普通の大学生が刑務所で過ごすまで。part2

読んでいただきありがとうございます。初回が思ったより皆様にスキをいただけて、もっと頑張って書こうと思えました。これからも応援していただけると嬉しいです。

前回は拘置所の生活について書いたと思います。具体的に記憶に残ってることを今回はご紹介したいと思います。

移送されると私はC棟7階で生活することになりました。地上11階の7階なので景色を楽しめると思いましたが見えるのは窓の外50㎝ほどの通路のみ。東京拘置所で生活していると外の世界が全く見えなくなります。唯一の機会が霞が関の裁判所に行くときにバスから見える高速道路中の景色です。この間、被収容者はテンションMAXです。
もし皆さんが東京の首都高を朝走っていて水色の警察のバスみたいのを見かけたら、それが私のような人間が何十人も乗った車両です。
その時間以外部屋の外に出る機会も少なくおよそ4畳(トイレ・洗面台含む)の部屋での生活になります。

最初留置場から来たばかりのころは、天国に感じました。机があり棚もあり自由に水が使え手の届くところに石鹼や歯ブラシがある。本も全て手元にある。
こんなことでも留置場よりましなんです。留置場はまさに豚箱で食事も床に茣蓙を敷くだけ。本当につらかったです。人間として扱われていないと感じるほどでした。
(犯罪者なんだから当然だと思う方の気持ちもわかります。)
でも拘置所にいくと。普通のきれいな部屋で暖かい食事ができる。それが幸せに感じました。

  • 幸せに感じた時BEST
    風呂
     週に二回(夏でも3回まで)風呂に入ったときは全身の皮膚が新しくなったと感じるぐらいの快感でした。
    運動
     ずっと部屋で一人のため人と少し話せるのはだいぶ心に落ち着きをもたらしました。「自分だけじゃないみんな頑張っている」そう思えたんです。しかし共同室は絶対にいやでした。これは出所するまで一貫していました。この思いの理由は後々わかると思います。
    面会
     そうはいっても周りは悪ばかり。あまり話が合わないことも多く、弁護士や家族が来てくれるとやはり嬉しかったです。同時に「俺はこっち側の人間だ」と再認識できる場でした。悪に囲まれると「俺はもうこの人たちの様に生きていかなくてはいけないのか…」と思うことも多く消極的でも家族が来てくれるのはうれしかったです。
    アイスやコーヒーなどの嗜好品
     普段の食事は薄味の「弱めの定食」ぐらいのクオリティなので甘いものやコーヒーの様な特別なものは特に幸せを感じました。

他にも官本(刑事施設にある貸し出してくれる本)で良いのが借りれたり、ラジオで好きな人がでるなどもありましたが特に上記のものは心に残ってます。

嫌だったことは…
事件について弁護士と話すこと
です。事件と向き合っていたものの人に話すとなると、恥ずかしさや自己愛がでて少し控えめに言ったりしてしまい全てをさらけ出せませんでした。


ここまでくると分かった方もいるかもしれません。私の犯した罪は
性犯罪
です。
弁護士にすべてを話せないのもこのせいです。
「性欲はなかった」
「たまたま女性だった」
「男をぶん殴ってもよかったけどたまたま女性だった」
そうやって自分をだましていました。こうやって自分を偽るのは刑務所に行ってから少しづづ変わっていきました。
でも弁護士は片方は女性です。とても100%の事は教えられませんでした。でもそれも全てお見通しだったのです。
「気持ちはわかるけど、私たちはなれてるし、あなたの内容なんて驚かないしどう思うこともない。あなたが少しでも早く社会に戻ってくるために居力したい。」
そう言われたのを覚えています。
「一人じゃないんだ。支えてくれる人がいる」
そう思えただけでも心が軽くなりました。

少し長くなってしまいましたがこれが拘置所に移ってから感じたことです。
この後は実際の裁判について書こうと思ってます。

もし留置場でのこと、拘置所でのこと、起訴されるときの状態など気になることがあればコメントお願いします。できるだけ詳細をお伝えしたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。また次回もお願いいたします。

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