見出し画像

【連載小説】韓信 第22話:対峙は続く・・・

第3部

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門

対峙は続く・・・

 韓信が楚の使者を前に語った言葉は、彼の世界観を如実に示している。彼は言った。「国境というものは少なければ少ないほど良い」と。一見覇道を極めようとする者の言葉のようであるが、実際はそうではない。彼は小さな国粋主義を嫌い、広い視野で世界を捉えようとしていた。しかし彼自身にも能力の限界があり、周囲の状況も彼の理想を実現させはしなかったのである。


 漢は彭越に楚の後方を撹乱させ、その隙に再び成皋を奪取した。そして険阻な広武山に陣を取り、項羽を迎え撃つ構えを見せた。

 ひと口に広武山というと単独の山を連想させるが、実はこの山は二つの峰に分かれた連山であり、「広武山」という山名は、その総称である。

 漢・楚の両国が争っていた当時はそれぞれの峰に固有の名称はなかったが、現代では東が覇王城、西が漢王城と呼ばれていて、有名な史跡となっている。

 つまり、広武山に築城した漢軍を追って楚軍も広武山に入り、互いに谷を挟んで対峙することになったのである。この事実だけから判断すると、ついに漢は武力にまさる楚によって山に封じ込められた、と感じてしまいがちだが……。


 しかし、実際は西に陣取った漢の後背には敖倉があり、食料が尽きることはなかった。かつて秦が強権的に民衆から収奪し、こつこつと蓄え続けた穀物が漢を救ってくれる……したたかな漢の戦略が、そこにあった。

 これに対して東に陣取った楚の後背には何もなく、唯一当てにできるのは遠い彭城からの軍糧補給路しかなかった。しかも、これを彭越がたびたび襲撃する動きを見せ、項羽を対処に困らせたのである。

 このことを受け、対立の長期化を嫌った項羽はしきりに短期決戦を挑もうとした。が、当然ながら劉邦はそれを受け流し続ける。戦況は膠着状態となり、両者が対峙する期間は思いのほか長いものとなった。

 項羽と劉邦の両者の駆け引きは続き、永遠に決着することがないように思われた。しかし、この時こそが長らく続いた楚漢抗争の最終局面の始まりで、いわば、終わりの始まりなのである。


 時は酈食其の死後、韓信が臨淄に突入したころであった。


 ある日の午後、楚の陣営に何やら動きが見えた。向かいの峰の様子をうかがっていた漢の兵士たちには、具体的なことはよくわからない。ただ、遠目に見える楚の兵士たちの表情がそれまでになく明るく、自信に満ちていることだけがわかった。

 なにが始まるのか不審に思った漢兵たちが様子を見ていると、やがて楚兵たちは大きな板を持ち出し、それを漢側に見えるよう、正面に据え付け始めた。

――いったい、どういうことだろう。

 板の大きさは縦が八尺、横が六尺ほどの大きさで、ちょうど人間がひとり両手を広げて横たわることのできる大きさである。それがわかっても漢兵たちは事態を掌握することができないでいたが、やがて一人の老人が連行され、その板に磔にされるのを確認することとなった。

 そして、彼らはようやく楚軍の意図を理解したのである。

――あれは……劉太公だ!

 磔にされたのは、劉邦の父であった。彼は劉邦が彭城で敗戦して以来、嫁の呂氏とともに楚軍に捕らえられ、捕虜となっていたのである。


「漢王よ! 聞こえるか。今、お前の父は、お前自身の不孝によって煮られようとしている。悔い改めようとするならば、今すぐ降伏しろ。それが嫌だというのであれば、お前の父は死ぬ。言っておくが、わしはどちらでも構わぬ。父親を失うか、降伏するか、選択の自由はお前にある。どちらか好きな方を選べ!」

 項羽はそう言いながら、周囲の兵たちに指示を出した。すると大きな解体用の包丁やら、料理用の大釜やらが粛然と用意されていく。


 太公を磔にした板は、実は巨大な「まな板」であったのだ。


 劉邦はこの様子を確認し、いたたまれなくなった。これまでの彼は決して孝行息子などではなく、思いのままに天下を望み、結果的に肉親を巻き添えにして苦しめてきた。それを常に心に病んできたわけではないが、ここまでされるとさすがに気持ちが揺れる。黙って殺させるわけにはいかなかった。


 劉邦は怖じ気づき、行動を起こすことをためらったが、王としての義務がそれを許さない。意を決して胸を張り、谷を隔てた項羽にむかって言い放った。

「項王! ……わしとお前はかつて……ともに懐王の臣となり、兄弟の約を結んだ仲であったな。わしとお前は兄弟! ……つまり、わしの親父はお前の親父でもある」

 現代ではとても通用しそうもない理屈だが、これも、この時代特有の「義」の概念に基づく論法である。「義」は戦乱の時代のなかでの数少ない道徳概念のひとつで、これを否定することは当時の人々にとって最大の悪徳とされた。また、子が親を殺すことは「孝」の理念にも反する。

