学校で良い成績をとることの意義って?

こんにちは!うりさすぎの友達です。
うり友のお悩み相談コーナーです。
今日のテーマは、題名の通り!
学校で良い成績をとることの意義について、私が答えを出せずに悩んでいるので、それについて打ち明けます。

良い成績をとるためには義務感を伴う勉強が必要


勉強といっても、「能動的にやる勉強」と「受動的にやる勉強」がありますよね。

前者は誰でもやれる勉強だと思います。自分が生きている中で、興味・疑問を持ったことを深堀りしていこう、学ぼうとするのは、自然です。
誰でもやれる、というより、やりたい勉強ですよね。

後者は義務感を伴う勉強だと思います。
つまりは日本国民の三大義務の一つ、教育の義務に基づく勉強はもちろん、義務教育以降で校内試験、受験のためにやる勉強のこともです。
これは自分の興味・疑問とは関わらず、半強制的にやるものです。
一般的に、こういう勉強が進んでできる人は多くないと思います。

私の状況

本当に自慢ではありませんが、私は義務感が伴う勉強が嫌気なしにできてしまいます
テスト期間が近づいてきたら、計画を立ててその計画を基に勉強をします。
なんだか自分がロボットみたいだなと思ってしまうほどです。

大学受験がある高校生まではまだしも、大学生になってからもです。
(私の偏見がひどいかもしれないけど)大学生なんではっちゃけて遊んでいろんなことしてという感じなのに、私はサークルもバイトも少ししかせず、奨学金を借りて勉強をしています。
(奨学金借りるくらいなら働けよ、という意見の人もいますよね。それは分かっていますが、勉強の方をとってしまう自分がいて、自分でも悩んでいます。これはまた別の悩みで、別で話すかもしれないです。)
そのかいあってか成績(GPA)はトップの方です(自称)。(今のところ)

ですがふと、学校内で良い成績をとることが大事なことなのか、と疑問に思ってしまいました

学校で良い成績をとることのメリット

メリットはもちろん、「自分がきちんと勉強する人ですよ。学力が高いですよ」ということの証明になることです。
一般的には、この証明が、大学受験までなら推薦入試等で有利という感じになりますよね。
しかし、高校より後はどうなんでしょうか。
私は大学生で専門学校とかのことはよくわからないので、ここでは大学についてで書かせてもらいます。

大学での成績の良さが役立つのは
研究室・ゼミ配属
就活
院試
奨学金・留学 
といった感じでしょうか。


学校で良い成績をとることのデメリット

ここまで書いて少し語弊があるかもしれないと気づいたのですが、「良い成績をとること」というよりも「良い成績をとるために勉強時間を多くさくこと」のデメリットについてです。

基本的にはコネを使ったり、逆に要領が悪かったりとかでなければ、勉強量の多さと成績の良さは比例します。それに、冒頭で「良い成績をとるためには義務感を伴う勉強が必要」といっていますので、「良い成績をとること」という言い回しで許してください。

デメリットとしては、他のことに使う時間が少なくなることだと思います。つまり、経験の少なさですよね。
勉強以外に、他の人との交流や自分の体を動かしてやることも大事な経験だと思います。
あとは、ロボット化もあると思います。
義務的なものだから、自分のやりたいやりたくないにかかわらず、勉強してしまう人間になりかねないです。
そうならずに済む方もいるかもしれませんが、私はそうなってしまっています。

義務感が伴う勉強ってどうなんだろう

教育を受けられるだけ有難く思え、という意見が来そうなのは百も承知です
(以下はあくまで私の考え・想像です。間違っていたらごめんなさい)
しかし、歴史的に見れば、勉強のはじまりは、「能動的にやる勉強」だと思います。
人間の脳が高次機能をもち、この世界に対して「なぜ?」と思う人が出てきて、そういう人が研究をしていった。その結果知ったことが、社会の成長に繋がると思い、そのためには全人類に教育が必要となった。その結果、教育が義務付けられるようになったのだと思います。
少し話が逸れますが、私はそもそも「社会」ってなんなんだろうという疑問も持っています。
「社会の成長?」のために、この社会に勉強させられている感がハンパないです。
だから今、義務感が伴う勉強ってどうなんだろうという気持ちになってしまっています。

学校での良い成績の良さが本当の学力を反映しているわけではない

その上、学校での良い成績が本当の学力を反映しているわけではないと思います。
正直、学校の試験って、本当に知識を付けているわけではないのも多々あると思います。
記憶力ゲームと言いますか……。
こんなんで「頭が良い」と判断している世の中ってなんなんですかね。
良い成績をとれば、先程挙げたメリットのためには役立つかもしれません。
でも、なんか、上手く言語化できないんですけど、そういう世の中に嫌気がさしてしまいます。


良い成績が必ずしも人生の良さに繋がるわけではない

また少し話が逸れますが、良い人生ってなんだろうとも思っています。
そして良い成績と良い人生の関係についても考えます。
良い成績は良いことに聞こえますが、本当にそうなんですか?

やっぱり大事なのは「好きを追求する」なのかな、でも……

またまた話が逸れますが、こういう話のとき、金でも名誉でもなく自分の「好きを追求する」ことだというのが言われますよね
確かにそう思います。
ここで私の悩みを強めているのが、心の底からやりたいと思えることがないことです。
もしそれがあれば、「良い成績とかどうでもいい!私はあれがやりたいんだー!」となりますが、ないので「とりあえず勉強しておくか」になっちゃうんです。

おわりに ー結局私が悩んでることって?ー

話がごちゃごちゃしていてごめんなさい。
まとまっていないことは自分でも十分わかっています。

結局は、「とりあえずの義務感で良い成績をとるために勉強している自分が嫌だ」なんです。
自分の好きを見つけたい。社会の闇に対して盲目になりたくない。

どうしたら良いのか。

「やりたいことの見つけ方」と調べると色々でてきます。
そして確かにやってみたいことは思いつくのですが、「心の底から」となるものは思いつかなかったです。
今すぐには見つからないのだと思いました。

ただ、この間、noteで
茶の思想から紐解く「本当にやりたいこと」の見つけ方|岡田裕介|THECOACH (note.com)
という記事を見つけました。(勝手ながら紹介させて頂きます)

ここで引用はしないので、内容はぜひご覧になってください。

すごい良い!私にとって新しい考えだ!と思ったのですが、ここで問題があります。
今私はちょうど試験のために勉強を始めなければならない時期になりました。
こういう中で、この方法を試して良いのか、つまりは試験勉強をしないで良いのかということです。
あまり試験のシステムがあまり良くないと分かりながら、悪い成績を恐れ、留年するのが怖いがために勉強しようとする自分が嫌です。
でも勇気が出ません。


うわあ、自分が自分で嫌です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?