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その先にあるもの 第5話(小説)

 
 冬の間集落では基本家に篭って家族で過ごす。学校は休みだし、大人達もたまにしか仕事をしない。
 晴れ間の覗く日に用を足す為に外に出ることはあるが、それぐらいだ。
 のぞみはトオルにも恵さんにもなかなか会えない日々が続いていた。
 そして毎日家の中で家族だけで顔を突き合わせていると、時々息苦しさを感じるのだ。
 以前はそんな風に感じた事はなかったのに。
 のぞみを取り巻く世界はとても小さく狭く、時々息苦しい。

 のぞみは読んでいた本を机に置いてため息をついた。
 顔を上げると窓の外は一面の雪景色。
 いつ止むともわからない、永遠に続きそうな淋しさがある。このまま世界はのぞみとその家族だけを閉じ込めて、何もかも覆い尽くしてしまいそうで
酷く心細くなった。
 長い冬が終わったらどうしているだろう。
 のぞみは恵さんと話した外の世界へ思いを馳せた。

 恵さんはまだ若い頃街から来た人と恋に堕ち、駆け落ち同然に集落を出たらしい。
 まだ10代の恵さんにとって街はとても魅力的だったのだとある日恵さんは語ってくれた。
 その人と結婚して恵さんは市民権を得て街で暮らしていた。
 最初は目新しい事ばかりで楽しかったらしい。
 便利な交通網に、お洒落なお店、集落ではみた事もないIT機器の数々。人が居なくてAIが殆どの事をやってくれる。
 街の人は基本働かなくても衣食住には困らない。配給だけである程度生活出来て、仕事は趣味の様な物だと恵さんは言った。一見ユートピアの様に聞こえるのだが、
「ただ、皆外へ出ようとしないのよ。必要がないからかも知れないけど。」
「近頃は旅行で外に出る人もすっかり減ってしまって…。外から来る人も殆どいないし。なんだか箱庭の中にいるみたい。」
「自分だけ異界の人間みたいで妙に居心地が悪くてね。自由になりたくてここを出たはずなのに、ちっとも自由じゃなかった。」
 そして最後にポツリと呟いた。
「人が生きる意味って何なのかしらね。本当は何処かにもっと違う世界があるんじゃないかなぁ。」
 恵さんはどこか遠い目をしていた。
 恵さんの夢見ている世界がどこかにあるのなら、のぞみもその世界を見てみたいと思う。
 集落でも街でもないもっと違うどこか別の世界。子供の頃トオルと一緒に探し求めていたどこかにあるかも知れない世界。
 のぞみはその衝動を抑える事が出来なくなっていた。

 晴れの日が続いた冬も終わりが近づいたある日、のぞみはトオルと一緒に久しぶりに恵さんに会いに行った。
「のぞみちゃん、トオル君いらっしゃい。」
「お邪魔します。」
 玄関先で恵さんが笑顔で迎えてくれた。
「のぞみ、トオルも久しぶり。」
 コウタも一緒にやって来て歓迎してくれた。
「おっ。コウタ少し見ない間に随分大きくなったな。」
 トオルがコウタの頭を撫でた。
「恵ちゃんの作るご飯を食べてるからね。」
「そっか。恵さんの料理美味しいもんなあ。」

 お昼に恵さんが作ってくれたビーフシチューが振舞われた。薪ストーブでじっくりコトコト煮込んだ物らしい。口に入れた途端牛肉が頬で蕩けた。
 めっちゃ美味しい。
 トオルと目を合わせて頷きあった。
 冷え切った身体が温かくなる。
 こういうのを幸せと言うに違いない。
「恵さん。今度ビーフシチューの作り方教えて。」
「いいわよ。」
「ところで、のぞみちゃんが持ってきてくれたお茶美味しいわね。」
 恵さんは笑った。
「えー。あんまり美味しくないよ。」
 コウタが文句を言い、
「子供にはこの良さはまだわからないよ。」
 コウタのおばあちゃんがコウタの頭を撫でながら言った。
「のぞみちゃんのおばあさんは昔から野草の知識が豊富だからね。いつも飲むと元気になるよ。ありがたい。」
「祖母にに言っておきますね。」
 のぞみは笑って頷いた。
 祖母は初夏に摘み取った草花でお茶を作っている。体調にあわせてそれらをブレンドして入れてくれるのだ。
 小さい頃から良く飲んでいたからか、のぞみにとってはほのかに香り立つ薬草の匂いはいつもどこか懐かしい。
 久しぶりに家族以外と過ごす時間は楽しく、あっという間に過ぎて行った。
 
 その後皆で人生ゲームをやって盛り上がった。
 このゲームはコウタのおばあちゃんが子供の頃に遊んだゲームだと言う。ルーレットが壊れていたり、カードが擦り切れてぼろぼろだったり、字が薄くなって良く読めなかったりなんかもあったけどそれもひっくるめて楽しいものだった。
 だけど人生ゲームの中の人生は所詮ゲームの中の事。この集落にいては成し得ない。
「恵さん。恵さんはここでもない街でもない違う所を知っている?」
 のぞみは思い切って聞いてみた。
 集落の大人たちは誰も知らない。他にも街や集落があると言うけれど、誰も恵さんがいた街とこの集落以外、行った人はいないのだ。
 今までそう言う物だと漠然と思いこまされていたが、急にその現実がのぞみにはなんだか薄気味悪い事の様に感じられた。
 隣でトオルが息を飲んだのがわかった。
「…。」
 少しの沈黙の後恵さんは言った。
「そうね。実は私も行った事はないの。ただ、オンラインで会う人が本当にその街にいるのなら、きっとあるはずよ。」
「私のいた街は市民権を持っていると街の中は自由に出歩けるけど、街の外へ出る事はなかなか難しかったの。街の外へ自由に行き来出来るのは一部のお偉いさんだけだった。なんだか生きている実感がなくて…。だから私は離婚して街を出たの…。」
 そう話す恵さんはどこか淋しそうで、置いて来た娘さんのことを思い出しているのかも知れなかった。
「もし本当にあるなら、私はその世界へ行ってみたい。」
 のぞみはこの冬の間ずっと思っていた事を口にした。言葉にすると改めて自分の強い思いに気づかされる。
 隣からトオルの視線をずっと感じていたけれども、のぞみにはこの突き上げる思いを隠す事はもう出来なかった。
「お願い教えて恵さん。外の世界へはどうやったら行ける?私はどうしてもここじゃない世界へ行きたい。」
 それはのぞみの心からの声だ。魂の叫びだ。
 恵さんの目に強い光が宿った。
「わかったわ。」
 恵さんはのぞみの手を取って頷く。
「一緒に行きましょう。」
 一筋の光が見えた気がした。
 のぞみの世界が動き出す。
 雪解けの音を聞いた様な気がした。


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