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初めてアダルトチルドレンという言葉に出会ったとき&信田さよ子氏の本で再会したとき

私がはじめてアダルトチャイルド(AC)という言葉を知ったのは、海外の
大学に留学して、心理学を学び始めた90年代でした。

アダルトチャイルドの特徴リストを見たときには、”おーっ、
これ、私に当てはまるもの多いわ~” と、思いました。

自己肯定感が低い、他者の顔色に敏感である、虚無感を抱えている、、、
などなど。

が、
当時の教科書には、「アダルトチャイルド」とはアルコール依存や薬物依存、ギャンブル依存の親のもとで何かしらの虐待を受けて育った子ども、という解釈で語られていました。

そうなると、私は、”あれ?自分はアダルトチャイルドとはよべないよな” と。

私の育った家庭は、一般的な日本の、いわゆるフツーの家でしたので。

両親は、アルコール依存や薬物依存とは無縁です。

父は会社員として真面目に働き、母は主婦として家事一般をよくこなしていました。

そうなると、私が抱えている生きづらさはアダルトチャイルドの特徴リストに当てはまるものの、自分はアダルトチャイルドではないのだ、と認識していました。


その後、時が過ぎて、私は日本で主婦として生活していました。

そして本屋に立ち寄ったとき、ふたたび見かけたアダルトチルドレンという言葉。

私が手にしたのは、『重すぎる母 無関心な父 「いい子」という名のアダルト・チルドレン』(信田さよ子 著)という本でした。

Amazon.co.jp: 重すぎる母、無関心な父 (静山社文庫) : 信田 さよ子: 本


本の内容すべてに賛同するわけじゃなかったのですが、多くのことが心に刺さりました。

日本社会ならではの親子関係のひずみを、見事に言いあらわした本だと
思いました。

信田氏は、アダルト・チルドレンを「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」と定義されています。

あ~、それならば、私は自分のことをアダルトチルドレンと言えるのだな、と思いました。

アダルトチルドレンは、医学的な診断用語や病名ではなく、時代や国、社会によって言葉の解釈が変わってくることはあり得るだろうと思います。

海外留学中はピンとこなかったアダルトチルドレンという言葉が、信田氏の定義によって、私にとって大きな意味を持つようになりました。

信田氏の解釈によって、生きづらさを抱えていた方々の中には、救いを
見出した人も多いのではないか、と思います。

私自身は、アダルトチルドレンだと認めることに痛みをともなったものの、救いを見出すことができた一人でした。

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