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現役ワーママが中学校の教員を退職するにあたって

先週は、卒業式と修了式、そして離任式と怒涛の1週間でした。

退職前に最初で最後の最高学年の担任を持たせていただき、本当に貴重な経験ができました。

また、修了式と離任式が同じ日だったので、きちんと子どもたちにお別れを告げることができて良かったなと思っています。

一方で、離任のあいさつを繰り返していくうちに、退職することへの未練もふつふつと出始めてきました。

今日は、そんな私のふつふつをつぶやきたいと思います。

■教員を退職するにあたって

□退職したきっかけ


実は、私が教員を退職しようと思い始めたのは、昨年の4月に復帰してすぐでした。

最初の一撃は、慣らし保育。

慣らし保育とは、子どもを保育園に預ける時間を1日1時間から始め、2週間から1ヶ月かけて徐々に伸ばしていくというもの。

民間企業だと、4月1日に保育園に入所するならば4月末に職場復帰するという手段が使えるのかもしれませんが、教員だとそうはいきません。

慣らし保育の関係で新年度の準備出勤(職員会議や新しい行事の準備)にほとんど参加できませんでした。

ほかの職員も、私が子育てしながら働いていることに理解は示していましたが、準備出勤の業務量が多いゆえに「こいつ、また年休取りやがって〜ムムム!」という痛い視線をヒシヒシと感じながら出勤してたことを覚えています。

次の一撃は、自分の心労。

自宅では夫がうつ病で寝たきりになり、職場では病休の職員が出て欠員のまま学級を動かさなきゃいけないと言う状態に。

自分が倒れてはいけないというプレッシャーと、子どもの看病で休んだら学級が回らなくなってしまうというプレッシャーを常に感じていました。

追い打ちをかけるかのように、3年生担任ならではの進路指導とか卒業に向けた取り組みとかが襲いかかってきます。

特に、進路指導は放課後の時間を使って面接練習や作文指導をする必要がありました。(歴代の先生たちはみんなそうやってきてました)

「あなたは保育園の送迎とかがあるからどうせできないでしょ。どう対応するの?」

そう言われたときに、張り詰めていた糸がプツンと切れてしまいました。

別に私を責めた言葉でもありません。でも、当時の私に受け止める容量はもうありませんでした。

あわてて放課後のお迎えシフトを義実家総出で作って放課後の指導に対応できるようにしましたが、それすらしんどくて、出勤できなくなるくらいの体調不良になってしまったのです。

最後のトドメは、「休む」ことへの当たりの強さ。

出勤できなくなった日、心療内科を受診したら「適応障害で今すぐ休職すべき」との診断。

なのに、当時の私はへそを曲げて休職だけは避けていました。

しばらく服薬しながら無理矢理出勤していましたが、次第に頭が回らなくなって、どんどん授業の質が下がったりケアレスミスが増えたりとてんやわんや。

さすがに休まないとやばいかもと思った私は、思い切って一週間の有給休暇を頂くことに。

一週間休むだけで心身ともにだいぶ回復したものの、現場の混乱は相当なものでした。

お休みから明けてしばらくした頃、授業の方針でちょっとした議論になりました。

そのときに相手から「あなたが一週間休むってなったときにこっちも困ったんです。」と言われてしまったのです。

かなりショックでした。
誰だって一週間くらい病気で休む可能性があるのに。

その人自身が悪いというわけではなく、そのような発言が平気で出てくるような職場に未来はないと判断し、退職に至りました。


□湧き上がる後悔や未練

そして三月を迎え、離任式やその後の職員会議等々で挨拶ラッシュがやってきました。

教員向けに挨拶するときは、病気の夫がいて家庭と仕事の両立が大変だったことも併せて話しました。

実は、通常学級と特別支援学級は職員室が分かれています。そのため、自分の事情を全職員に話すのはそのときが初めてだったのです。

特別支援学級の職員室は男性か独身の方が大半。
対して、通常学級の職員室には先輩ママや先輩パパがたくさんいました。

自分の事情について話せば話すほど、これまでなかったような共感の声とねぎらいの声をたくさん頂いたのです。

もし、自分の事情をもっと早く先輩ママパパ先生たちに話せていたら。

もし、もっと早く、もっとたくさんの人にSOSを発信できていたら。

退職ではない、ちがう未来が待っていたのかもしれない。

そう思わざるを得ませんでした。

■これからめざす理想の姿

□4月からについて

そうは言っても、もう退職した後の未来もちゃんと用意しています。

この4月からは

  1. 児童指導員

  2. 非常勤講師(中学校)

  3. Webライター

の三本柱で生計を立てる予定です。「複業」や「パラレルワーカー」という働き方が合ってるかもとは思っていたので、今後も肩書きを増やす予定です。

□「ワーママが過ごしやすい職場」を作れる人になりたい

これからも、さまざまな職場や職員室に関わっていくことになります。

その過程の中で、自分と同じように育休明けで働く人にもたくさん出会うと思います。

私の場合は、育休が明けてからの職場環境に恵まれていなかったのかもしれません。でも、それは運が悪かったからではなくて、自分が我慢し続けていたツケが回ってきただけ。

だからこそ、ワーママさんたちが我慢しなくてもいいように、自分から動ける人になりたいと強く思います。

具体的には

  • 積極的に声をかける

  • 子どもの事情で早退やお休みするときにいい雰囲気を作ってあげる

  • 自分から雑談の話題を振る

といったところでしょうか。

陰キャコミュ障なので自信はありませんが、自分ができる最大限のことをしてあげたいと思います。

自分と同じような思いをする人が、一人でも減ると嬉しいです。

とりあえず、私と同じ時期に産休に入った方が来年度復帰するので、定期的に連絡を取るようにするところから始めます。

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