鉄也のひと振り

                                                                                              Posted by トックン
  
 
 私が大神鉄也と初めて会ったのは、名古屋のソープランド『ダブルプレー』だった。もう20年前になる。
 その夜は二人ともかなり酔っていた。
「おれの方が先だぜ」「なんだよ、お前。おれの方だよ」と、順番を競って言い争いになってしまったのだ。
 ところが、ひと汗かいて外へ出たところで、またばったりと顔を合わせてしまった。でも、今度はどちらからとなくニヤっとして
「どう、これから飲み直しに行かない?」「ああ、いいね」
 といった巡り会わせで、二人は今も親しく付き合っている。
 20年前、私はニッポンスポーツ新聞の駆け出し記者で、プロ野球セ・リーグ、中京ホープスの担当になったばかりだった。
「じゃ、おれのこと知ってるだろう」「えっ、あっ、うん」
 私は辛うじて選手名簿の片隅から、大神鉄也の名前を拾い上げた。
 大神鉄也は高校時代、まったく無名の選手だった。各球団の入団テストを何度も何度も根気よく受けて回った。そんな鉄也の熱心さに折れた中京ホープスが「ブルペン捕手でもいいなら」の条件で鉄也を採用してくれたのだ。
「1日も早く1軍に上がって打ちまくってやる」
 ガッツでは誰にも負けぬつもりだった。しかし、腕っぷしにまかせて振り回すアッパー打法が災いして、2軍ぐらしが5年も続いていた。
 鉄也に1軍入りのチャンスがないわけではなかった。が、肝心な時にヘマをしてしまうのだ。
 2日酔いのため、バッターの打ち上げたフライが二重三重に見えて左目に当て、全治2週間。スナックで女の子に言い寄って突き飛ばされ、椅子から転げ落ちて、したたかに腰を打った。ブルペンで捕球中にスタンドの女子大生のスカート下に見とれて投球を受けそこない、急所に当てて1日寝込んだこともある。
「鉄也、しっかりしろよ。酒と女を断て。もうあとがないんだぞ」
 私は何度も説得した。
 そんな鉄也にも、ついにチャンスが回ってきた。二人が出会ってから2年後のシーズンの後半だった。相次ぐ捕手の怪我で、急きょ鉄也が1軍に引き上げられたのだ。
 
 その年のセ・リーグは東京ドリームズの進撃が続いていた。その原動力はエース、大田川の快投だった。前半にしてすでに10勝をマーク。今や東京ドリームズのエースというより、名実とも球界ナンバーワンの大投手となっていた。
 大田川は高校、大学と常にエースとして活躍。早くから超大物投手として注目されてきた。ドラフトでも5チームが競合したが、勝運強く希望どおり、伝統ある東京ドリームズへの入団を果たした。典型的なエリートの道を歩み続けてきた。
 酒、タバコは口にせず、まして女子アナや女優に言い寄ることもない。今や球界の優等生だった。唯一の息抜きといえば、奥さん手づくりの、ぼたもちを食べ、テレビ「水戸黄門」を観賞することだった。
 今の実力からすれば、完全試合の達成も時間の問題と思われた。そして、そのチャンスが巡ってきた。それはオールスター戦直後の東京ドリームズ対中京ホープス戦だった。
 中京ホープスもよく健闘していた。しかし、首位をいく東京ドリームズとの差は6ゲーム。肝心のドリームズ戦に弱かった。特に、大田川が打てなかった。カーブのコントロールは抜群。加えて、内・外角いっぱいを突く快速球にはホープスの主力打者もきりきり舞いさせられる。分かっていても打てないのだ。
 その大田川は、この日、絶好調だった。1対0でドリームズがリードのまま、9回裏、ホープス最後の攻撃もすでに2アウト。この試合唯一の4球の走者が1塁にいるというものの、ヒットは1本も与えていない。あと1人でノーヒット・ノーランの大記録を打ち立てることになる。
「ピンチヒッター、大神!」
 突然、中京ホープス、白星野監督の怒ったようなダミ声が響いた。
 代打陣をすっかり使い果たした最後の賭けなのか。超満員の球場いっぱいに歓声と罵声が飛び散った。
 白星野監督のやぶれかぶれとも思えるこの宣告に誰よりも驚いたのは、鉄也自身だった。
「この肝心な時に、なんてことだ」
 体に力が入らない。雲の上を歩いているみたい。完全な二日酔い状態だ。
「痛ってて」
 おまけに左肘を捻ると激痛が走る。とてもバットの振れる体ではない。といって、この土壇場に逃げ出すこともできない。
 恐る恐る打席に立ったが、たちまち2ストライク・1ボールと追い込まれてしまった。
「鉄也、振れ。なんでもいいから振り回せ!」 私は記者席を飛び出して、無責任に叫んだ。
 今だから話そう。この試合の前夜、私は鉄也を焼き肉屋に誘った。「必ず出番がくるから」と励まして別れたのだが、その時に空けたジョッキ一杯のビールがいけなかった。鉄也のやつ、私と別れたあと、いつもの悪いクセで梯子酒となった。そして『ダブルプレー』へなだれ込んだのだ。ところが、乗りがよすぎて浴室のタイルで見事なスライディング。その時、強烈に左肘を打撲していたのだ。
「ソープランドで滑って、左肘が痛いので打てません」と、どうして言い訳できようか。
 マウンド上の大田川は表情ひとつ崩さない。憎いほどクールだ。
 大田川はピクっと鼻で笑うと、絶対の自信を持った勝負球、外角低めへのストレートを投げ込んできた。
「えいっ」
 鉄也は振った。いや、振らねばならない。もう、やけのやんぱち。ただ目をつぶり、ハンマーを上から叩き付けるように、バットを足元に打ち下したのだ。肘から頭蓋骨へ抜けるような激痛が走った。
「うぐぐ」
 やった。大田川、ノーヒット・ノーラン達成! 
 と、誰もが思ったろう。
 ところが、である。
「ギーン」と、不思議な音を発しながら、鉄也のバットに弾かれた打球は、風にも乗って踊るように宙を舞い、ライトスタンドぎりぎりに飛び込んだ。
 逆転サヨナラ2ランだった。
 東京ドリームズと中京ホープス、大田川と鉄也に転機が訪れたのは、この試合を契機にしてだった。
 無名の鉄也に絶対の勝負球を打たれ、ノーヒット・ノーランを逃がしたばかりか、逆転サヨナラ負けを味わった大田川のショックは意外なほど大きかった。以後、急速に自信を失い、低迷を続けた。酒に溺れる日が多くなった。
 中京ホープスは、この逆転勝利で勢いに乗り、念願のリーグ優勝を成し遂げた。
 一方、鉄也はといえば、あのやけのやんぱちで叩きつけたハンマー打法で自信をつけた。酒と女を断ち、チーム1の模範的プレーヤーとなった。
 しかし、よほど打ちどころが悪かったのだろう。左肘打撲の後遺症に悩まされ、その5年後には引退を余儀なくされた。
 球史に残る球界のエース、大田川。彼の前に立ちふさがり、ノーヒット・ノーランの夢を砕き、中京ホープス逆転優勝への導火線となった無冠のヒーロー、大神鉄也。球史にも残らない鉄也のあの幻のひと振りの真相を知っているのは、私だけだ。
 今、鉄也は名古屋の下町で、居酒屋『やんぱち』の親父になり切っている。私が『やんぱち』の常連であることはいうまでもない。

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