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どうやら僕は無能らしい~学生編~

 小学生の頃から、どうも負け癖が付いた人生だった。

 スポーツもずば抜けず、学力も大したことはない。

 誰かのグループに必死に付いて行って、ひとりにならないように振る舞う。

 学生生活では、とにかく虐められた。

 酷い時は学校全体が自分を虐めに来ているような感覚に襲われた。

「何かで1番になりたい。でもきっと1番にはなれない」

 やる前から既に牙は抜け落ち、卑屈な笑顔を見せることで少しでも他者から脅かされることを避けていた。

 中学生に入ると、どうも自分は上中下のグループでは下に所属していることが改めて分かった。

 テストもそう、運動もそうだ。上には上がいるって思って、得意そうな分野でさえ上位に食い込むことなんて出来なかった。

「何をしても無駄だ」

 そう思って、勉強することすらしなかった。毎日が空虚に過ぎていく。

 ある日、七夕に願い事を書いた。

【1番になりたい】

【賢くなりたい】

【人気者になりたい】

 そんなことは願わなかった。ただ願ったのは

「楽に死ねますように」

 希望も何もなく、ずっと真綿で首を締められて息がしにくい人生だった。

 家族にそれが通報されて、激怒された。

「そんなに死にたければここから飛び降りろ」

 そう宣言されたが、飛び降りる勇気はなかった。

 ただ高い所から地面を見つめる。

 僕は言い訳をした。

「楽に死ねないだろうから」

 呆れられて、家族は部屋に戻っていった。

 死ぬ根性が無いから、とりあえず30歳までは生きてみよう。

 その時、どうしても生きる希望が見出せなかったら薬でも練炭でもなんでもすればいいや。

 人生を投げちゃって、あまりに雑に人生を歩んでいた。

 そんな僕にも、好きなことがあった。

 歴史の本を読むことだった。

 歴史の本は素晴らしい。自分には到底できないようなことを成し遂げていく偉人達が活躍している。

 母は歴史が嫌いだったが、子供にはそれを継承させまいと偉人伝だけは多く棚に並べられていた。

我が家にあった本

 偉人のようになりたい。

 でも僕は、偉人がやってきたような努力をするほど殊勝な男ではなかった。

【努力もしないくせに、大成したいと思う凡才】

 僕を正当に評価するならば、この言葉が相応しい。

 ただ、少し努力をしてみたところで、全然テストの点数なんて取れやしなかった。

「じゃあもっと努力すりゃいいじゃん!」

 僕の頭の中でそう誰かが囁いた。

「努力するのにも才能が要るんだよ」

 言い訳の虫が頭を這いずった。

 才能のある人が才能を伸ばすために更に努力する。

 一方僕は才能が無いくせに努力する才能も無かった。

 自身のサボりを肯定するために言っているんじゃない。

「お前さ、今日は何時間勉強したんだ?」

「俺10時間!」

 こんな会話が教室で聞こえてくる。彼らは自らの勉強時間の多さでマウント合戦を開始する。

「自分は1時間も勉強したら疲れてしまう」

 彼らの話をテスト前に聞いた自分の正直な感想だった。

 僕には成功体験が無かった。だからモチベーションが上がらないというのもあっただろうが、そもそも中卒で働こうと思っていた。

ここで働こうと思っていた

「頼むから高校ぐらいは卒業してくれ」

 ある日、母からそんな言葉を言われた。

 母子家庭で育ってきた自分は、早く働いて母を楽にさせたかったのだ。

「原田さんのお子さんは行ける高校がありません。名前を書いて受かるような高校で良いのであればどうぞ」

 担任からも3者面談で冷たく言われてしまった。

 当然だ。国数英理社5教科で500満点中200点以下なのだ。全体の成績でも下から3番目ぐらいだった。

「塾代払うから、勉強しなさい」

 母に負担をかけたくなかったのに、塾代で更に負担をかけさせることになってしまった。

 自分のような低レベルを受け入れるような塾はなかなか存在しなかったが、1つだけ馬鹿を引き取ってくれるところがあった。

「も~何で宿題しないんだ馬鹿! くたばれ!」

 戸塚ヨットスクールと同じように精魂叩き直してやるとばかりにバイオレンスだった。

体罰やりますと宣言するところ

 そこで優しく(?)教えてもらって、5教科で250点は取れるようになった。

 世間一般的にはレベルが低いが、自分にとっては充分だった。

 余談だが、我が中学校の成績は0.8倍で判定されると噂されるほどヤバいところだったので、そう考えると価値は落ちてしまうかもしれない。

 彼はなんとか高校生になることが出来た。奇跡のようなものだろう。

 1教科だけ高い点数を2倍にしてくれるというルールがあるらしい。

 社会の成績が良かったのだろうと今でも思う。

 ひとつ、高校生活は彼に対して厳しくも優しいものを与えてくれた。それは……

【留年の危機】である。

 高校は素晴らしい。勉強しないと学年を上げることなど出来ないのだから。

 優れた皆であれば、きっと留年なんて気にしないだろう。

 だが僕のメンタルは結構ギリギリだった。ハッキリ言ってヤバい。

