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【連載小説】韓信 第26話:九つの罪

第3部

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門

九つの罪

 魏蘭を失った時点での韓信の思念を分析することは難しい。なぜなら彼自身が、なるべくそのことに思いを馳せないようにしていたからだ。そのため彼女の死に関する彼の具体的な思いは包み隠されており、雲の中にあるようにはっきりとしない。しかし注意深く観察すると、それは自己嫌悪という形をとりながら、確かに存在していた。そして彼の思考には、この時点から世の中に対する諦念が目立ち始めるのである。それは主君である劉邦との意思のすれ違いから、より際立っていくのであった。


 臨淄に留まっていた曹参のもとへ韓信から使者が送られ、それにより彼は事態のあらましを知ることになる。

 このとき、使者の第一声は次のようであった。

「予測に反し、賊徒郭尹は首都臨淄ではなく、遠征隊を襲撃せんとしたが、我々は犠牲を払いつつもこれを撃滅し、郭尹の首は討ち取ったり。よって臨淄の宮殿、城市の厳戒態勢はこれを解くことを許可する」


 使者の報告に曹参は内心で安堵した。郭尹が斉の子弟をそそのかし、多数の兵力をもって臨淄を襲撃すれば、正直守りきれる自信がなかった。せいぜい籠城し、持ちこたえ、韓信の帰還を待つことしかできなかっただろう。


「郭尹は、そちらに現れたのか……。だとすれば、あまり政治的な野望はなかったのかもしれぬな。戦車隊を解散させた斉王への単なる仕返しであったか」

 使者は頷きながらも深刻な面持ちで答えた。

「そうに違いありませんが、危険なことは変わりありません。万が一斉王様が郭尹によって討ち取られることがあったりしたら……」

「個人的に武を競い合って、斉王に勝てる者はおるまいよ……あの方にとっては、項王でさえも敵ではない。私はそう見ている」

「はあ……」

「ところで、犠牲というのは、どれくらいだ?」

「数は少のうございます。しかし、その中にもとの西魏の公女が」

「……魏蘭が! 彼女が死んだというのか」

「左様にございます」


――これは、いかん! 

 曹参が見るに、韓信は武人としては一級である。しかし、そのことと人として成熟していることとは、違う。

 確かに韓信は礼儀をわきまえ、謹み深い男であったが、彼はそれを他者にも求める傾向が強く、無法者の部類を人一倍嫌う。

 このため、たとえて言うと韓信は切れ味の鋭い抜き身の剣のようであった。剣の輝きにだけに惹かれ、いたずらに近寄ると大怪我をする。そういう存在である。

 その危険きわまりない剣を収める鞘のような存在が、魏蘭であった。鞘をなくした剣があたり構わず人々を斬りつける、そのような事態が曹参には連想されたのである。


「斉王は魏蘭どのを眼前で失いましたが、気丈にも涙は見せず、終始ご立派でございました」

 使者はそのように評したが、これは暗に韓信が薄情だったことを伝えたかったかのように曹参には聞こえた。

「いや、悲しくないはずがない。あるいは悲しいという感情を飛び越え、呆然自失の状態に陥っているのかもしれぬ。いずれにしろ、このことで斉王のお人柄を忖度するのはよせ」

 曹参はそう言って使者を下がらせ、自身は自室に引きこもった。そして、生前の魏蘭の姿を頭の中で回想し、涙をこぼした。彼は、あまりの衝撃のために泣けなかった韓信のかわりに泣いたのである。



「……このたびの楚遠征の計画は中止……。あるいは、無理もないことか」

 国境付近で韓信の到着を待っていた灌嬰は、やはり使者の言上を聞き、そう呟いた。


「斉王のご様子は、どうだ?」

「正気を保っておられますが、さすがに覇気は感じられません……。どこか、力が抜けた感じでございます」

「そうだろうな。楚を相手に戦うどころではない。斉王はおそらく、謀反を起こした郭尹よりも、魏蘭を守りきれなかった自分自身を恨んでいるに違いない。あの方は……そういうお方だ。なんともおいたわしい限りじゃないか」

