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天使のみなさま、祝福はリモートにて願います (1)「眠りの天才」

(1)「眠りの天才」


 彼女の、そのかわいい寝顔を初めて見たのは、4年前の3月初めの土曜日のことだった。

 ゲームの専門学校の2年生の終わり。ボクたちは卒業制作の追い込みのため、授業のない土曜日の教室に詰めていた。開発機のディスプレイを睨んで格闘しているボク。ふと右横に座っている彼女のほうを見ると、疲れていたのだろう、デスクの上に組んだ腕にちょこんと乗せた顔をボクのほうに向けて、スヤスヤと寝息を立てていた。
 しばらく見とれていたボクは、彼女がいつだったか、こう言っていたのを思い出した。
「眠ってるときが、人生でいちばん幸せだよ」
 その言葉のとおり幸せそうな、かわいい寝顔だった。

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 2月最後の土曜日、彼女とボクは、東京駅を10時過ぎに出る新幹線に乗り込んだ。
 勤務先が運営するオンラインゲームで、前の日の深夜に深刻なバグが発覚し、プログラム修正作業の応援に彼女は呼び出された。部屋に戻ってきたのは早朝5時頃。数時間仮眠をとっただけの彼女は、二列シートの窓側の座席に着くと、ほどなく眠り始めた。
 彼女の向こうに見える窓の外を、どんどん後ろに飛んでいく風景。新幹線に乗るのは高校の修学旅行以来のボクの目には、新鮮に映った。そして4年前から変わらない彼女のかわいい寝顔は、ボクの隣の席に乗っかったまま新幹線で運ばれていく。

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 彼女の寝顔をボクが初めて間近に見たのは、3年半ほど前。彼女がボクの同僚になってから半年ほどした9月のことだった。
 深夜の彼女の部屋。シャワーから出てきたボクの前で、彼女はベッドに横向きになってすやすやと寝ていた。いたいけなくて、無防備な、そしてなんともかわいいその寝顔。触れた途端に壊れてしまいそうな儚さを感じたボクは、そのまま何もせずにベッドから下りた。

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 高校までの彼女は「眠りの天才」だった。もちろん本人がそう言ったんじゃなくて、ボクが彼女の話を聞いて得た印象だ。

 彼女がゲームに本格的にのめり込んだのは、中学生になってから。中学では吹部、高校では軽音部のバンドに加入してドラムスをやっていた。家で過ごす時間はもっぱらゲームプレイとドラムスの練習。それでいて睡眠時間は毎日8時間を絶対に下回らなかった。
 さぞや勉強は...と思ったら、地元のお嬢様学校の最難関校受験クラスに高校から入り、一般クラスも含めて200人以上いる同学年の中で、上位10番台を常にキープしていた。
「いつ勉強してたの?」あるときボクは彼女に尋ねた。
「もちろん授業中。そのための授業じゃね?」
「でも宿題とか」
「授業聞きながら、宿題になりそうな問題解いてた」

 ボクは、小学校低学年からゲームを始めた。母子家庭でひとりで過ごすことの多かったボクは、母親が買い与えてくれたゲーム機に熱中した。中学に入るとタブレットを買ってもらい、自分でゲームキャラクターを描くようになった。ボクが彼女と違って天才ではなかったのは、学校の勉強がさっぱりだったこと。年が明けてからやっつけで準備して、どうにか近所の公立高校に滑り込んだ。
 転機が訪れたのは、高校1年のときに応募したキャラクターデザインのコンテストで、佳作に入ったときのこと。中堅ゲームディベロッパーのAGL株式会社から「入選作を制作中のゲームのキャラクターの一人に使いたい」という話をいただいた。それがきっかけで、高校に通いながら放課後にAGLでアルバイトを始めた。

 高校を出た彼女は、東京の名門私大SH大学の理工学部に通いながら、専門学校の夜間部でゲームプログラミングを学んだ。
 ボクは高校を出ると、AGLでフルタイムのアルバイトとして働きながら、彼女と同じ専門学校の夜間部で3DCGの制作を学んだ。AGLはボクの2年間の学費のうち半額を負担し、残りは貸与という形でサポートしてくれた。