 当時の僕の1番の敵は英語だった。なにせ【はだしのゲン】の影響で、

「鬼畜米英なる敵性言語には媚びぬ」

 と頭の中が現代の極右にすらもっと傾けと面罵できるほど驚きの偏り具合である。

英語を覚えなかった諸悪の根源

 20世紀の尊王攘夷思想(成績はポンコツ)のような狂いっぷりだ。

おかげで高校入試当時、


高校受験で覚えていた内容

 これとbe動詞だけで戦っていた。よく合格できたな、奇跡としか思えない。

 僕はかなりのビビりだった。留年をとんでもなく恐れていたのだ。

 塾代を払わせてまで高校に行かせた母への申し訳なさもあり、真面目に勉強した。

 流石は入学1週間以内にトイレがぶっ壊されたせいで封鎖されるほど狂った高校だ。

今日から俺は、トイレを殴る!

 入学まで真面目な人が多少いただろうが、一瞬で皆が勝手に落ちていく。

【留年にビビって勉強する僕 VS 遊びを覚えた高校生たち with 青春時代】

 僕は最下位ほどのお馬鹿さんだったのに、ビビっていたら280人中8位まで昇ってしまった……

 8位になっても、僕は全く自信を認めることが出来なかった。

「彼らが真面目に勉強し始めたらあっという間に最下層に落ちてしまう」

 これが僕の本音だった。

 僕はなんとか大学に入学した。

「歴史を趣味じゃなくて学問として学んでみたいんだ」

 勉強に関して初めて積極的に言った。母は嬉しそうだった。

 大阪に住んでいた僕は、歴史ということで京都にある大学を選んだのだ。

 280人中8位の人間なのだから、当然相当良い大学に進んだと思うだろう。

 だが忘れてはいけない。

 僕の高校は1週間でトイレが封鎖されるほど終わっている。

 しかも先ほどからの数字、実は盛っている。

 正しくは、220人中8位だ。

 60人退学した。たった3年でクラス2つ分吹き飛んだと思ってもらえば分かってもらえると思う。

 教務主任が保護者達に泣いて誤っていたらしい。

辛うじてFラン大学ではないが、Dランク大学であった。

母「在学中に学費を半分払うこと」

彼の大学への進学条件である。

当たり前だ。母子家庭かつ兄弟が他にもいて、学費は高い。

ざっくり4年間で400万円ということは……200万円は納めないといけない。

【50万円 × 4年 = 200万円】

 1年間で103万円が上限だったから、半分は学費行きだ。

 ここで、また才能の無さが発揮される。

 面接に5回落ちたのだ。買った履歴書を全て使い切ってしまった。


5枚使って全部落ちる無能がいるらしい

 原因は分かる。土日出勤出来るかの質問に、

「まだ大学でカリキュラムを組んでいないから、正しく返答できない」

 であったからだ。

 反省を活かして向かった先は、高速道路のSAのアルバイトだった。

「土日は?」

「出られます!」

「GWや年末年始は?」

「出られます!」

「どのくらい稼ぎたいですか?」

「8万円は稼ぎたいです!」

「長時間働ける?」

「いくらでも働かせてください!」

「よし、今この場で合格と言いたいけど、一応後で電話して合否を連絡するよ」

「ありがとうございます!」

 一瞬で合格した。他もこうしておけば良かった。

 僕はここで4年間お世話になることになり、貴重な経験も沢山させてもらった。

 有難いことに、このSAを運営しているのはブラック企業だった。労働時間は限界突破させるが、ちゃんと金は払うのは素晴らしい! 

 ここで労働法的に何故助かったのか。それは週40時間トリックだ。

 8時間 × 5日 = 40時間 の計算であることは間違いないが、わが社は違う。

 12時間 × 3日 =36時間 のような計算をして、40時間以下にする。

 大学は木曜日にゼミのコマを入れないようにする。すると土曜日と日曜日合わせて3日働くことが出来るのだ。

 ありがとう、ブラック企業。休憩室で社員が口開けたまま白目で寝ている姿を見て涙を禁じえなかったけど、助かりましたよ。

 パン屋と軽食店とファーストフード店の全ての店長をやらされながらレストランのホールまでやっている社員さんがいたけど、バイトにとっては良い環境だった。

 大学生活は順調だった。勉強も特に苦労することは無かったし、楽しかった。

 アルバイトは、最初役に立たないと言われて下り線のSAから上り線のSAに追放された。

 でも上り線のボスから優しく教えてもらって、不器用ながら成長することが出来た。

【才能は無いけど、時間を掛けてじっくりと丁寧にやれば覚えることが出来る】

【失敗してしまうけど、その後キチンと覚えて力に出来る】

【ウサギとカメの僕はカメだ】

【最後まで油断しないウサギは世の中にいるけど、それに僻むな】

 これが僕にとっての生き方だった。

 とても泥臭い、全然華やかには生きていけない。

 1軍にはなれない僕だからこそ、見える物はあると思う。

 ただ、社会はそんな自分でも甘すぎたことを教えてくれた。

 次回:どうやら僕は無能らしい~社会人編~

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