 灌嬰には痛いほどよくわかる。韓信という男は、常に人を当てにしない。よって郭尹の叛乱も魏蘭の死もすべて他人のせいではなく、自分のせいだと考えるだろう。

 そして、そう考えなければ自分を慰めることもできないに違いない。

 灌嬰はそう考えたが、使者は別の見方をしたようである。


「しかし魏蘭どのは、女性でありながら……勇ましく戦ったことは賞賛に値しますが、私としてはもっと自分を大事にすべきだったと思います。斉王のご寵愛を受けていたのですから……」

「確かにそうかもしれぬ。結果的に命を落とし、斉王を悲しみの底に落としたことを考えれば、君の言うことは正しい……が、魏蘭のことを斉王が愛したのは、おそらく魏蘭がそのような性格であったからだろう。知ってのとおり、斉王は堅物で、身辺にあまり女を近づけない。いわゆる女性らしい女性には興味がないのだ」

「しかし、斉王はことあるごとに魏蘭どのが前線に立とうとすることを戒めておられました」

「そうだ。だがもし魏蘭がおとなしく言うことを聞くようであれば、斉王は魏蘭のことを愛さなかっただろう。そこが複雑な、男女の心理というものだ。斉王が魏蘭を愛したのは、彼女が美しかったからではなく、彼女が共に乱世を戦った戦友だからさ。……考えてもみよ。魏蘭は確かに美女であったが、世の中には彼女以上の美女はいくらでもいる。もっとも、容姿に限っての話だが」


 使者はそれを聞いて納得したのか、引き下がった。灌嬰はその後ろ姿を見送りつつ、思考を重ねる。

――しかし、まずいことになった。斉王の精神の回復にどれだけ時間がかかるのか……。漢と楚の抗争終結の鍵は、斉王が握っているというのに。このまま動かないということになれば、漢王は怒り、斉王が背信したと思うだろう。一方項王はこれを見て、斉に戦う気なしと判断すれば、攻め込むか、懐柔するか……いずれにせよ、事態はよりいっそう混迷を深める。……魏蘭よ、なぜ死んでしまったのだ。君さえ存命ならこんなことには……。

 長く国境守備の任にあたり、魏蘭と接する機会の少なかった灌嬰だったが、にもかかわらず、悲しみがこみ上げてくる。


――あの凛とした姿を二度と見ることができないとは、残念なことだ。



 臨淄に戻ってきた韓信の姿は、一見普段どおりであるが、よく見ると目もとに疲労の色が浮かんでいた。彼は、ほとんど寝ていなかったのである。

「やあ、曹参どの……ご苦労。私は……さしたる理由もなしに、戻ってきてしまった」

 出迎えた曹参は、いたわりの言葉をかけた。

「あのような事件のあとでは、仕方のないことです」

「うむ。少し休もうと思う。休んだところで気持ちが安らぐとは思えないが……」

「鋭気をお養いください」


 曹参に言われるまま、韓信は居室に入って一人きりになり、思考を巡らせた。


――なぜ、私は戻ってきたのだろう?

 というところから彼の思考は始まる。


――女の死を理由に戦意喪失する指揮官に、兵が従うはずがない。

 そのことを知っているのに、自分は戻ってきた。


――臨淄に戻ったとしても、蘭が待っているわけではないというのに……。

 自分でも説明がつかない。臨淄に戻れば、自分を癒してくれる何かがあるわけでもなかった。


――私が戻ってきたことで、あるいは漢は敗れるかもしれない。

 漢王の苦悩する顔が頭に浮かぶ。迷惑をかけて申し訳ない、という気持ちが浮かんだことは確かだった。


――しかし、いまはどうにでもなれ! 知るものか!

 彼は腰の剣を外し、床に投げ捨てるように置くと、そのまま横になった。天井を見上げ、さらなる物思いにふける。


――蒯通が去ったとき、私は悲しみにくれて涙を流したというのに、蘭がこの世を去ったときは、一滴も涙が出てこなかった。……私は生来酷薄な男なのだろうか?

