見出す人生:めあてとふりかえり:小3国語「きつつきの商売」
つらつらと書きます。
今年度、意識しているテーマは
”児童が自分自身のめあてをもつ”
”児童が自分自身ののふりかえりをする”
機会を設けて、メタ認知することを習慣化すること。
めあても、ふりかえりも必要性は結構前から言われていたし、授業の中に取り入れてきたつもりだった。管理職も「めあては?」と尋ねてくるので、必ず提示することにしていた。
このめあて、ふりかえりは児童のメタ認知に関わるということで、学習定着に及ぼす影響力がよろしいということで巷で注目されている。そう、ずいぶん前から・・・
しかしながら、これまでの授業で、ふりかえりは形式的になっていた感が否めなかった。
・ほんとうにそう思っている?
・ん?これは前も同じこと書いていたような。
・毎回同じことを書いてるね〜。
・ふりかえりはしているけど、いつも「感想だけ」じゃあねえ〜。
とかそう思うことが度々あったのだ。
なぜ、そのようなことになってしまうのだろうか。
その答えとなる出来事が昨年度末にあった。
長野県の伊那小学校、奈良県の奈良女子大学附属小学校に出張に行った。
「はじめに子どもありき」の伊那小。
「独自学習⇨相互学習⇨独自学習」の奈良女。
そこでは共通して、児童一人ひとりが素朴にも自分のめあてを立てて、解決策を見出して、発信し、他の発信から気づきを得て、考えを深めていく、そんな学習をしていっているのだった。
すべて、子供のレベルから始めるのだ。
ふりかえりが形式的になっているのは、めあてが大人目線のものばかりであり、子供自身のものになっていなかったからだろう。そう思う。
全員に提示する本時のめあて。教師の私が考えて出しためあて。
こういう思考の流れになって、こんなめあては自然だろう、とか考えて出すめあて。
このめあて、だれのものになるのか。
全員にぴったりなめあて?
そんなめあて、こちらから毎回毎回提示できない。という諦めから。
新たなことをしてみようと思った。
今日することを、めあてとともに提示して、
子ども自身がなにを意識して取り組んでいくのかを決めれば、
子供が主体的になり、ふりかえりも自分よりのものになるだろうと思った。
奈良女でもしていた、学習のめあてに対して立てる、自分のめあてを取り入れてみようと思う。
自分の”めあて”は学習の中の自分を意識し、
”ふりかえり”は学習後の自分への気づきが増す取り組みだと思う。
学習中は常に”ふりかえり”が行われていることが教育心理学的に理想的らしいが、そんな頻繁にふりかえりを行っていたら疲れてしまうだろう。(実際は子どもも内言でふりかえりらしいことは常にされているのだろうが)
だからこそ、私は(というかどの先生方も)授業の最後の5分程度、最低限としてふりかえりの時間を設けている。
自分のできることは何だろう?
これまで学んだことの何かに似ていないかな。似ているとしたら、学びを活かせるかな?
自分の頭の中で考えてみる。
メタ認知というもの。
このメタ認知。この先の人生で大いに役立つことの1つだと思う。
これは問題解決の力にもなるが、
並行して自分を労ることにもつながると思う。
自分を一番励ましてくれる存在は自分自身。
自分を一番わかっているのは自分。
自分を一番に愛してくれるのは自分。
大いなる味方。
そんな見方と頭の中で対話できる。
そんな自分への気づきを持てるようにしたい。
メタ認知の意識化の習慣化。
これが今年度1年の自分のテーマ。
「きつつきの商売」という国語の物語教材で
”すきな場面を選び、ようすを思い浮かべながら音読しよう”
というめあてを提示した。
子供達は自分のめあてを立てた。
・大きな声で音読しよう。
・気持ちを想像しながら音読しよう。
・音読で気をつけることを意識して音読しよう。
このように自分のめあてを立てることで自分はこの授業で何をするのかを自覚化させる。
その後、グループに分かれて音読する場所を選び、
音読の練習をグループですることになった。
ふりかえりでは、各自が立てためあてに対して行われるが
・めあてができた
・めあては達成できなかったけど、友達と練習できて楽しかった。
・ようすは想像できなかったけど、気持ちは想像しながら音読できた。
自分のめあてに沿って、いろいろなふりかえりが書かれていた。
いろいろと気になることがある。
・子供がめあてを書くヒントが与えられているかどうか
書くヒントがないと、よく覚えていない子は、その教科らしいめあてを立てられないのではないか。
逆に、よく覚えている子は、その教科らしいめあてを立てられる。
教科らしいめあて、とは教科の既習事項を活用したり、見方考え方を意識していたりして立てるめあてになると思う。
例えば、
・本文に書かれていることを元にしながら想像する
とか
・登場人物の行動から気持ちを想像する
とか
・情景から主人公の心情の変化を読み取る
とか
もっと詳しくいくと、
・太一と父、与吉じいさの関係を読み解きながら、太一がなぜクエをうたなかったのかを考える
とか
叙述、言動と心情、情景描写、登場人物の関係、・・・
などこれまでの学びを活かして子供は学習のめあてを立てることになると思う。
だからこそ、教室にこのような学びの軌跡は置いておく必要がありそうだと思う。
よし、では今、物語文を読んでいっているから、
ひとまず国語では2年生までの物語文の読みの学びとして、
・・・とらえるために
「登場人物のしたことや言ったことに気をつける」
「題名やさし絵を手がかりにする」
・・・ふかめるために
「まわりの様子や、登場人物がしたことを、そうぞうする」
「登場人物が、どうしてそのことを言ったりしたかを考える」
・・・まとめるために
「書かれていることと、自分の知っていることをつなげて読む」
・・・ひろげるために
「感じたことや思ったことを、友達や先生に伝える」
という掲示物を作って教室のどこかに掲示してみようかな。
いかに子供たちがめあてを立てやすくなるか
そうして、めあてを立てることの習慣化を果たせば、今後の学習で、なんでこれやるのってなりにくくなるし、なんだこれって授業の時でも、自分のすることをめあてとして持てれば、もうそこは言われるからする人間ではなく、言われた中で価値を見出せる人間に近づいていっていることになると思う!
これは国語科に限ったことではなく、算数も、社会も、書写も、すべての教科に共通することだ。
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