 劉邦は実際に自分と項羽が義兄弟だと信じたことは一度もなかったが、懐王の下でともに君臣の契りをたてたことは事実で、理論上は間違っていない。よって、この種の論法を項羽が真っ向から否定することはないだろうと信じた。

「お前が自分の親父をどうしても殺すというのであれば、わしはあえて止めようとは思わないし、実際にここからではただ眺めることしかできない。好きなようにせよ。ただし、ひとつだけお前に言いたいことがあるのだが」

 ここで劉邦は内心で怯えつつも、極めて不遜な一語を発した。

「……お前がそこの親父を煮殺した暁には、どうかわしにもその煮汁を一椀恵んでもらいたいものだ!」


――生意気な!

 この言葉に逆上した項羽は、本当に太公を殺そうとしたが、項伯がこれを諌め、ことなきに至った。劉邦は危険な橋を渡ることになったが、なんとかこの場を乗り切ることができたのである。


 広武山における楚漢対立の第一幕が、これであった。


「どうだ、体の具合は?」

 項羽は居室に戻ると鍾離眛のもとを訪ね、そう語りかけた。

「おそれながら、まだ歩ける状態では……」

 それまで横になっていた鍾離眛は、項羽の姿を認めると体を起こし、居ずまいを正そうとした。

「そのままでよい」

 項羽はそれを止め、自ら眛の肩を抱き、あらためて横に寝かせた。


 広武山での楚漢の対立のそもそもの発端は、成皋近郊で鍾離眛が漢を攻め、逆に包囲されたことにある。そこに風雲告げるかのように項羽が現れ、恐慌をきたした漢軍が広武山に逃げ込み、築城したのだった。

 この戦いのさなか、鍾離眛は落馬して足を負傷していた。


「痛むのか?」

 項羽の口調には、眛を責めるような厳しさはない。もともと味方には優しい男である。しかし、眛としてもいつまでもそれに甘え、寝続けるわけにはいかなかった。

 それを意識していても、なんとなく自分の鋭気が失われつつあることを自覚せざるを得ない眛であった。


「医師の話では、骨は折れていないとのことです。……しかしまだ腫れが引かず、患部は熱を発し、よく眠れもしない状況でございます。再び将軍として兵を率いる日が、いつになることやら……」

「弱気になるな。戦陣の先頭に立てば、負傷することもあるものだ。わしにはそのような経験はないが、これは特別なことなのだ。わしが負傷せず、君が負傷したことを気に病む必要はない」


 凡人たる自分は戦えば負傷し、超人の項羽は負傷しない、ということか。

 眛には項羽がぬけぬけと物を言っているように思えたが、よくよく考えてみると項羽の言は正しい。自分が能力的にも運にも恵まれているのであれば、上に立つ人物は項羽ではなく、自分であろう。そのような事実を目の前の項羽が黙認するだろうか?

……するはずがない。自分は項羽より劣る男なので、彼に服従し、彼によって生かされているのだ。

「しかし、このところ私自身、精彩を欠いている気がするのです。戦えば勝てぬだけでなく、自分自身も負傷してばかりで……。怪我が治って戦陣に立ったとしても項王のご期待に添えるような活躍ができるとは思えません」

 項羽は鼻から音をたてて息を吐き、不満の意を示した。

 正直な話、彼は鍾離眛に自分自身ほどの働きを期待してはいなかった。しかし、その存在は重要である。気が付いてみると、楚軍中には眛と並ぶ地位を持つような人物は少なくなっていた。項羽の下からはすでに范増が去り、黥布も去ってしまっていたのである。

 そればかりではない。今、漢の軍中で軍略を練っている陳平も、もとはと言えば項羽の部下であったし、かつては韓信も項羽の部下であった。これ以上人材の流出を防がねばならない項羽としては、眛をいたわらねばならない。

「韓信にやられた矢傷の方は、癒えたのか。思えばあの時も、わしがもう少し早く戦場にたどり着けば良かったのだ。君があのとき受けた傷に関しては、君自身に責任はなく、わしの戦略のまずさから生じた出来事だった。よって、君はもっと自分に自信を持て。そうすればわしは最大限の努力をもって、君の将来を保証しよう」

 項羽の言葉はかつて陳平の策略によって鍾離眛を疑い、結果的に遠ざけてしまったことを意識している。今、項羽は彼なりに自分の行為を反省し、贖罪の意を示しているのであった。

「わかっています……私の弱気は、負傷による痛みから発した一時的なものでありましょう。もう少し時間を……。時間が経てば、私の鋭気も復活します。ところでお話に出た韓信の件ですが」