 これも自分で自分自身に説明できないことのひとつであり、容易に解けない謎のようなものであった。


――あのとき、泣いている暇がなかった、といえば確かにそうだ。しかし、いま蘭の顔を思い浮かべてみても、涙は浮かばない……。それは、最後まで彼女が私を裏切ることをしなかったからかもしれない。


――あれは誰だったか……。かつて私のことを評した者がいた。人を信用しないくせに、人からは信用されたがっていると……。蒯通が去ったときに泣いたのはその証拠か。思いが通じなかった相手に失望したから泣いた、ということか。では……人生の半ばまで生きることもできず死んでいった蘭のために、流す涙はないということか。……やはり、私は自分のことしか考えられない酷薄な人間に違いないな。誰が私をこのようにした? 父から受け継いだ血のせいか? 母の教えか? それとも栽荘先生が私をそのように育てたのか? ……いや、いずれにしても私の人生は私自身のものだ。誰を責めることもできない。私自身の生き方が間違っていたのだ……。


――蘭はかつて、私のことを人生の半分も知らない男だ、と評した。しかし、いま考えてみると、それは蘭自身もそうだったと思う……。蘭、私は君がうらやましい。私の残りの人生は、きっとつまらないものに違いないからだ。だってそうだろう? 人生とはほとんど……苦難に満ちている。君がいたからこそ……それにも耐えることができたというのに、残りの人生をどう過ごせというのか? 野望、謀略、裏切り、変節……私は人生を満たすこれらの苦難を君なしで乗り越えていかねばならない。……私は君がうらやましい。君はこの先そんなものと無縁でいられるのだから……。


 行軍の間、ひとしきり考える余裕もなかった韓信は、このとき初めて蘭の死を現実のものとして受け止めることができたようだった。

 その証拠として、彼はこのとき久しぶりに熟睡できたのである。


 しかし、事態は韓信に休息を許さない。このとき劉邦は、韓信の到着を待ち続けた結果、すでに固陵の地で楚軍に敗れていたのである。

「信の奴め! ……わしを見捨てて生き残れると思ってのことか。……許せぬ。誰のおかげで今まで……」

 劉邦は癇癪を起こし、身の回りの食器や調度品を手当り次第に打ち壊し始めた。兵たちはその様子に恐れおののき、平身低頭するばかりである。


 張良はそんな劉邦の姿を見て、嘆息せざるを得なかった。

――韓信……なにがあったかは知らないが……なぜ漢王の逆鱗に触れるような行動ばかりするのだ。私も君を見る目を改めなければならないのか? できることなら、そうあってほしくないことだ。

 張良も覚悟を決めざるを得なかった。彼が韓信をかばい続けるのには、限界が近づいている。


 しかし、このとき劉邦のもとに来なかったのは、韓信だけではない。項羽から梁の地をもぎ取り、何度も楚の補給線を断ち切り続けた彭越も来なかったのである。


 彭越の功績は、地味ながら非常に大きい。常に草莽に身を潜めるようにして、楚軍の後背を狙い、隙を見ては攻撃する。危なくなれば散り散りになって逃げ、いつの間にか結集して、再攻撃する。項羽にとっては蚊を追い続けるような作業の連続であった。事実、劉邦はこれによって何度も窮地を救われたのである。

 しかし、当の彭越にとって、自分の地道な活動が劉邦のためであったかというと、そうとは断言できない。済水のほとり、鉅野出身の彭越にとっての第一の目的は、あくまで自身の支配地の確保にあった。もともと梁の地を支配していたのが楚であったから攻撃したまでで、仮に支配者が漢であったなら、ためらわずに漢を攻撃したことだろう。

 劉邦にしても、もし自分が梁の地を支配していたなら、それを彭越に分け与えようとはしなかったに違いない。もともと他人の土地だから、勝手に横取りすることを許可したのである。

