野球小僧1



●もたもた書いた じじいの原稿

A,野球小僧に会ったかい (自己紹介、エッセイ)
1, カビのはえた野球ボール

♪野球小僧に会ったかい 男らしくて純情で 燃える憧れグランドへ じっと見てたよ背番号 僕のようだね 君のよう オーマイボーイ ほがらかな ほがらかな 野球小僧♪
灰田勝彦さんの歌った「野球小僧」ご存知ですか。私、今でも時々歌ってます。戦中戦後にかけ、プロ歌手の人達も全国各市町の芝居小屋を回って興行した。(公民館や文化ホールなどはない)私達の町にも昔ながらの小屋があり、灰田勝彦さんも来た。田端義夫も。祖母が小屋の裏口番をしていたので、裏口から入り、生の歌声を聞いた。美空ひばりも来た。翌朝、ひばりが国鉄で帰ると聞き、一目会いたいと、駅へ自転車を走らせた。その私の横を、脇に座席の付いたバイクの座席に乗って半田駅へと走り去る、ひばりの後姿をちらっと見た。

世は野球狂時代へ。プロ野球も開幕。私は大下弘、小鶴誠などホームランバッターに憧れた。机に向って勉強するのは大嫌い。キャッチボールじゃ物足らない。テニスボールを打つ三角ベースでの野球を勝手に楽しんだ。他に木登り、かくれんぼ。とにかく、外に出て体を動かすのが大好き。それは今も同じ。リウマチで関節が重いけど、ストレッチを続ける。痛い右足を引きずりながら、毎朝・夕、30~50分は歩く、走る。日差し、風、空気がおいしい。

終戦間際、空襲警報で防空壕に逃げ込み、米が無いので、自分たちの手でこねたうどん、団子汁を食べた。小学校へはゲートルを足に巻いて集団登校。1年生の時、担任の女教師から、私を含め5、6人の生徒が教壇に立たされ、順番に思い切り平手打ちをくらった。痛いのも忘れて驚いた。殴られた理由は分からない。2年生の時に終戦。母、祖母と一緒にラジオで終戦の言葉を聞いた。




楽しむ草野球

「あっ、何?これ」   
戦中戦後のごたごた感が少し落ち着いたかなという小学校3、4年の頃か、家の階段に近い窓際の片すみに、控えめに置かれている丸いボールを見つけた。
「野球だ。野球のボールだ」
ゴム製の軟式ボール。滑り止めの小さな丸い穴が全面に点いている。が、まっ黒につぶれてカビが生えているみたい。でっかいセンベイみたいに固くバリバリに乾いたグローブもあった。
私は隣家の同年の友達を誘って、家と家に挟まれた狭い路地でボールを投げ合った。古くてバンバンに張ったグローブと一人は素手で、固いボールを掴むのはちょっと難しかった。これが私の野球との出会いだった。WBCならぬ、W(わくわく)B(べったり)C(くさやきゅう)人生の始まりだった。

終戦になったとはいえ、不衛生で、家の内外を蠅や蚊が飛び交う。蠅を100匹捕らえて、市役所に持っていくと、クジがひける。一等は賞金???円(忘れた。今の10万円くらいかな)がもらえた。私が100匹を捕まえて、市役所でクジを引くと、まさかの一等賞。翌日の新聞にも紹介された。私の小学校5年生の頃だ。母は賞金から、バットとソフトボールを数個、私の小学校に寄付した。当時、小・中学校の体育の時間には、よくソフトボールをしていた。私は、いつもレフトオーバーを狙って、バットを振り回していた。



父と

「でも、あの古いボールとグローブって、なぜ、あの時、あそこにあったんだろう」「もっと前からあったのなら、もっと早く気付いていたはずなのに」「誰が置いたんだろう?」

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