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元司令官からの年賀状

すでに30年ちかく年賀状をいただいている
Yさんは海上自衛隊で2番目に偉かった元司令官だ

小生のように大学をバックレ

22歳の時に中卒採用枠で入隊した人間とは
本来は別の世界を生きる人・・・
と担ぎ上げたいが

司令部勤務員としてお傍に仕え
「秘書役=海自では副官という」の下請けの最末端
であった小官には
「話のわかる普通のおじさん」である。

高位高官に登り詰める方は大区分すれば
2種類の人物がいる。

ひとつは「A本物」
もうひとつは「Bにせもの」
あたりまえのことだが・・・
近くで勤務すればその違いは歴然とする。

いわゆる将官級の方と勤務する機会は
普通の自衛官にはめったに回ってこない。

というより回ってこない方が
「好ましい」
小官はその方が普通であり幸せだと思う。

旧海軍の大佐級の方とはあちこちで接点が生ずる。
小官の職種は大雑把にいえば
「お金と人」だから仕方がない。

防衛省の事務官は原則として

【艦艇勤務〈司令部勤務を含む〉】や
【実配置〈もしもの場合武器を扱う〉航空部隊】
では勤務できない。
事務官も自衛隊員だが背広組は実任務につかない
制度だから仕方がない。

ただし自衛隊も組織上は役所と同様である。

予算執行や人事管理・文書管理が
最末端の現場でも発生する。

小官の職種はわかり訳す言えば
「制服を着た事務官」である。
自衛官なのに事務官と同じ職場にも勤務するし
海上幕僚監部から護衛艦・掃海艇・航空部隊まで
全ての部署に「事務系職域」の担当者として
椅子が置いてある。

自衛隊には共済組合という
「なかば銀行」のような組織があり・・・

事実上「貯金と貸付」を実施する。
その窓口には
「制服の自衛官」もいれば
「事務官」
「共済職員」もいる。

制服自衛官は事務官のかわりに
船や飛行機ではない役所部門にも勤務する・・・が
事務官は
「船や飛行機では勤務できない」
という一方通行の構造である。
自衛隊員なのに
「銀行やさんのような札勘を練習する」
小官はお金を数えるより使う方が得意だが
それでも
「海外の銀行でドル紙幣独特のインクのにおい」
を嫌になるほど嗅いできた。

組織の執行上指揮官はその予算や文書・人事の
最終責任を負っている

そのため小官の職域は
部隊指揮官に接触する機会が頻繁にある。

従って「将官級」が配置される部署では
将官へのお傍仕えが生じる。

小官はちまたで司令部勤務と言われる配置は
二度しか経験がない。

したがって現実に仕事でお仕えした将官級は数人である。

大佐・中佐級となると・・・
職種がらべき乗で増加する。

転勤するたびに小官の仕事の決裁者は大佐級が大半で
こちらもあちらも転勤周期が短いため
直接接触した指揮官だけで100人は超える。

階級が上がるほど・・・
職責が重くなるほど

大区分Aの比率は二乗倍に増加する。
Bのほうは中佐少佐級なら掃いて捨てるほど。。。
彼らは激しい生存競争にさらされるため
「付け焼刃はすぐにはがれる」

エッセンスとして高位へ進む方ほど
「ふうつの人柄の良いおじさん・おばさん」
が抽出される。

日本の海上安全は

「様々な機会や試練という訓練を受けて
 指揮官となる素養が認められた
 ふつうのおじさん・おばさん」が担っている。

普通のヒトなので・・・
時折問題は起きる
それは人間のサガである。

だからと言って仕方がないというつもりはない。
刑事・民事双方の責任はちゃんと負うべきである。
それが法治国家だ。

「試練を克服した普通人」は
磨き上げられた本物の玉として光る。
時折磨いても光らない場合がある・・・
産業機械ではないが・不良品発生率は
マスコミが叩くほど高くはない。
職業がら目立つのことは如何ともしがたい。
だから「社会的な責任が生ずる仕事」に従事する
気概が不可欠だろう。

