今や、パソコン、スマホ、ロボットがモテモテの世の中になった。なのに、私が勤める小さな印刷会社は相変わらず忙しかった。ワンマン社長に尻をひっぱたかれ、私達営業マンは、から元気で、ぽんこつワゴンのエンジンを吹かす。 今日は祝日だというのに、住宅会社の社長に呼び出された。賃貸マンションのチラシの反響がよくないと、ご機嫌ななめだ。綿棒で器用に耳のアカを落としながら、「印刷代、安くしてよ」と口説き始めた。私もフケの溜まった頭を気持ちよく擦りながら、曖昧な返事で応対していたが、予定
いつまでも会社を休んではいられない。きょうは東京へ帰らなくては。名鉄本線の岐阜から名古屋までの30分の車中が、いつもより長く感じられた。やらなくてはならないことが山積みになっている。 母のことはもう忘れかけていた。四日前に葬式を済ませたばかりだというのに。私はいつもの冷静さを取り戻していた。母は母、娘は娘、私は私の道を歩いていけばいい。 名鉄・名古屋駅の階段を上がると、折しもオレンジ一色に夕日が、駅前のビルに映えて眩しかった。 私はふと立ち止まった。耳を澄ませた。気の
明日からは、夏休みだ。「学校へいかなくてもいい」と、喜んでいたのに、お父さんと、お母さんが、また口げんかを始めた。 お父さんは、食品会社の課長さん。営業で全国を回っている。お母さんも同じ会社に入り、先輩であるお父さんと結婚した。 「お前の、しつけが、わるいんだ」 お父さんが、お母さんをせめる。 はるみは、小学校五年生になる。勉強はきらい。成績もわるい。風邪をひいては学校を休む。一人で部屋にいる時が多かった。 「はるみに、しっかり飯くわせているのか」 お父さんの声が、大
秋晴れだ。 そよ風が心地いい。 利光は大きく胸を張った。 今日は、中学校最後の運動会だ。 小学校の頃から運動会では、いつも胸がときめく。徒競走では、決まって一等賞。二等になったことがない。ゆうゆうの一等もあれば、最後まで競り合って、抜き切った一等もある。 中学校では陸上部の誘いを断って、今は野球部のトップバッターとして活躍している。 「最後の運動会だから、みんなに、いいところ見せなくちゃ」 利光は子供の頃から外遊びが大好き。夏は真っ黒になって
「良男くん、わしたち男は、八十歳を過ぎると、みんな、ひきこもりになるよ」と、高校の三年先輩になる善吉さんが話していた。「おばさんたちは元気だよ。集まって、しゃべって、笑って。だから、男もオバサン化すれば、いいんだ」と、笑いながらも強調していた。 いまや、良男じいさんも、あのときの善吉さんと同じ、八十二歳になった。 足がずしんと重くなった。足もとが、ふらつく。部屋にとじこもって、テレビを見ていた方が、体はずっと楽だ。 でも、良じいは、外へ出る。オバサン化して元気な
Posted by トックン 私が大神鉄也と初めて会ったのは、名古屋のソープランド『ダブルプレー』だった。もう20年前になる。 その夜は二人ともかなり酔っていた。 「おれの方が先だぜ」「なんだよ、お前。おれの方だよ」と、順番を競って言い争いになってしまったのだ。 ところが、
どんまい! 「よし、打ってやる」 正太は力強くバットスイングを繰り返すと、気合いを入れて、バッターボックスに向った。 「ここでいいとこ、見せなくちゃ」 🥎 🥎 試合は終盤に入っていた。正太たちのチームは0:3とリードされている。相手投手の速球に押され、打線は沈黙したままだ。 しかし、この回、2アウトながら、サードゴロを取り損ねたサードのエラーで、ランナーは一塁へ。 と、監督のだみ声が響いた。 「ピンチヒッター、大沢正太
キャッチボール 「ピンチヒッター、山崎正太」 とつぜん、監督のかん高い声が、青空の下のベンチにひびいた。 「えっ、ぼくが、なぜ」 練習でもヒットを打ったことがない。それなのに、二日前から右肩が痛みだした。練習のしすぎだろうか。痛くてバットを振り切れない。 この日は、三つの町の少年野球八チームが競う大会の決勝戦だ。試合は最終回。正太たちのチームは、2アウトからヒットに相手のエラーが続き、2アウト満塁というチャンスをむかえていた。得点は6対5の1点差。一本ヒットがでれば、
