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初めてのnote〜まずは自己紹介から〜

どうも初めまして
記事を読んでくださる方ありがとございます。

ごく一部の方は私のことを知っているかもしれない。
もともとX(旧Twitter)にて医学系アカウント(いわゆる医クラ)として活動していた。

当時は医学・医療系あるあるや元彼女に盛大に浮気されたネタ系ポスト(旧ツイート)にてそこそこバズったこともある。

しかし国家試験に受かり研修医になってからというもの投稿は徐々に減り、気が付けば投稿をほぼしなくなってから約4年近く経っていた。

この度Xの復帰と同時に少しずつnoteを書いていきたいと思う。
今の自分の思いや経験を共有したいのもあるし、書き残すことに意味があると思ったからだ。
特にテーマは今は決まっていないが、なるべく医師特有の記事を書いていけたらと思う。

さて記念すべき第一回は私の簡単な略歴をここに残したいと思う。

私は、MARCH出身サラリーマンの父と音大出保育士の母の元に産まれた。
ごく一般的な家庭でありながら比較的裕福でさまざまな経験をさせてもらった。

小学校ではヴァイオリンと空手を習いつつ、中学校受験に向けて勉強しながらもかなりやんちゃな生活を送っていた。
(のちにこのヴァイオリンの先生がうちの家庭をめちゃくちゃにする人物となるのであった。。。笑)

中学受験では見事撃沈し、第三志望の都内の私立中学に算数一科で受かった。父も母も泣いて喜んでくれたので、第三志望であることに不服ではあったが、それだけで3年間頑張った甲斐があったと思った記憶がある。

世の男子全て中学時代はまさにド青春である。しかも私は男子校であったのでそれはそれは色々とやらかしてきた。自分だけ席替えの時一番前の席固定であったくらいの問題児であった。

中高一貫校であったのでそのままエスカレーターで高校生になった。高校生になってからは色々と落ち着き、学校でのやらかしも全くなくなった。部活も充実し、本田翼とコダックを足して割ったような彼女もできて順風満帆な高校生活を送っていた。

もともとは動物が好きだからという単純明快な理由で獣医志望であったが、実習で動物実験をしなければいけなかったり、うさぎ・猫アレルギーという致命的なハンデがあり、仕方なく医師を目指すこととなった。

当時はコードブルーと大倉忠義主演のDr.DMATというドラマの影響でドクターヘリやドクターカーに乗る救急医がとてもかっこよく見えて、これは天職に違いないと都合よく解釈していた。

記憶の限り高校時代はそこまで根詰めて勉強していたわけではない。
中学を算数一科で受かっただけあって数学はよくできた。趣味が数学と言っても過言ではないくらい、休憩時間には数学の問題集ををずっと解いていた。
東進の数学コンクールで入賞して東大コースの特待にもなっていた。

しかし、その他の科目が致命的にできなかった。
数学の偏差値は70前後あったが、英語は45、化学38、物理55とかである。
この時点で国立は毛頭、私立の医学部でもかなり絞って対策を練る必要があった。

父に私立医学部の学費ランキングを見せてここより下の大学(学費が安い大学)なら受けていいとラインを言われ、機械的に偏差値が低い大学から順番に志望校に選んだ。(当時私立医学部の偏差値と学費には相関性があったからだ)

大学は首都圏を中心に約10校近く受験した。
受験料が一校5~6万円なので受験料だけでもバカにならない。

奇跡的に一校だけ受かりそこへ進学することとなった。
ここでもやはり両親が泣いて喜んでくれたことは鮮明に覚えている。

大学時代はとにかく大変だった。
高校時代の何倍も勉強した。

もともと一夜漬けタイプであったが医学部ではそれが通用しない。
数日かけてシケタイ(試験対策プリント)や過去問を中心にデニーズに篭って知識を詰め込むのだが、それはそれは落ちまくった。

なんとか留年せず大学6年生まで進級したが、6年生の1年間がやはり一番勉強した。
もう一度6年生をやり直すなら自殺した方がマシだと思えるくらい辛かった。
一夜漬けタイプの短期記憶型なので卒業試験や国家試験などの総合試験にはめっぽう弱いのだ。

それでもストレート(一度も留年せず)で卒業し、国家試験も一発で受かることができた。
メンタルはボロボロでしばらく国家試験当日の夢を見ては飛び起きるくらいのトラウマであった。

大学時代や国家試験についてなどはまた改めて詳細な記事にまとめたいと思っている。

無事研修医になることができたが、研修医生活もなかなかに波乱万丈であった。ブラックならぬレッド病院に就職してしまい、途中で研修病院を辞める運びとなった。しかもこの時期に約6年ぶりに本田コダック翼と再会し、復縁するのだ。これが自分にとってはとてつもなく間違った選択であり心底後悔している。冒頭に述べた盛大に浮気されたエピソードの張本人だ。
この辺りについてもまた記事にするつもりである。

現在は大学病院で麻酔科医となり2年目になった。
救急医はどこに行ったかと思われるかもしれないが、やはり救急だけで定年までやっていくのは体力的に難しいと思った。
一方で麻酔科には4大部門があり、手術麻酔・ICU(集中治療)・ペインクリニック・救急と、救急医療も兼ねているので麻酔科を選択した。

まだまだ麻酔に関しては未熟者であるが、麻酔科の特性上独り立ちが早いので比較的余裕はできてきた。
現在は土日はバイト漬けで1ヶ月の休みは1~2日ほど、さまざまなバイトをして稼いでいる。
医師のバイトに関してもなかなか面白いと思うのでまだまとめたい。


簡単ではあるがこんな拙い長文を最後まで読んでくださりありがとうございます。
頻度高く定期的に更新していくつもりなので今後ともよろしくお願いします。

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