「韓信が、どうした」

「彼をどうお思いになりますか」


 鍾離眛の問いに、項羽はしばらく考え込み、やがて言葉を選ぶようにして答えた。

「奴は……不思議な男だ。かつて奴は楚軍にいたころ、何度かこのわしを諌めようとしたことがある。わしを恐れもせずに……。また、奴は無法者の股の下をくぐるような男であったが、戦場では果敢にもわしと一騎打ちをしようとした。これは一体どういうことか? 奴にとってわしは市井の無頼者以下なのか? あの男に腹を足蹴にされたことは、わしにとって一生の屈辱でもあるのだ」


 鍾離眛は韓信を多少弁護するような口ぶりで、それに答えた。

「実を言うと私は、彼とは幼少の頃からの知り合いで、その性格をよく存じております。彼は……本来争いを好みませんが、相手が強ければ強いほど、立ち向かおうとします。どうでもいい相手とは争いもしないばかりか、口もききません。彼は、そういう男です」

「では、わしはめでたく奴に認められたということか。喜ばしい限りだ。……いや、冗談はさておき、実のところ、わしは奴が恐ろしい。味方の時は全く気にもしなかったのだが。韓信は西魏、趙、燕を従え、いま斉を平定しようとしている。眛よ、漢の本隊は実は韓信ではないのか? わしには目の前のひげ親父が実は囮のような気がしてならぬ」

 気位の高い項羽にとっては、劉邦などただのひげ親父に過ぎぬ。鍾離眛は思わず笑いを漏らしそうになったが、項羽の表情が真剣だったので、あえてそれを控えた。

「韓信が斉を平定し、その勢いのまま彭城に入城したら、楚は一巻の終わりだ。しかし、それでもわし自身は劉邦を討つことにする。韓信は、劉邦が死ねば楚に降伏するかもしれないが、劉邦は韓信が死んでも、降伏はしないだろう。確たる理由はないが、そんな気がする」

 この言葉を立証するかのように、項羽は斉の王室を救援することを名目に将軍竜且を派遣した。実際は韓信の進撃を止めることが目的だったことは言うまでもない。そして自分は劉邦を相手にしきりに勝負を挑み続けたのである。

 項羽が早めの決着を願ったのは、兵糧が不足しているという事情も確かにあったが、東の韓信の動静が気になったということも一因としてあるのだった。


「天下の者が長らく恐々とおののいているのはなぜか。ただ我ら両名がこの世に存在しているからである。ただ我ら二人が対立し、民はその巻き添えを食っているに過ぎないのだ。わしはこのような現状を深く憂える。願わくは、漢王と二人、単身で戦い、互いに雌雄を決することを望む。わしは、いたずらに天下の民をこれ以上苦しめたくはない」

 ……これは、項羽が対立する劉邦に宛てて使者に言わせた文言で、いわば果たし状である。自己の存在が必要悪であるという自覚を窺わせるあたり、ただ暴虐なだけと言われた項羽という男の真の人間性が見てとれるような言葉であった。

 しかし同時に、このときの項羽がどれほど勝負を焦っていたか、それを窺わせる文章でもある。


「冗談じゃない。わしは腕力を戦わせるのはごめんだ。知恵で戦う」

 劉邦は項羽の挑戦に対し、笑って答えたという。それもそのはずである。一騎打ちなどしたら、項羽が勝つのは目に見えているからだ。

 お前の土俵で勝負するはずなどないではないか、劉邦はそう主張するに違いなく、そのことは冷静な判断力があれば、項羽にもわかるはずであった。


 項羽の判断力を鈍らせた原因は、韓信にあった。これより先、項羽はひとつの凶報を耳にしていたのである。

「竜且が死んだ、だと!」

 項羽としてみれば、竜且に完全な勝利を期待していたわけではない。しかし、竜且にはせめて自分が斉に赴くまで戦線を維持することを期待していたし、彼にはそれができると思っていたのだった。

「そればかりではありません。高密に赴いた楚兵は悉く殺され、残りはすべて捕虜となってございます。東方へ遠征した楚軍は、全滅です」

 凶報をもたらした使者は、その言上があたかも自分の武功であるかのように、語気を強めて報告した。

「全滅! ……全滅だと……」

 項羽は使者を睨んだが、しかし口から出てくる言葉は呆然としたものでしかなかった。だが使者はその眼光の鋭さに気を取られ、にわかに態度を粛然としたものに改め、報告を続ける。

「竜且を殺し、斉王田広を処刑した韓信は、ついに斉王を称した、との由にございます」

――韓信め! あの男が、斉王! 信じられぬ。

 項羽はめまいを感じた。自分は韓信を確かに恐れていた。しかし、奴は恐れていた以上の男だった、そういうことか。もう一度、あの男と剣を打ち合い、対決すべきか。

 いや、狡猾なあの男のことだ。たとえ一騎打ちをすることになったとしても、どこかに伏兵を忍ばせておくに違いない……では、どうしたらわしは韓信に勝てるのか? このままでは……。