キャッチ 「健太、ライトを守れ」 監督が、きびしい目つきで、ライトの位置を指さしている。 「えっ、ぼくが」 ライトを守っていた加助君が、ライト前に飛んできたフライをとろうと、飛び込んだときに、足首を強く、ひねってしまったのだ。 すでに選手を使い切り、残っているのは健太一人だった。 町長杯のかかった、この決勝戦。しかも、1点差を守り切れるかという土壇場の最終回に、健太の初の試合出場が巡ってくるなんて 「ボールよ、飛んでこないで」 健太は、ふるえながらも、身がまえる。
あいつ 封筒を開けると、1枚の招待券が入っていた。2週間後に行われるプロボクシング日本フェザー級とライト級のダブルタイトルマッチの招待券だった。 「ぼくも出ます。見にきて下さい」 と、便箋に下手な字だが、丁寧に書かれている。 北村健二? そうか、あいつだ。ケンだ。すっかり忘れていたよ、あいつのことなんて。 おれは二日酔いで、うつろなままの頭の片隅から10年前の記憶を拾い出した。 ケンとは中学校で同級だった。痩せた山羊のように色白で、弱々しそうな目をしていた。
5、草野球ではガキ大将 帰郷・結婚・子供三人。名古屋の団地新聞に2年勤めた後、協力してくれる先輩がいて、フリーの立場で新聞づくり。でも、何かもの足りない。私はひとりで月間「知多文化」(B5判8頁)を創刊した。知多の若ものの交流をと。 でも、広告が集まらない。もうからない。新聞配達も始めた。 そんな、気ぜわしいビンボーな日々なのに、私の草野球熱は十代の若い頃のように燃えた。 近所の肉屋、菓子屋、床屋などの若ものに呼びかけて、チーム「ヤング本町」を結成。商売人が多いので、早
4、スクープの取れない芸能記者 花は桜木、男は早稲田---この男っぽい野人の精神に惚れた。早稲田でしっかり学ぼう。 野球は忘れよう、と決めた。が、私達教育学部社会科社会科学(100人程?)のクラスが一緒になるのは英語など、週3回ほどあるだけ。あとは選考により教室も学生の顔ぶれもみな違う。中・高校とは大違い。私は1か月ほどアルバイトしてから登校した。 まずコミュニケーションを深めなくてはと、クラスの投稿誌を出そうと決めた。新聞・雑誌作りは大好きだ。自己紹介や日ごろの思いを自
⒊ 恋も野球も絶って受験ひと筋 真っ白なユニホームに、スクールカラーのエビ茶でWASEDA。早稲田大学」が、ぐぐっと私の全身に入り込んできた。「このユニホームを着て、早稲田で野球をしたい」 目標ができたので、気持ちが締まり、勉強にもやる気が出る。勉強嫌いな野球小僧が、まさかの猛勉小僧に変身だ。 そのためには、まず、高校卒業資格の取れる大学入学資格検定試験をクリアーしなくては。その検定試験は名古屋の旭丘高校で行われた。校庭での体育の実技もあり、リラックスして、試験を終え
⒉ 野球小僧はケガに強い 父の小さな工場内にキャッチボールができるくらいの空地があった。そこが野球に目覚めた私の手ごろな練習場になった。若い職人さんが2人いて相手をしてくれた。知らぬ間に、相手を座らせて、ストライク、ボールと、ピッチャーになり切っていた。 中学校では野球部に入るも、すぐに投げたい、打ちたい、の我がまま野球小僧。球拾いが嫌で、すぐにやめてしまった。誘われて陸上部に入った。3年生になった時、野球部の友人から「3年生がいないから」と声を掛けられると、また野球部へ
●もたもた書いた じじいの原稿 A,野球小僧に会ったかい (自己紹介、エッセイ) 1, カビのはえた野球ボール ♪野球小僧に会ったかい 男らしくて純情で 燃える憧れグランドへ じっと見てたよ背番号 僕のようだね 君のよう オーマイボーイ ほがらかな ほがらかな 野球小僧♪ 灰田勝彦さんの歌った「野球小僧」ご存知ですか。私、今でも時々歌ってます。戦中戦後にかけ、プロ歌手の人達も全国各市町の芝居小屋を回って興行した。(公民館や文化ホールなどはない)私達の町にも昔ながらの小屋が