ブレインフォグが恐ろしい話 〜電車から永遠に下車できなかった日々〜
2022年8月。コロナに感染した。2019年から得体の知れないウイルスとして世界中にはびこりつつも、どうにかこうにかその網を2年ほど潜り抜けてきた身としては、なんとなく自分と関係ない世界で起きている話、そういう感覚がまだあったことは否めない。
39°近くの熱、咳、鼻詰まり、くしゃみ、吐き気、咽頭痛。寝室で大小さまざまな数字が踊ったり、行進したりしている。。。回る朦朧とした記憶の中で悪夢を見て、這いつくばりながら過ごしていた。
2週間程度で寛解。しかし、2か月くらい咳や倦怠感や微熱が続いた。テレビを見れば、コロナ後遺症のニュース。「我が身に降り注ぐとは思っていなかった」体験のオンパレード。
調べると、後遺症外来というところがあるらしい。医療が逼迫されているというニュースは何度も見てきたけれど、その間に後遺症にまで対応できる体制が整っていたこと、それを享受できることにありがたみを感じざるを得なかった。100年前のスペイン風邪のときにはこうはいかなかっただろう。ツールが豊富にあることで、毎日数多もの情報が発信されているけれど、デメリットだけではないと改めて感じさせられるなあと幾度となく考えながら、もらった漢方薬を飲み続ける日々。こちらも程なくして寛解。
しかし、ここからが本当の地獄だった。そこから1ヶ月ほど経った時、電車から下車できなくなった。正確には、「目的地で下車する集中力、注意力が著しく散漫になった」。知っている駅でも必ず1、2駅乗り過ごしてから気づき、反対方面の電車に乗っては乗り過ごす。知らない駅であれば、乗り換えのホームにたどり着くまでに頭は全く動かないのに足だけが勝手に動いて、違う改札を通っている。そこで初めて気づいて表示を探す。本来の倍の時間とお金がかかった。
大学の課題もできなくなった。まるで頭に靄がかかったかのように、考えたり行動したりするのが難しくなった。前期はやることを手帳に全て書き出して進捗状況を確認しないとすまなかったのに、後期の手帳は真っ白のまま。長時間かけても出来上がるのは読みたくもないようなものばかり。大学から帰ってくるだけで起き上がれないほどの倦怠感に襲われる日もあった。度重なるミスでナイーブになりすぎたからかもしれないが、この頃は喋るときになかなか単語が浮かばない、どう文章を組み立てれば良いのかわからない。そんなこともあった。
何も変わらないように見えるのに、何もかもが変わってしまった。まるで脳の一部が動いていないかのような、フィルターがかかったかのようなそんな感覚。まさにブレインフォグ。SPECの当麻さんが「人間の脳は1%しか動いてないんです」とよく言っていたが、今の自分の脳の働きを見たら堤監督もびっくりしてしまうのではないのだろうか。とにかく1%も働いている人間の日常ではなかった。
形容できないが、とにかく「何もできなかった」。周りに話しても、言い訳のように聞こえるから当時は誰にも言えなかった。体の具合だけは急に自分でどうにかできるわけでもないから、ポジティブに捉えることはできなかった。漢方薬をもらっても、本当に治るのだろうか、一生このままだろうかと考え込む日々。頭がぼんやりしているから自分に深く悩むこともしない。素敵な写真を見ても心は動かなかった。「どうしよう、困ったなあ(笑)」とただただ感じるだけの感性ゼロの淡々お化けが爆誕してしまった。
あくまでも主観的な経験であるから、分析すれば身体的、精神的な面に分かれるのだろうと今では思う。しかし当時はそんな境目はどうでもよくて、ただただ治ってほしい、そんな神頼みのような気持ちで過ごしていた。幸い薬を飲んでいたら良くなって、今では特に不都合を感じずに過ごせている(マイナスが0に戻っただけに過ぎないが、それでもその幸せを感じざるを得ない)。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。その後の生活によって当時の日々は上書きされていき、今ではコロナの話題にならないと思い出さないほどになった。それでもことあるごとに記憶をなぞればその痛みがはっきりと思い返される。当時のメモに「毎日頭がぼんやりとしていて考えることができない。唯一はっきりしているのは、今の自分は、自分がなりたいと願っていたような人間からは一番離れた場所にいることだけ。」と書いてあることから、いかに辛い日々だったかが思い起こされる。
もし同じような辛い毎日を生きている人がいれば、ぜひ一度後遺症外来に行ってみてほしい。目まぐるしく変わる日常を、ブレインフォグのまま過ごしていること自体がシンプルにすごい。そしてもし可能であれば、自分自身を労って、休む時間を作ってあげてほしい。
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