「項王。こうなっては、韓信を懐柔するよりほかありません。味方に引き入れるのです。それしかありませぬ」

 事態を憂慮し、痛む足を引きずりながら現れた鍾離眛は、項羽の耳元でそう囁いた。しかし項羽は、その言葉に同意を示そうとしなかった。

「わしは、討ちたいのだ。いま奴を懐柔しようとすることは、わしが奴に膝を屈することと同じだ。なぜ覇王たるこのわしが……」

 項羽は意固地になり、幼児のように駄々をこねた。眛としては、説得するしかない。

「項王が漢王を破るためには、後顧の憂いは取り除いておかねばなりません。たとえ彼を味方にすることが、項王が膝を屈することと同じだとしても、漢王を破るまでの間です」

「辛抱しろ、というのか! このわしに! それよりもわしが劉邦と対峙している間に、誰かが奴を討て。誰かおらぬのか、韓信に対抗できる奴は!」

 鍾離眛は首を横に振って、答えた。

「おそれながら、私には無理です。ほかの誰もが、そう答えるでしょう」

「貴様らはそれでわしに忠誠を誓っているつもりか!」


 項羽はそう言いながらも、怒気に任せて鍾離眛を斬ってしまおう、という気にはならなかった。情けないことだが、兵糧不足の現状では、項羽自身にも韓信に勝てる自信がなかったからである。

「仕方がない。韓信の下に使者を送ろう。だが、これは……時間稼ぎに過ぎぬ。使者の成否次第では、わしはやはり韓信を討つだろう」

「お聞き入れくださり、ありがたく存じます」


 言いながら、鍾離眛は考えた。おそらく、韓信は心を変えず、使者を送ることは結果として無駄に終わるだろう、と。

 眛の知る韓信は、人の変節を嫌う。嫌いながら、彼自身一度楚から漢へ鞍替えしているのだ。つまり彼は一度変節をしているのであり、二度目は絶対にない、と思ったのである。


――信……。お前は、なんという大物になったのだ。あの、剣を引きずって歩いた貧乏小僧が王になるとは……。

 眛にとって韓信はいまや袂を分かった敵同士であったが、それでも彼の栄達は旧友として誇らしいものであった。しかし、

――危険だ。危険すぎるぞ、信……。まさかお前ともあろう者が、栄達に目を眩ますことはないとは思うが……。足元をすくわれぬよう、気をつけろ……。

とも思うのであった。

 足元をすくわれる危険とはどのようなものなのか、眛には具体的に説明はできない。しかし漠然とした感情が彼を不安にさせるのであった。


 韓信のもとに使者が現れたのは、その後、間もなくであった。

 使者は、名を武渉(ぶしょう)という。盱眙(くい)の出身で、純粋な楚人であるらしかった。


――いよいよ私も、項王に一目置かれる存在となったか。

 韓信は過去を振り返り、自嘲気味に笑った。かつて自分はなにを進言しても目もくれない項羽に不満を持ち、楚を見限った。ところがいまや自分は斉王となり、ようやく項羽に認められる存在となったのである。

 見返してやった、という気持ちは確かにあった。だが、それで人生の目的を達したとは、当然韓信は考えない。


「漢王はひどい奴で、あてにできぬ男です」

 武渉はそう言って、話を切り出した。韓信としては、予想どおりの話の展開なので、それを理由に会見を打ち切るつもりはなかった。項羽の気持ちを知る機会はそう多くなく、使者の言上から楚の実情を知り得る良い機会だと考えたのである。

「項王は秦を破滅させたのち、将軍たちの功績を数えて土地を割き与え、それぞれの領地の王とし、士卒を休息させました。漢王は功績相応の領地を得ておきながら、勝手にそれに不満を持ち、いまや楚を攻撃しています。欲が深く、満足することを知らない、そんな奴です」

「……ふむ。続けるがいい」

「そもそも漢王は、鴻門で項王に情を受けて、今に至っております。あのとき項王は、漢王を可哀想に思い、生かしてやったのであります」

「そのときの仔細は私も知っている。確かにその通りだ」

「ところが危機を脱した漢王は、何度も約束に背き、項王を攻撃する始末……。奴に親しみをかければ裏切られ、約束をすれば破られる。どうやったらそんな男を信用できる、というのですか」

 劉邦に反転して攻撃しろと献策したのは、他ならぬ自分……。この男はそれをわかっていて言っているのだろうか。韓信には武渉が間接的に自分を批判しているかのように思えた。

 しかし、だとすれば劉邦がいま苦境にある根本的な原因は、自分にあるのかもしれない。自分の策に乗って行動している劉邦を見捨てることは、過去の自分の献策が間違いであったことを示すことになる。

