こ、これは……!ぽなちゃんのお宅で見かけたアイツでは?!

これならあたいにも買えるゥ~!ということで、喜び勇んでお連れ帰り申し上げた。いやそんでも、ふだん「100g100円以上之肉ヲ喰フベカラヅ」の誓いにのっとって暮らしている身としては、もんのすごいぜいたく気分ですけどもね……(ドキンコドキンコ


ということで、今夜の晩ごはん、鴨肉とクレソンの鍋。

作り方はいたって簡単。土鍋に水を張って昆布を一切れ沈めて火にかけ、ぐらっと煮たちかけたところでかつおぶしをパッと散らし、数秒置いてから火を止めて、昆布とかつおぶしを掬い取る。こいつを料理酒・塩・しょうゆで味つけしたら、スライスした鴨肉を投入。アクを取りながらしばし煮込み、鴨肉に火が通ったらクレソンをどさっとぶちこむ。クレソンがしんなりしたら火を止めてできあがり。クレソンは煮すぎると苦味が出るので、さっと火を通すのがコツだそうです。


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鴨肉とクレソンのみ、という大変シンプルなお鍋。江戸っ子の家系という筒井さんらしいメニューだ。私の敬愛する池波正太郎御大も、こういうお鍋はきっとお好きだろうなー。っていうか御大の著作に出てきてそう。


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なんとも静謐なたたずまいの鍋の中で、鴨の脂が輝いておられる……。

油は一滴も使ってないのに、鴨脂ってのはすごいもんですねえ。全盛期の私のデコ脂といい勝負。


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『失楽園』ではシャトー・マルゴーを合わせていたけれど、そんなもんを買った日には服毒前に私の精神(及びお財布)が爆死すること不可避なので、いつも呑んでる濃い口の赤を合わせます。

シャトー・マルゴー……いつか呑んでみたい憧れのぶどう酒であります。宝くじ当たったら、祝杯としてシャトー・マルゴーとかロマネ・コンティとかクリュッグなんかを並べて変わりばんこに呑むの。もちろんおつまみは柿ピーでな。


さて、失楽園鍋のお味はと言うと……鴨肉とクレソンのみで構成されているとは思えないほど、実に重厚なおいしさを放つ逸品!とにかくジルがどちゃくそめちゃんこおーいしーい!昆布かつお出汁に塩しょうゆだけなのに、なんでこんな奥行きのある旨みなんですか……?!って思わず箸を落っことしてしまった。さらりとした口当たりの澄んだスープでありながら、一口すすっただけで陶然となる濃厚な味わい、香りの高さ。鴨からふんだんに滲み出た脂が、がつんと響くパンチ力がありつつも佇まいはあくまで上品なコク、という離れ業をさらりと演出しなすっている。ちょっと重ための赤ワインとの相性も抜群!

心地よい噛みごたえのお肉は言うまでもなく、このジルをたっぷりと含んだクレソンがまた、うまいことうまいこと!クレソン特有のクセが、鴨の脂と絡み合い混ざり合い絶妙のハーモニーを奏でている。この組み合わせ、最適解すぎるってばよ。


しかしながら筒井さん曰く、この鍋の真骨頂は〆に有り、とのこと。具を食べきって残ったジルを、ほかほかごはんにぶっかけて黒こしょう振って食べると最高なんですって。やだやだなにそれ!そんなの絶対おいしいよ!!


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ということで〆までいただいちゃいました。箸休めは冷蔵庫にあったつぼ漬けと梅くらげちゃんで。このぶっかけがまた、夢のようにおいしゅうございました……(感涙)。具材の旨みをたっぷり吸ったジルをピリリと引き立てる黒こしょう、最高。もう具材抜きでいいからこのぶっかけごはんを最初から食わせてくれ丼で!そう叫びたくなるほどおいしかった。大満足です、ごちそうさまでした。


ところでこの『失楽園』の映画化が決まり、筒井さんに脚本依頼が来たものの、当初筒井さんは「私の世界とは水と油だから」と断られたらしい。冒頭に紹介した『いとしい人と、おいしい食卓』の中にもそのエピソードが語られている。なんでも、ヒロインの凛子にどうしても共感が持てなかったそうだ。

その後監督の森田芳光氏から口説き落とされて執筆に踏み切ったものの、凛子のキャラクターは渡辺淳一氏の原作とはかなりかけ離れたものに書き換えたそう。

「性の深淵に溺れ殉ずる女ではなく、本然的なセックスによって自立心に目覚めた女にした」とはご本人の弁。ところがこの一件で、原作者の渡辺氏はかーなーりご立腹なさったらしい。

で、制作陣から「一度でいいから渡辺氏を交えた会食に参加してほしい」と頼み込まれた筒井さん、緊張で大層ドキンコしながら一緒にごはんを食べたそう。あまりに緊張しすぎて食べてるものの味もさっぱり分からなかったらしいけれど、その会食の席上で、渡辺氏に聞かれたらしいんですね。主役の二人が最期を迎える前に食べるなら、どんな料理がいいか?と。

そして筒井さんは「鴨とクレソンの鍋がいいと思います。神聖でエロティックで……それに、シャトー・マルゴーにも合いますので」とお答えになったそう。その答えを聞いた時、渡辺氏は無言ではあったものの目をきらりと光らせたそうだ。そしてその三ヶ月後、終焉を迎えた原作に鴨とクレソンの鍋が登場した―――という、なんとも惚れ惚れするエピソードだった。オカンムリだった原作者の御大を、料理で、それもストーリーの肝となる終盤に登場する料理でうなずかせちゃうなんて、格好良すぎるじゃん……!


私は原作に触れていないので、小説版の凛子さんがどういう女性像なのかは分からない。分からないけれど、他者との肉体的結合によって自我の扉を開かれ、自分の道を自らの意志で歩もうという意思を持つ、という女性像はしっくりと腑に落ちるな。これは私個人の勝手な意見だけれど、今まで知らなかった性愛の悦びに溺れる時間なんて、女という生き物の前ではほんの刹那でしかないような気がする。それをきっかけに今まで知らなかった自分の本質に目覚めたことこそが、凛子さんにとっての真の悦びだったんじゃないかなあ。


なーんてことを、呑み残したワインをすすりながら考える夜です。映画、久しぶりにまた観ようかな。

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