 そのような彭越に対して、無償の忠誠を求めることは、難しい。功績は並び称されるものの、劉邦の禄を食んだ韓信との違いはそこにある。

 しかし、逆に考えれば、これは韓信の方が不遜な行動をしていることになる。彭越は劉邦に忠誠を尽くす義務はないが、臣下の韓信にはそれがあるのであった。


――彭越は、わかる。しかし、韓信は……。

 という気持ちを劉邦が抱いたとしても、不思議ではない。このとき韓信は万難を排してでも劉邦のもとへ参上するべきであった。


「韓信や彭越を動かすには、もはや信用や忠誠で臨むべきではありません」

 張良は、考えたあげく劉邦にそのように切り出した。

「子房よ、それはどういうことか? わしは彼らを信用してはいけない、ということか? 忠誠を期待してはいけないと?」

「左様にございます」

 張良は、持論を展開し始めた。

「韓信、彭越の功績は多大にして、余人の及ぶところではありません。この二人は広大な領地を持ち、それぞれに独自の戦力を抱えております」

「……ふむ」

「なおかつこの二人は軍事的指揮能力にすぐれ、たとえ寡兵でも独力で楚と戦えるだけの力がございます。……これに対して我が漢軍は兵の数では楚と対抗できるものの……」

「わかっている。その先を言うな」

「……残念ながら指揮官に彼らほどの才能を持った者がおりません」

「だから言うなというのに! 斬るぞ!」

「お許しを。しかし、考えても見てください。大王が韓信と戦って勝てるかどうか。彼がひとたび天下に号令すれば、斉の兵はおろか、趙、燕、代それぞれの兵が彼に味方しましょう。彭越がその気になれば、人知れず諸城を攻略し、我が漢軍は関中との連携を裂かれるに違いありません。しかし、彼らは今まで何度となくその機会はあったはずなのに、それをしてこなかった。それはなぜでしょう」

「さあ……わからぬ。子房にはわかるのか?」

「推測ですが……大方の予想はつきます。韓信に関しては、天下を望む気持ちはありません。斉王を称した今でさえも、彼は自分のことを大王の臣下のひとりだと認識していることでしょう。しかし、その認識があるからこそ、彼は動きづらくなっています」

「まだ、わしにはよくわからぬ」

「つまり……彼は頭の良い男ですので、先のことがよく見えるのです。臣下である自分がこれ以上の戦果を挙げてしまえば、功績の面で主君たる大王を凌ぐことになる……忠実な臣下であったはずの自分が、いつのまにか大王の最も有力な対抗勢力になってしまうことを危惧しているのです。要するに自分は功績をあげた後、滅ぼされるのではないかと」

「わしが韓信を滅ぼすというのか? ……信の奴がそのように考えることはありそうな話ではあるが……現実的にはあり得ない。わしは武力で奴を制圧することができぬ」

「しかし、韓信は大王が命じるたびに、自身の兵を割いてよこしました。彼の忠義心がそうさせたのです。彼には申し訳ありませんが、その忠義心を利用すれば、大王が彼を滅ぼすことは可能でしょう」

「……聞くだけでも嫌な話だ。わしは悪逆の項羽を討つために、最も忠義に富んだ男を滅ぼさねばならぬ、ということか?」

「そう決まったわけではありません。しかし、韓信自身は、それを恐れているのです」

 劉邦の表情にも、張良の表情にも後味の悪い木の実を噛み潰したような色が浮かんだ。

 実際にはそうではなかったが、自分たちが韓信を亡き者にしようと画策しているような気がしたからである。


「一方彭越は」

 張良は気を取り直して、話を続けた。

「とにかく梁に固執した男です。彼には天下を統一するような気概はありません。秦のような広大な帝国は彼の常識から外れたものであり、旧来の戦国諸侯国こそが彼の理想なのでありましょう。つまり、彼には項王亡き後の梁の領有権を保証してやることです。きっと言うことを聞くでしょう」

「ふむ。して韓信は、どうする?」

「同じです。彼にも土地の領有を正式に認めることです。広大な領地を。しかしそれでいて、その権力が大王を超えるものではないことであることが重要です。それによって、彼は安心するでしょう」