 韓信は、そう考えた。

「漢王に反転を勧めたのは他ならぬこの私であるが、それには私なりの考えがあってのことだ。しかし、その判断が正しかったかどうかは、他人と論じたことがないので確信がない。良い機会なので武渉どのを相手に論じてみたいのだが、いいだろうか」

 使者の武渉は、突然の韓信の問いに、どう答えてよいのか分からぬ様子だった。

「は……?」

 武渉は使者としての責務を一時的に忘却したかのような、間の抜けた反応を示したが、韓信はそれに構わず話し始めた。

「幼少の際、私は師から聞いたことがある。人が病に倒れたときは、その体内に病原が宿っていると。病原の正体は菌であるが、不思議なことにその菌を駆逐して人を快方に向かわせるものも、菌なのだそうだ。つまり人の体内には善玉の菌と悪玉の菌が共生しており、ひとたび悪玉の菌が活性化すると、善玉の菌はそれを駆逐するために戦いを挑むのだ。病に倒れた人の体を乱れた世界と置き換えてみれば、私には菌の戦いが現在の我々の戦いを象徴しているかのように思える」

「すなわち、我々が社会において菌のような存在だと言うのですか」

「うむ。人の体に自浄作用があるのと同じように、社会にも自浄作用があるのではないかと考える次第だ。人が戦い合うのは、つまるところ世界を平和に維持するためではないかと。しかし、そう考えると皮肉だ。平和のために戦い続けるなど、実に人というものは救われない生物だと感じざるを得ない」

「…………」

「意識と知恵を持つ人類がやっていることは、それを持たぬ体内の菌の働きと変わらない。しかし戦い合わねばならぬとしたら、せめて少しでも世界を改善させたいものだ。だが私の見る限り、項王の戦いの目的はそうではなかった。彼は覇権を握ると新安で捕虜を穴埋めにしたうえに咸陽を焼き払い、諸国を分割して王をたてた。秦が実現した統一国家を否定し、世界を逆戻りさせたのだ。結果から見ると、秦によって故国の楚を滅亡に追いやられた項王が、民族的恨みをはらしたに過ぎない形になっている」

 武渉はこの韓信の発言を聞いて、信じられないとでも言いたそうな顔をした。

「斉王様は、秦の統治が正しかった、と仰りたいのですか」

「秦の改革はやや性急過ぎた感は否めないが、諸国を廃して郡や県を置くという統治策自体は素晴らしいものであったと思っている。私は国境というものは少なければ少ないほど良いと考えているのだ。人は国境の垣根を越えて交流し合うべきだ。そうすれば血は混じり合って、民族の壁はなくなるに違いない」

 韓信の言葉は、この時代ではかなり特異なものであった。彼は国があるからこそ争いごとが絶えない、と主張しているのである。

「仰ることは、理屈としてはわかります。しかし、人々がそれを受け入れることはありますまい。人は、基本的に安定を求めるものですから」

 武渉はそう言って韓信の言を否定した。

「私にもそのくらいのことはわかる。強引にその政策を推し進めた秦がたった三十年で滅んだという事実も、君の正しさを証明しているだろう。ゆえに私は思う。先ほど私が言ったような社会が完成するまでは、五十年、いや百年という時間が必要ではないかと」

「私には疑問ですな。百年のちの世界にも、きっと国境は依然として存在しているでしょう」

「うむ……実を言うと私にも自信がない。しかしその兆し程度のものは存在しているのではなかろうか……そう願いたいものだ」

「しかも今までのご発言は、あなた様が漢王に味方する充分な理由にもなっておりません。果たして漢王の天下になったとして、将来世界がそのような姿になっているという保証があるのでしょうか」

「保証か……いや、それはない。しかし、項王の天下になったとしたら、その可能性は皆無だ。彼は、楚人による楚人のための世界を築き上げるに違いない」

 韓信はそのように項羽を評価することによって、武渉がどのように反応するかを注視した。項羽を敬愛する楚人であれば、今の発言に激怒するはずだと思ったのである。

 しかし武渉にその様子はない。それどころか、彼は平然とした表情のまま、実に大胆な発言を韓信に浴びせたのである。

「人の思いはそれぞれ違い、しかもどれが正しいということもありません。項王には項王の、漢王には漢王の思いがあり、斉王様にもそれがございます。あなた様がご自分のお考えを実現する手段としては、漢王にそれを求めるのではなく、あなた様ご自身でそれを実行なさることに尽きます」

「…………!」


「どういうことだ」

 韓信は思わず聞き返した。自身の配下の者が言うのならまだしも、敵の使者の口から自立を促されることなど、彼は予想だにしていなかったのである。

「斉王様の仰る通り、世界が変わるには時間がかかるものです。あらゆる手を尽くしても自分が生きている間にはなにも効果があらわれない、という事例も数多くあります。しかし、だからといってなにも行動を起こさないわけにもまいりますまい」

