童話 走れアンカー2
秋晴れだ。
そよ風が心地いい。
利光は大きく胸を張った。
今日は、中学校最後の運動会だ。
小学校の頃から運動会では、いつも胸がときめく。徒競走では、決まって一等賞。二等になったことがない。ゆうゆうの一等もあれば、最後まで競り合って、抜き切った一等もある。
中学校では陸上部の誘いを断って、今は野球部のトップバッターとして活躍している。
「最後の運動会だから、みんなに、いいところ見せなくちゃ」
利光は子供の頃から外遊びが大好き。夏は真っ黒になって川で泳いだ。公園を駆け回って遊んだ。駆けっこは、いつも一番。木登りも得意だった。
「としみつ、勉強しなさい」
母親から何度叱られても、遊んでばかり。机に向かうことが大嫌いだ。「放っとけ、放っとけ」が、小さな建築業を営む父親の口ぐせだった。
利光たちの町の港には、大きな製鉄工場ができた。町に住む人たちも多くなった。郊外にはマンションや新しい家々が建ち、町の景色も大きく変わった。利光たちの中学校も生徒数が増え、三年生は八クラスになった。
運動会の最後を飾るのは三年生のクラス対抗リレーだ。各クラスから選ばれた四人の走者が、バトンをつないで、勝敗を競う。
利光たち渡辺クラスのメンバーは、真吾君
時夫君、茂君、そしてアンカーは利光と決まった。
三番目に走ることになった茂君は、二年前に、この町に引っ越してきた。父親は自動車部品をつくる工場の技術者だという。
茂君は長身で長髪、色白でスマート、学校の成績はクラス一番。丸刈りで、日焼けした顔に太い眉、体育以外の成績はすべて駄目という利光とは対照的だ。
茂君とは話をしたこともない。利光の苦手なタイプだった。
この四月、体育の時間で、近くの運動公園を、ぐるり回るミニマラソンがあった時のことだ。トップを走る利光に突然、後方から足音が迫ってきた。「えっ」と振り返ると茂君だった。
「茂君に抜かれてなるものか」
利光は最後の力を振りしぼって、茂君を抑え切った。へとへとに疲れて、体育館の裏で寝転がって休んだくらい。
「秀才で体力のなさそうな茂君が、おれに迫ってくるなんて」
利光にとっては、思いもよらぬ体験だった。
運動会では、利光たちの出番が近づいている。
「例え、二番でバトンを受けても、相手を抜いて一位になってやる」
やる気と緊張感がますます高まってくる。
まずは、四組による予選で勝たなくてはならない。
いよいよ、スタートだ。
渡辺クラスの真吾君、時夫君が接戦を振り切って二位で茂君へバトンを渡す。茂君が歯を食いしばり、懸命に走る。一位におどり出た。一位のまま、利光にバトンが渡された。
利光は素早くバトンをつかむと、即、ピッチを上げ、全力で走り出した。
調子はいい。これでもかとばかり、力を振りしぼって走った。
ゴールが近づいてくる。このまま一位でゴール、と思った時、右脇から現れた走者が、あっという間に利光を追い抜いた。そのまま一位でゴールイン。
「わ~」という歓声が利光の耳にもとどいた。
利光は二位だ。生まれて初めての二位だ。しかも、ゴール直前での見事な逆転負けだ。
今までの自信もプライドも、即、消えうせてしまった。
利光を抜いたのは山本クラスの武馬君だ。「おれは全力で走った。なのに」
初めての敗北に、利光のショックは大きかった。
しかも、二位に入ったから、決勝戦に出場する。
ここでもう一度、利光は武馬君と対決することになるだろう。そして、また負けるだろう。全力疾走しても抜かれてしまった。これ以上、速くは走れない。
「また同じ恥をかきたくない」
どうしたらいいのか。利光は平気な顔をよそおいながらも、もんもんと悩んだ。
「そうだ。わざと負ければいいんだ」
茂君からバトンを受ける時、わざと、もたもたして、スピードを落としてスタートすればいい。武馬君のあとから走れば、抜かれることはない。大恥をかくこともない。
いよいよ、運動会の最終ラウンド、三年生のクラス対抗リレー決勝戦が始まった。
第一走者から第二走者へ、そして第三走者へとバトンが渡った。
トップは佐々木クラスだ。茂君が力走、三位から二位へ上がってきた。三位は武馬君たちの長尾クラスだ。
「スタートで、もたもたして武馬君のあとから走り出すのだ」
利光は“作戦”を頭に描いて、茂君を待つ
茂君が必死の表情で走ってきた。利光がバトンを受け取り、思っていた作戦に入ろうとした、その時。
「とっ君、たのむ!」
茂君の声が耳の奥にとびこんできた。
その瞬間、利光の体にピリッと閃光が走った。もたもたするどころか、猛烈な勢いで走り出した。全力で走った。夢中で走った。
トップは佐々木クラスの義男君が走る。二番が利光、三番が武馬君。予選と同じ体勢だゴールが近づいてくる。すると武馬君が利光の右脇に並んだ。
「抜かれるもんか」
利光は、すべての力を振りしぼって走った。
武馬君が、ぐぐっとピッチを上げた。利光を抜き去る。先頭を走る義男君も抜いた。
夢中で走る利光の耳にも大きな歓声が、ひびいてくる。
「また負けた。抜かれた。ゴール直前でまた同じ恥をかくなんて」
「いつも一番の利(とっ)君」のカンバンもプライドも帳消しだ。
背なかを丸めて、利光が三人のメンバーと一緒に、グランドのクラスの席にもどると、級友たちは笑顔で迎えてくれた。拍手をしてくれる人もいた。
それでも、利光は、へなへなと気落ちしたままだ。
「やっぱり、わざと、おくらせて武馬君のあとから走った方が、よかったんだ」
利光は素直に負けを認めることができない。
翌日、いつもなら、グループの先頭に立って元気よく登校するのに、利光は頭をたれ、グループのあとから、一人もそもそと歩いている。
すると、坂の上のマンションから坂道を下りてきた茂君とばったり。
「とっ君、おはよう」
茂君の声が明るい。
「あっ、この声だ」
利光の頭のてっぺんがピリッとした。きのうのあのシーンが甦った。
『とっ君、たのむ!』
この声に反応して、あの”もたもた作戦を、ころっと忘れた。夢中になって走り出したのだ。
「きのうは、みんな、がんばったよね」
と、茂君が空を見ながら言った。
「真吾君も、時夫君も、いつもより速かった」
「うん」
利光も思わず、うなづいた。
「もちろん、とっ君もパーフェクトだった
ぼくもフル回転で走ったよ」
「うん」
「四人でバトンを、つないだんだ」
「そ、そうだよね」
利光は、その時、初めて気づいた。
「リレーは四人の力で走るんだ」
と。
もし、利光が自分勝手に、一人芝居をしていたら、仲間三人の思いや努力を無視したことになる。
「茂君のあの時の、声かけがあったから、おれ、正気にもどって、走れたんだ」
抜かれて負けたことは悔しい、恥しい。でも、あの自分勝手な思いの方がもっと恥しい
武馬君に負けても、自分に負けてはいけない。
「茂君、ありがとう」
利光も空に向って叫ぶと、跳ねるように駆け出した。
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