「餌で釣り上げるようなものだな。結局は韓信と彭越を同列に置くということか?」

「然り。皮肉ですな。欲の少ない韓信と、欲の塊のような彭越。この二人の得るものが同じだということは……。しかしこの二人を動かすには同じ口調では駄目です。彭越には協力を促すように、韓信には強要するように言わねばなりません」

「逆ではないのか……ますます皮肉だ。しかし、韓信に臣下としての立場をわからせることは、彼自身にとっても良いことだろう。子房に任せる」


 かくて、韓信には陳(泗水と睢水が分かれるあたり。現在の淮陽)から以東、海に至るまでの地を与え、彭越には睢陽から北、穀城(現在の東阿)までの地を与えることが正式に宣言された。

 彭越はこの報を聞いて手放しで喜び、参戦を決意したという。

 しかし、韓信はそうはいかなかった。



 韓信の手には、使者から託された書簡がある。それはいわゆる命令書であったが、彼はそれを一読して、深いため息をついた。

「書簡には、なんと?」

 様子をみて不審に感じた曹参は、韓信に尋ねた。韓信はそれに対して苦笑いで応じ、曹参にそれを渡した。読んでみよ、というのである。

「これは、命令書に違いないが、同時に私を糾弾する書簡である。凝っていてよくできた文章だ」

 曹参が目を走らせてみると、書簡には以下のように記されていた。


「……積年の漢と楚の争いの中で、足下の功績は甚だ大きく、充分に賞賛されるべきものである。しかし漢王たる余は長引く戦乱の中で、足下の働きに対して充分な恩賞を与えることを怠ってきた。そこで、今余はその功績をいちいち列挙し、それに対する恩賞を与えようと思う。

 一 足下は漢中において大将軍の任を与えられ、その権限に基づき、関中反転の計を指揮した。すなわち足下自身が断りもなく焼き尽くした桟道を修復すると見せかけ、古道を用いて秦の地を征服したのである。これにより雍王(章邯)を囲むことに成功したが、桟道を修復する作業には多大なる費用、また多くの人命が失われた。しかし、功績の甚大なるを鑑みて、これは不問に処す。

 二 足下は大将軍として函谷関から東方へ進出する兵をよく指揮し、首尾よく河南、殷、韓のそれぞれの王を討ち破った。このとき足下が韓を制圧する際、旧韓の王家の復権を援助したため、韓は王国の体を維持し、漢の直轄の郡となることはなかった。しかしこれは張良の意に沿ったものであると認められるので、やはり不問に処す。

 三 余が彭城の占拠に失敗し、三万の楚兵に追われることになった際、足下は余の逃走を助け、素晴らしき才幹で楚軍を撃退した。これは甚だ賞賛されるべき功績で、余が今に至り存命であることも、ひとえに足下のこのときの働きによるものである。しかしあえて言えば、余が敗走を始めてから行動を始めるのではなく、事前にそうならないよう戦略を練るのが足下のそもそもの役目であった。だが、余が足下に命を救われたのは事実であるため、今になってこのことをとやかく言うつもりはない。

 四 滎陽にて軍容を整えた余は足下の献策に基づき、京・索の地で楚軍を迎え撃ち、その西進を止めることに成功した。このときの指揮官としての足下の働きは筆舌に尽くし難く、まことに見事だったと言えよう。しかしながら、このとき敵将鍾離眛を討ち逃したことは、足下らしからぬ失態である。だが、これも足下の軍功の大きさに比べればほんの小さなことなので、目をつむる。

 五 魏王豹が老母の看病と称して背信した際、余は足下に事態の収拾を命じたが、足下は黄河を挟んで正面から魏豹と対陣すると見せかけ、市場で瓶を買い集め、これを急造の筏にして後背から渡河し、見事魏豹を虜にした。実はこのとき、余は魏豹に裏切られることをそれほど恐れていたわけではない。ただ、魏豹のような男が裏切りに成功すると、第二、第三の魏豹が漢軍の中に現れる。余はそのことを恐れたのである。このとき、足下のとった処置は最善であった。すなわち魏豹を殺さず、裏切りに失敗した男の見本として残したことである。ただし余はこのとき魏豹の娘とされる人質を足下に預けたが、足下はこれを自身の幕府に招き入れたまま返さず、なにを思ったのか愛妾として扱っていた節がある。このことは機会があれば、ぜひ問いただしてみたいところである。