 使者である武渉の口ぶりには韓信に同情する気持ちがうかがえた。当初は立場上韓信の考えを否定していた彼であったが、論議を重ねるうちに心を動かされたのかもしれない。

「しかし現状では、斉王様単独で楚を撃ち破るのは難しいかもしれません。また、漢王と斉王様とがまったく同じ考えで行動なさっている事実もないように私には思えます。でしたら三者三様に独立したら如何かと」

 武渉はまるで茶飲み話でもするような軽い口調でそう述べた。しかし当然のことながら、韓信にとってはそう簡単な問題ではない。

「私は漢王配下の一武将として、これまで行動してきた。斉王の座が転がり込んできたのは、その結果に過ぎぬ。私には漢王から独立する理由がないのだ。たとえ私自身の考えが漢王のそれと相容れることがない、としてもだ」

「斉王様には、なぜそこまで漢王に肩入れなさるのですか。項王のことが、それほどお嫌いなのですか」

「いや、そこまでの感情はない。かつて私は項王に何度も諫言したが、項王はそれを少しも聞き入れてくださらなかった。私が彼に仕えないのはこれが最大の理由であって、ことさら項王を嫌っているからではない。好きではないことが即嫌いであるということにはなるまい」

 武渉はうまくかわされたような気がした。しかし、意外に韓信の本音はそこにあるのではないか。

「では、斉王様は漢王をお好きなのですか」

 武渉としては自然な質問である。だが韓信はこの問いに対して困ったような表情をあらわした。

「……感謝はしている。漢王は私の策を用い、私自身も登用してくださった。そればかりか、漢王は自分と同じ食べ物を私に勧め、寒いときには自分の着ている服を私に着せ、暑いときには私の汗を拭いてくださった。……漢王には漢王の意図があるのかもしれず、あるいはそういった行為のすべてが私の離反を抑えるためにあったのかもしれない。しかし、私は項王からそのようなもてなしを受けた経験がない。よって私はたとえ情勢が漢の不利にあるとしても、漢の側につくであろう。それが、恩義というものではないか」

 恩義を感じていながら、好きだと断言できない苦しい心情がそこに現れていた。しかし計算高い武渉はあえてそのことには触れない。

「さもありましょう……。しかしあなたはいまや単なる漢の一将軍にあらず、一国の王たる身でございます。斉の国民の運命を無視して、不利な漢の側に立つことは、正しいことでございましょうか?」

「しかし、あながち漢が不利だとはいえまい。私が漢の側に立つことによって、情勢は逆転するだろう」

「……さすがにわかっておられますな! 天下の趨勢は、斉王、あなた様の動きにかかっておるのです。あなたが漢の側に立てば、天下は漢に帰し、楚に立てば、天下は楚に帰すのです。これは斉王様にとっては非常に危険な立場であるといわなくてはなりません。私は、漢王が斉王様の忠節に応えることはないと考えておりますが、斉王様があくまでも漢王に恩義を感じていらっしゃるというのであれば、しつこくは申し上げません。ただ先ほども申したように、漢・楚いずれにも属さずに中立を唱えれば、天下は三分され、しばらくの間安寧を保つことができましょう。それが知恵者のとるべき行為であろうかと存じます」

 武渉は韓信が項羽の側につくことがないことを悟ると、次善の策をとった。つまり、漢に叛かないかわりに、味方もさせない。漢・楚両国の戦いのかやの外に置こうとしたのである。


 韓信自身は武渉の言葉にそれほど深い感銘を受けたわけではなかったが、彼の帷幄のなかに、雷鳴に打たれたようにこれに反応した者がひとりいた。


 それが、蒯通であった。


――天下の均衡はこの方の双肩にかかっている。

 蒯通は、そう考えた。「この方」とは、他ならぬ斉王韓信のことである。

――この方は、ご自身でそのことに気付いているに違いない。しかし生来の生真面目さから、目を背けようとしておられるのだ。

 恩義のある劉邦に叛くことは充分に不遜なことであり、韓信自身の礼節を疑われるような行動である。

 それは蒯通にもわかるが、こと人命に関してはどうであろうか。いまここで韓信が自立し、漢・楚・斉の三国の武力均衡による停戦状態がなれば、長く続いた戦乱の時代は終わりを告げるのである。漢王劉邦も死ななければ、楚王項羽も死ぬことはない。そして彼らの下に従属する何十万もの兵士、さらにはそれの何十倍もの国民の命が失われることがないのだ。


――決断させるべきだ。

 そう考えた蒯通は、楚の使者の武渉が帰った後、韓信に近づき、こう話したという。

「手前は若いころに、人相を見る術を学んだことがございます」


 韓信には、蒯通がなにを言おうとしているのか、よくわからなかった。しかしまわりくどい蒯通の話法にはすでに通じていたので、この時もなにか言いたいことがあるのだろうと思い、話に付き合うことにした。