 二人が出会ったのは、入学後1ヶ月間の導入教育のクラスで机を並べたとき。ボクはクラスメイトから彼女のことを聞いて、「どうせ資産家のお嬢様のお遊びだろう」と思っていた。その彼女は、ボクのことを「ひ弱なゲームオタク」と思っていたらしい。彼女のボクについての印象は「当たらずとも遠からず」だが、ボクの彼女についての印象は全然的外れだったことが後にわかった。

 1年半プログラミングコースと3DCGコースに分かれて学んだ後、2年の後半はチームを組んでゲーム制作実習。それぞれのコースでトップの成績だったボクと彼女はチームを組むことになった。しばらくしてボクは彼女のプログラミングのセンスに圧倒された。そしてゲームに対する純粋な情熱に、最初の印象を取り下げることとなった。あとで聞いたところでは、彼女も同じ頃に、ボクのキャラクターデザインのセンスとゲームに対する情熱を認めてくれるようになったらしい。

 専門学校卒業時点で、ボクはAGLの正社員になることが決まっていた。
 大学と専門学校の掛け持ちで平均睡眠時間が一日に6時間を下回るようになっていた彼女。大学に専念して元の8時間睡眠に戻るのかと思ったら、ボクにこんな相談をしてきた。
「制作現場に入って経験するために、ゲーム会社で長期インターンをしたい」
「大学は休学するの?」
「うん。なので、キミの勤め先を紹介してくれないかな」
 ボクは所属していたグループのディレクターに相談し、技術統括の副社長とディレクターが彼女を面接した。その結果、彼女はAGLでフルタイムで働くこととなった。アルバイト待遇で、とりあえず半年の契約。

 ちょうど世界的なパンデミックが波及した時期に働き始めた彼女は、一時期出社もままならない状況だったけれど、次第に頭角を現していった。ボクと同じグループのプログラミングチームに配属され、半年後1回目の契約更改の頃には一人前のプログラマーに育っていた。大学に籍を置くインターンということを、チームのだれもが忘れるほどだった。

 ショートヘアでボーイッシュな彼女。AGLのオフィスでの服装もデニムのパンツスタイルがほとんどで、女の子という雰囲気はほとんど感じられなかった。ボクも専門学校の同期生として、ふだんは性別を意識することなく付き合った。チームが違うので、彼女と仕事で直接言葉を交わすことは少なかったけれど、ランチを一緒にし、夜食のコンビニ弁当を一緒に食べた。
 ただ、仮眠している彼女の寝顔を見ると、改めて女の子であることを意識させられた。

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 新幹線に乗車して30分くらいたった頃、ボクは手洗いに行ったついでに、自販機でコーヒーを2本買ってから席に戻った。小柄な体で座席にちょこんと収まった彼女。かわいい寝顔はそのままにして、自分の分のコーヒーに口をつける。

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 彼女がAGLに入ってからほぼ半年たった9月半ばの金曜日。ボクらが所属するグループが担当するタイトルの制作が佳境に入り、ボクや彼女も含めて多くのメンバーが徹夜、休日出勤続きになっていた。社長命令でその日は全員定時で退社し、リフレッシュのため週末の出勤は禁止となった。

 ボクは彼女から、オフィスの近くのよく行く洋食屋に誘われた。食事を終えると彼女が言った。
「今日、ウチに寄ってかね?」
「寄ってくって、方向正反対なんだけど」とボク。
「じゃあ、泊まってく?」
 ボーイッシュな彼女の、その言葉の意味をよく考えずにボクは答えた。
「うん。じゃ、せっかくだから」
 母親に「会社の人のところに泊まる」と連絡。泊まり込みも慣れたものなので、とやかく言われない。

 彼女の部屋に向かう電車の中、「緊急停止します」というアナウンスと同時に、非常ブレーキがかかった。強烈な減速Gに体勢を崩した彼女。その胸元がボクの腕に押し付けられる形になった。
 細身のボディに、いつもゆったりとした着こなしの彼女の外見からは、思いもつかない柔らかな膨らみの感触が伝わってきた。
「大人の女性の部屋に泊まる」ということが何を意味するのか、ようやく気付かされることとなった。

<続く>

★リンク先はこちら

作品紹介→https://note.com/wk2013/n/n4a6f336c637d

(2)→https://note.com/wk2013/n/nb63553b423ae

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