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鈍感になる心

私がまだ「DVのある暮らし」をしていた頃
喜怒哀楽が「なくなって」しまっていた時期がありました

もちろん日々の中で楽しいな、面白いなと感じたり、笑ったりする場面はあるのですが・・・「心が動かない」のです
特に「哀」について何も「感じない」のです
ドラマや映画を観て感動して泣くこともありません。
誰かの話を聞いて「大変だなぁ」と思うことはあっても
やはり「心が動かない」「感じない」のです

その当時の私は全くの無自覚でしたが
今思うとそれは自分自身の心を守るためだったのだと思います

人は日常的に、かつ繰り返し苦痛を感じなければならない環境にいるとき
自分自身の心を守るために辛い感情を「感じない」よう働きます
そうやって私達は無意識に自分自身の心が壊れないよう守っているのです

ところが「心」という感情を感じるセンサーは「ひとつしかありません
このたったひとつの心で喜怒哀楽、全ての感情を感知しています
センサーが鈍感になれば痛みや悲しみなどの苦痛を感じづらくなりますが
それと同時に楽しい、嬉しいなどの幸福感も感じることができなくなります

そうして「心が動かない」という
まるで喜怒哀楽がなくなったような状態になります
私は耐えがたい苦痛を避けるために
知らず知らずのうちに「幸福感」も感じることができなくなっていました

それはまるで心が鎧を着ているかのようです
鎧を着た心は痛みから身を守るだけではなく
弱さを見せることを嫌い、誰も信頼できなくなっていきます
傷つけられないよう誰も寄せ付けません
それは孤独そのものです

そうして自分を守るために心は鈍感になっていく
私はそれを「強さ」なんだと、はき違えていました

痛み(ネガティブな感情)という名のガイド

人は「痛み」という感情を悪いものとして捉え
嫌い、拒否または避けようとします
でも「痛み」は私達にとって、とても大切な感情です

「痛み」は人が生きていく上でとても重要なものです
「痛み」があるということは
そこには必ず痛みを引き起こす「原因」があります
痛みはこの原因に気付くための「サイン」なのです
この「痛み」がなければ痛みの原因となっている
傷の存在に気付くことができません
気付かなければ適切な処置ができず、傷口は悪化する一方になります

私はこのサインを無視し続け、その結果傷口を悪化させてしまいました

ネガティブな感情=痛みは私達を不幸にするものではなく
私達を自分が望む幸せな未来へと向かわせるための道しるべです
自分の願いや望みとは違う方向へ向かってしまった時
「そっちじゃないよ」と知らせるサインです

この感情という名の強力なガイドの力をどう捉え、どう扱うのか
それは自分次第なのです

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