 いつもであれば、韓信は蒯通に「単純明快に話せ」と言ったことだろう。そうしなかったのは韓信の心に少なからず迷いがある証拠であった。


――説得できるかもしれぬ。

 蒯通は心を励まし、言葉を継いだ。

「身分の高下は骨相にあり、心の憂い喜びは容貌にあり、成功失敗は決断にございます。これらを参酌すれば、たいていのことは見通せるものでございます」

「……そうか。では蒯先生には私のことがどう見えるのであろうか」

 韓信がこう聞いたのは単なる興味本位である。しかし蒯通は深刻な面持ちを浮かべ、静かに言った。

「どうか大王……お人払いを」

 韓信はその様子に驚き、なにかまた蒯通が不遜なことを言い出すのではないかと勘ぐったが、やがて周囲に向かって言い放った。

「左右の者。席を外せ」


 そばに控えていた蘭は心配そうな目をしてこちらを見ていたが、韓信は彼女にも言い渡した。

「蘭、君もだ。……蒯先生が内密の話があるらしい」

 蘭は終始無言で、それでも何かを言いたげな表情を浮かべていたのが韓信にはわかった。しかし、臣下の手前上、韓信は蘭に発言を許さず、他の大勢と同様に退出させた。

 蒯通にとって、この場で最も邪魔な存在が常に韓信の判断に賛意を示す魏蘭であったが、とりあえずはうまく彼女を遠ざけることができたのである。


「……さて、私が大王のお顔を拝見する限りでは、その位はせいぜい封侯どまりですな。しかも危険で安穏としていません」

「ほう……」

「しかし、尊いのは大王の背中の方でございます」

「? 背中に吉兆……それはいったいどういうことか」


 蒯通は説明を始めた。

「いま、楚・漢の両王の運命は、大王の手に握られております。大王が漢につけば漢が勝ち、反対に楚につけば楚が勝つでしょう。私が見るに……大王はどちらについても、最後には破滅を迎えます。漢が楚に勝てば、漢は次に斉を滅ぼします。楚が漢に勝てば、楚は次に斉を滅ぼします」

「……本気で言っているのか。蒯先生は、楚の使者の言うことが正しいと思っているのか」

「私が思っているのではありません。単に人相を観た結果を申しているのです。しかし、あえて個人的な感想を付け加えるとすれば、観相は正しい結論を導きだした、と思っております」

「……続けたまえ」

「……大王のとるべき道は、楚・漢の両者を利用し、どちらも存立させ、天下を三分することです。鼎(かなえ・金属製の鍋・釜に似た器で、古来より王権の象徴とされる)が三本の脚で安定して立つかの如く、天下に三つの国を存立させることで安定をもたらすのです。お分かりでしょうが、三本の脚のどれかひとつでも失われると、鼎は倒れます。よって、この状況では先に行動を起こしてはなりません」

「三者鼎立……それでは蒯先生は事実上漢王を見捨てろと申すのか?」

 蒯通はこの韓信の問いに当時流行した諺を用いて返答した。

「天の与えを取らざれば、かえってその咎を受ける、時の至るに行わざれば、かえってそのわざわいを受ける、と申すではありませんか」

 機会を得ながら行動を起こさなければ、待ち受けるものは破滅である、ということであった。


 韓信は、否定したかった。しかし、蒯通が言いたいことは不本意ながら彼には理解できるのである。そのため、韓信は蒯通が離反を使嗾していることを知り、それをけしからぬことだと思いつつも、断罪することはできなかった。


「武渉にも言ったことだが」

 韓信は蒯通が本気であると感じ、膝を交えてとことん話し合うと決めた。いつぞやのように賭けなどをして曖昧な結果に終わることは、避けなければならない。二人の話し合いは二人だけの問題ではなく、国の方針に関わることだと思えば、当然であろう。

「……漢王は私を優遇してくださる。ある時はご自分の車に私を乗せ、またある時はご自分の食べ物を自らの手で私によそってくださった。それだけではない……漢王はご自分の衣服を私に着せてくださったこともあるくらいだ」

「漢王には漢王のお考えがあってのことでしょう。漢王は、要するにあなたに仕事をさせたがっているのです。自分のために敵を殺せと。自分が行く道を掃き清めろと。つまり……すべて自分のためです」

 あろうことか、蒯通はあからさまに漢王を誹謗してのけた。韓信はその事実に内心で愕然としたが、それに逆上して斬る気にはならない。彼は彼なりの表現で、自分を評価してくれているのだ。


「そうかもしれない。しかし、私は楚の項王のもとにいた時、身分は宮中の護衛でしかなかった。話はなにも聞いてもらえず、あの頃の私は鬱屈していた。そんな自分をここまで取り立て、育ててくれたのは、ほかでもない漢王なのだ」

