ふらっと京都・伊根の舟屋
京都駅から車を約2時間走らせ、「伊根の舟屋」で知られる京都府与謝郡伊根町の伊根湾に面した集落に訪れた。
1階部分に舟を収納するため、海面すれすれに建てられた舟屋がずらりと建ち並ぶさまは、なぜかどうしようもなく懐かしい気持ちにさせられる。
そんなこの地のことを深掘りしてみました。
「伊根の舟屋」は、丹後半島の北東部に突き出た「亀島」から入り江状になった海岸線に沿って続いており、約5kmに渡って230軒あまりの舟屋が並んでいる。
伊根町観光案内所のあたりを最初に目指せば、「とりあえず」でふらっと訪れてみてもわかりやすいと思う。
周辺にはレンタルサイクルや海上タクシーと呼ばれる小型遊覧船乗り場、新しいカフェなどが集まっていた。
さて、"舟屋"とは一体なにか。
舟屋は2階建てで、海に面して1階部分はトンネルのようになっている。
かつて1階は漁から戻った木造の舟を乾かし、雨や虫から守りつつ収納する場として使われ、2階は網や漁具置き場であったそうだ。
現在でも舟を1階に収納している舟屋もあるけれど、時代が下ると丈夫な強化プラスチック製の大型船が増え、今では1階を使用せず船を舟屋の前に留めておくところも多い。
空いたスペースを、今では魚の料理場や洗濯物を干す場、倉庫などとして活用しているようだ。
そして、この独特の風情ある一帯は、平成17年(2005)に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
文化庁のホームページには、選定に及んだ特長が詳しく書かれている。
この引用から、
・明治13年(1880)〜昭和25年(1950)のブリ景気で、瓦葺の2階建てに建て替えられたこと
・昭和初期に大規模な道路工事が行われ、舟屋と主屋(居住スペース)が道で隔てられたこと
がわかる。
この頃の街並みが変わらずあり続けているようだ。
さて、海上タクシー(小型遊覧船)に乗ってみた。地元の船頭のおじさんがとても流暢にこの地のことを教えてくれた。
実際、遊覧船への乗車と船頭さんのお話のおかげさまさまでこの街が身近なものに変わったので、ぜひ訪れたら乗っていただきたい。
船頭さんは、前述したような舟屋やこの地での暮らしのことのほか、ここ伊根ではテレビや映画のロケも多いことも教えてくれた。
例えば、昭和57年公開「男はつらいよ 第29作 寅次郎あじさいの恋」のいしだあゆみさんがマドンナ出演をした回や、「孤独のグルメ2021大晦日スペシャル」など。
古き良き日本の風景を観ることができると定評のある"寅さん"。昭和の伊根の舟屋で広がる恋ドラマも気になるところですね。
舟屋の前から離れ、遊覧船からとある島を望む。
「伊根の舟屋」の景観に深く関係しているそうだ。
冒頭の地図を見ていただくと、入り江の入り口に浮かぶ島があるのがわかるはず。
「青島」である。
青島は伊根湾側から見ると1つのように見えるけど2つの島からなり、橋が架けられているそうだ。
この青島が入り江の入り口に位置するおかげで、自然の防波堤となり、伊根湾は波が穏やかなのだという。
舟屋を海岸すれすれに建て続けることができたのも、この存在が大きいのだろう。
そして青島は神が宿る神聖な場として、古来より伊根だけでなく丹後半島の漁民たちの信仰の対象とされてきた。
近年まで女人禁制の島でもあったそうだ。
島内には、海を守護する蛭子(えびす)神社があり、毎年8月20日には、「おべっさん」という例祭が行われている。(他にも「海の祇園祭」と呼ばれる伊根祭もある)
「おべっさん」では、海の安全と豊漁を祈願し、笛や太鼓の祇園囃子とともに手漕ぎの祭礼船で蛭子神社への参拝と、今では少ないそうだが奉納相撲が行われる。帰路では船で競争(こばりあい)をするようだ。
また、かつてこの伊根湾では地形を活かした捕鯨も行われていたそう。どうもこの青島も関わりがある。
「日本財団 海と日本のPROJECT in京都」ホームページによると、伊根湾の捕鯨は『鯨永代帳』という記録に残されていて、明暦2年(1656)〜昭和2年(1927)までの間、捕獲数は約350頭に及ぶそうだ。
伊根湾に迷い込んだ鯨を奥へと追い込んで捕獲し、青島では解体が行われた。
蛭子神社の参道脇には「鯨の墓」もあるそうだ。
青島は通常一般の立ち入りは禁止されているので、伊根の人々の暮らしを守ってきた神の島を、遠くから拝みながら歴史を噛みしめるのが良さそうです。
ひとまず、青島や捕鯨の歴史はここまで。
遊覧船を降り、レンタルサイクルを借りて街をふらふら。
途中、船頭さんにおすすめされた、向井酒造株式会社にも立ち寄る。
古代米の日本酒「伊根満開」をお土産に購入して帰りました。
伊根の思い出とともにお酒を家で堪能できる、幸せ。
さて、今回は「伊根の舟屋」を訪れ、調べてみました。
地形を活かした捕鯨や漁業、続く信仰、暮らし…こじんまりとした地域だけれど、自然と人間が守り合いながら暮らしが紡がれてきたことわかる、日本らしく、色濃い場所だった。
ああ、こんな美しいところに生まれ育ちたかったなあ。
以上、ご覧いただきありがとうございました。
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