たたき上げの小官にはマネできにない燻した金色の輝きは

責任と義務を微塵も感じさせないほど
「つかさつかさをすべる」

それゆえ量で劣る日本の海上自衛隊を
凌駕した国力と軍事力で
プレゼンスを把握したい近隣国の海軍も

「最後の撃鉄がひけない」


「空母いぶき」を架空のドラマだと・・・映画だが
そのリアリティーさは
現場にいた小官などが
「さもありなん」と感じたほどクオリティーがたかい。

自衛隊と接点のすくない多くのnote作者・読者に
伝わらないのはもどかしいが・・・

現場の自衛官は九分九厘
「国防だ!」と気負ってはいない。

毎日繰り返す訓練が・・・
「経済的損失だ!」
「経費の無駄!」
「税金の浪費!」

だと罵詈雑言をあび
言葉の暴力で罵倒されても・・・

「だまって聞き流せる普通のおじさん・おばさん」が
海上自衛隊の基幹部署を担っているかぎり盤石である。

小官世代やその後輩世代は

「はじめてほめられた自衛官である」

小官世代の自衛官は
「自衛艦入港反対」と大阪南港が赤い旗でいっぱいになり
「自衛官帰れ!」
罵られた最後の世代と兼務でもある。

そして阪神淡路・奥尻・東日本・・・・
数々の災害で「有事にお役にたつ」
という意味が偽りではないことが
本当に起きてしまった。

悲しい現実だが
「自衛隊の本務」災害対処の
実力が図らずしも証明された。

有事とは人災の戦争・戦乱だけでなく
天災も含んでいる・・その意味を
知っている人・知らない人・知っているのに知らんぷりの人
庶民.財産.国土を守るのは普通のおじ・おばが先頭に立つ自衛隊だ。

ただし
大分類Bのかたが・・・

組織を統べる危険性を排除したら
普通のおじ・おばが偉くなるというのは
もっとも勘違いされている誤解だ。

配置は人を作ると自衛隊・・・特に海自では語られる。

ずっとBのままではいられない・・・
人間は責任によって押しつぶされる場合があり

「重圧に耐えられない人に国の安全を任せるわけにはいかない」

ので・・・Bの方はどんどんフェイドアウトしていく。

そして元Bの方が様々な試練によって
「気が付いたらAになっていた」
それが海自の人間教育・・・らしい。
その真意はブラックボックスに格納されているのか小官にもわからない。

小官は船の分野で三分の二
飛行機の分野で三分の一をくらしたが

船乗りにせよ飛行機乗りにせよ
技量を磨くことは
「ドロ団子を玉の様に光らせる」
作業である。

若い時には「ん!・・・んん!・・・」という人材が
熟成をへて「あ!・・・ほう!・・・」と変化する過程だ。

その面白味は・・・
「はないちもんめ」に加わらないと理解できない。

「あの子が欲しい!」
「あの子じゃわからん!」
「相談しよう!そうしよう!」

それが海自の文化なのだ。
「海自は独断専行の組織に見えるが・・・
現実には間違いをおかさないように
あちこちに安全装置が効いている」

「空母いぶきの世界」が
もっとも現実に近い海自の文化である。

日々悩み苦悩する普通のおじ・おばは暴走できない。

普通の人が統べる能力を確保するまで
何十年もかけて指揮官を育てているのだ。

元司令官のYさんは
とある分野の第一人者であり・・・

ときたまテレビや新聞でお見かけする。
元部下のたたき上げ・・・
全経歴の80%が下士官であった
元ニセモノ患部自衛官にとっては

「やさしいおじいさん」である。

すべて手書きの年賀状を・・・
裏面も表面もすべて自筆の年賀状を
送っていただける唯一の方だ。

年賀状じまいが叫ばれる昨今
小生も・・・
年賀状を辞めたいのはヤマヤマだ。

ただし同期や元同僚・上司
知人などとの縁が切れるのが怖い。

「海上自衛隊は本物の儀礼廃止」の職場であり

33年間の現職であった期間
小官は一度も
「お中元・お歳暮・つけ届け」
や「同じ職場の同僚へ年賀状」
を送ることや・・・強制されることはなかった。

アフリカでともに勤務した陸自の同僚に
一番驚かれたのは

「え!お歳暮も年賀状もないの!」である。

それが海自の文化で

「陰でこそこそゴマすりする」のは
船乗りや飛行機乗りの気風とは合致しないらしい。

文化とはそいうものだろう。

ただし海自は
職場を離れると元同僚へ年賀状を送る習慣がある。

それも・・・
文化は変化するため
だんだんと年賀状は減ってきた。

今年7年振りにプリンターを新調した。
前任のプリンターは論文作成で酷使された。
何度も何度も時間外労働や過剰労働に耐えた功労者だがついに命脈が尽きた。

年賀状を書くためだけに新調したプリンターは
小生の文書作成・補助業務に必要不可欠だ。
すべて手書きだとハガキをもらう方が
「被害者の会」へ加入する危険がある。
判読不能な年賀状は迷惑どころか
「おとそ気分を砕く正月被害だ!」
防止するための窮余の策に投資は不可欠だ。

全盛期の四分の一となった年賀状は
今年も更に勢力を落とすだろう。

こうなったら最後一枚になるまで
辞めないというのもありかもしれない!

「世間に迂闊に迎合せず嫌われる」
これも船乗りと飛行機乗りが作る海自の文化だ。

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海尾守 中2病:かいびまもるMamoru KAIBI eighth-grader syndrome
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