「…………」

「私は聞いたことがある。人の車に乗った者は、その人の心配事を背負い、人の衣服を着た者は、その人の悩みを抱き、人の食事を食べた者は、その人のために死ぬ、と。これはすべて……私に当てはまる。私は一時の利益や打算に心を奪われ、欲しいままに振る舞ってよいものだろうか。道義に背きはしないか」


 蒯通は韓信のこの言葉を聞き、気の抜けたような溜息を漏らした。あきれて物も言えない、と言わんばかりである。

「大王。どうか……小事に拘られますな。きっとあなたはご自身では漢王に親しみを信じ、それによって遠い子孫の代までの安泰を望んでいるのでしょう。しかしおそれながら……私はそれは間違いだと思っております」

「……どういうことだ」

「ごく最近の話からすれば、そう、張耳と陳余の話がいいでしょう。かの二人は平民であった頃、互いに死を誓い合った関係でございました」

「ふむ」

「張耳は陳余に追われ、漢王のもとに走り、漢王は兵を貸し与えて張耳に陳余を討たせた。この時の貸し与えた兵というのが、大王、あなたのことです」

「そのとおりだ」

「結果、陳余の首と体は離ればなれになり、彼らの刎頸の交わりは偽りに満ちたものとして、天下の物笑いの種となったのです。しかし、私は趙にもいたことがありますのでよく存じているのです。あの二人の仲の良さは、天下広しといえども最高のものでした。それがこのような結果に終わったのはなぜか」

「なぜだ?」


「わざわいは過度の欲望から生まれ、なおかつ人の心は一定せず、常にうつろうものであるからです」


 陳余が張耳を除き、王になりたいと願った結果、張耳はそれを阻止しようとし、結果的に陳余は滅んだ。陳余の欲、張耳の欲から生まれた悲劇である。

 そして実際に陳余を滅ぼしたのは、韓信自身であった。人が欲に取り付かれた結果、友情もたやすく投げうち、定見のない行動をとるようになった典型的な例を彼は間近で目にしたのである。

「ううむ……感じるものはあるが、しかし私が漢王との誼を捨てて覇道に走ったとしたら、同じ結果を生むことになりはしないか。大いなる欲の前に小さな友誼などは信用ならぬものだと言いたいのはわかるが……」

「大王が誼を大事になさっても、漢王がそれを重視するとは限りません。それを言いたいのです……納得なさらぬ様子ですな。では、もうひとつ、少し昔の話をいたしましょう」

「まだ、あるのか」

「このような例はいくらでもございます。数え上げればきりがありませんが、なるべく分かりやすい話を……。春秋の世における、越(えつ)国の話がよいでしょう。越は呉に破れてほとんど滅亡しましたが、越王勾践(こうせん)は数々の屈辱を経ながらも国を復興させ、ついには呉を滅亡させるに至りました。そのとき越王を補佐したのが、文種(ぶんしょう)と范蠡(はんれい)という人物です」

「知っている。文種は治において、范蠡は武において勾践を補佐し、覇者たらしめた。しかし文種はある種の讒言が原因で自害を強要され、范蠡は勾践の性格に危険を察知し、事前に斉に逃亡した、という話だろう」

「然り。この二人は越王とともに苦難の時代を生き、その忠誠度は並外れたものでありました。しかし覇者となった勾践は文種に死を命じ、范蠡は半ば追放されるように国を去るに至りました。そのとき范蠡がなんと言ったか」

「それも知っている。……『野の兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまい、飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓はしまわれてしまう』……と言った」

「そのとおり。以前にも私は大王に似たようなことを申しました」

「覚えている……。あのとき私は君のことを、ひどく不遜なことを申す奴だ、と思ったものだ。だがやはり……いまでもその印象は変わらないな」

「申し訳ございません。しかし、よくお考えを。大王と漢王の友誼は、張耳と陳余のそれ以上であったか。あるいは君臣が互いに信頼し合うこと、文種・范蠡と勾践以上であったか。おそれながら私は、いずれにも及ばないと思っております」

「…………」

「大王、あなたは人臣の身分でありながら、君主を震え上がらせるほどの威力を持ち、名声は天下に鳴り響いております。輝かしい経歴であることは確かですが、私は心配でなりません」

「…………」

「ここであなたが独立を宣言すれば、天下に蔓延する流血劇は終わりを告げるのです。やもめやみなしごは今後生まれなくなります。そのことをよくお考えください」

「うう……蒯先生……今日はもうその辺にしていただこう。私もよく考えてみるゆえ……」


↓次の話:第23話 https://note.com/witty_camel483/n/n6615f481bcec

↑前の話:第21話 https://note.com/witty_camel483/n/n5d15d84775a9


この記事が参加している募集

#世界史がすき

2,700件

#歴史小説が好き

1,218件

よろしければサポートお願いします。皆さまのサポートが無駄にならないよう、日々精進するための費用といたします。