野球小僧2

⒉ 野球小僧はケガに強い

 父の小さな工場内にキャッチボールができるくらいの空地があった。そこが野球に目覚めた私の手ごろな練習場になった。若い職人さんが2人いて相手をしてくれた。知らぬ間に、相手を座らせて、ストライク、ボールと、ピッチャーになり切っていた。
中学校では野球部に入るも、すぐに投げたい、打ちたい、の我がまま野球小僧。球拾いが嫌で、すぐにやめてしまった。誘われて陸上部に入った。3年生になった時、野球部の友人から「3年生がいないから」と声を掛けられると、また野球部へ。この生徒だけの勝手な転部は陸上部の方からクレームがついたが、私はかまわず野球部に戻った。二塁手、6,7番で市立中学校対抗戦にも出場したが、ヒット1本打った記憶しかない。

高校へ入るも、勉強が嫌で嫌で、1年でやめてしまった。「学校出なくたって、勉強はできるさ」と。父も母も、何も言わなかった。説教など一切ない。私達子供6人は、あたたかく、自由に育てられた。
でも、私はアホやった。やめてから気付いた。「やっぱりし、学校は行った方がいい」と。私は、やむなく一人で勉強を始めた。

その間も、私流の野球は続けた。父の工場の職人さんに父も加え、あと近所の野球友達も入って即席のチームを作った。近くの小学校グランドで、父が仕事で世話になっている友人の会社チームと試合をすることになった。私は投手で、どんどん三振を取った。父の世話になっている会社なんだから、少し甘くして投げた方がいいのかな?と、ふと思った時、父が言った。「どんどん投げろ。しっかり打ち取れ」
地元の青年団の大会にも参加した。うまい人が多かった。私は慣れないセンターを守った。いいところを見せたかったが、打球は飛んでこない。と、その時、大きなフライが上がった。私の真上、高い。伸びてくる。
「捕るぞ、捕って、いいとこ見せなきゃ」
真後ろへのバックは難しい。それでも懸命にバック。「ドーン」と音がしたような気がした。
気が付くと、何人かの人達が、私を上から覗き込んでいる。試合を観戦していた工場の職人さんが「とし君、大丈夫か」と声をかけてくれた。私はグランドに倒れているようだった。そうか、私は夢中になってバックして、高い鉄棒の木の柱に思いっきり頭をぶつけたのだ。倒れて、みんなが駆け付けるまでの?分間、気を失っていたようだ。私は起き上がって、なんでもなかったように、歩いた。どこも痛くない。翌日は捻ったらしい右足が少し痛んだが、頭も正常、いつもと変わらない。でも、気を失った体験は初めてだ。
 
日頃、人生PPK(ピンピンコロリ)がいいと思っているけど、なぜか最近は、STK(スッテンコロリ)になっている。軽く走ったり、散歩のときでさえ、スッテンコロリと勢いよく、全身で前へぶっ倒れる。痛いだけでケガはない。野球小僧はケガに強い?
 
高校をやめ、一人で自由に勉強を、といっても、なにか落ち着かない。気晴らしに近くの本屋へ、立ち読みに行く。スポーツ雑誌を見るのは楽しい。ある日、「ベースボールマガジン」を開いていると、東京6大学の特集があった。早稲田大学もあった。真っ白なユニホームに、えび茶のスクールカラーで、WASEDA。かっこいい。即、思った。
「おれも、あのユニホームを着て、野球をしたい」

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