 六 井陘口において足下は陳余率いる趙の大軍と戦い、これを見事破った。足下はこのとき新たな趙王として張耳を推挙し、余はそれを認めた。そしてもとの王である歇を殺さず捕虜とし、余はそれも認めた。しかし、敗軍の将である李左車を赦したことは、聞かされていない。足下は敵将の生殺与奪の権を握っているので、誰を生かし誰を殺すのも自由であることは確かであるが、それにしても敵軍の中心的な立場にある人物を無条件に赦すとはどういうことか。李左車を中心に漢に敵対する輩が集結するかもしれぬ、ということを足下はこのとき考えるべきだった。しかし、現在に至るまで李左車はなんの動きも見せていないので、結果的に足下のとった処置は問題がなかった、とみなすことにする。

 七 修武の地ではさまざまなことがあったが、余は足下に趙の相国の印綬を与え、斉へ赴かせた。無数の武勇を誇る足下が率いる軍の前に、斉の七十余城はいずれも屈服し、田一族は事実上、潰えた。また足下は介入をはかる楚軍を撃退し、猛将竜且を斬ることで、さらに武勇の数を増やした。しかし、余が派遣した酈食其を救出できなかったことは、足下の輝かしい武勇に一点の曇りを生じさせる出来事だったと言えよう。しかし、これについて余は足下を責めはしない。弁士に過ぎない酈生と勇者の足下のどちらを生かすべきかとなれば、余は間違いなく足下を生かす。

 八 聞くところによれば、足下のもとに項羽の使者が訪れ、足下を誑かして楚に帰順させようとしたらしいが、賢明なる足下はこれを謝絶し、余に対する臣従の意を明らかにした。余は常々足下の意志を固く信じており、これから先もそれは変わらない。しかし、あえて言わせてもらえば、このとき足下は使者を斬り、その勢いをもって軍を動かし、楚を討つべきであった。斉の国内の問題に頭を悩ませていることはわかるが、余の最終的な目標は、漢という国号で天下を統一することであり、斉国の継続的な存続ではない。よって斉が多少不安定な状態にあるといっても、まずは最大の敵である楚を討つことを最優先に考えるべきであった。しかし、このことについて張良や陳平は口を揃えて言う。足下が心を変え、敵対しようとしないことこそ、漢の最大の強みなのだと。したがって余もそう考え、足下の判断と行動を支持することにする。

 九 これに先立ち、足下は斉の国民を服従させるには自分に与えられた権力が不足だとし、王を称した。これにより、漢王たる余と斉王たる足下は身分上同格となった。しかし足下が以前と変わらず臣従の態度を示していることに余は感謝し、満足している。願わくば、それが未来永劫続くことを望んでいるが、このたび足下は余が命じたにもかかわらず、会戦の場に現れなかった。あるいはこのことは足下の心変わりの結果ではないのか。このような疑念が余の頭に浮かばぬよう、足下は努力すべきであり、またその義務がある。しかし、寛大な余はこのことも不問に処す。

 以上のように足下のこれまでの功績は甚だ大きい。しかし、戦乱の世とあって、これまで余は足下の功績に報いることができずにいた。よって正式に足下の斉国の領有を保証することとする。すなわち、陳から東の海に至る地は、すべて足下のものである。

 しかしこれは、足下が遅れることなく次の会戦の場に現れ、正しく兵を指揮した場合に限ってのものである。つまり、足下の行動が余に再び疑念を抱かせるようなものであったなら、次は不問に処すことはないと思え。

 足下の正しき行動を期待する。  漢王劉邦」


 文書の末尾には印が押されていた。印が押されてある以上、この文書が私的な手紙などではなく、公式な命令書であることを意味している。

 しかし、この時代の命令書とは要点だけを端的に記しているものが多く、韓信も曹参もこのような、くどくどと長い文章を綴ったものは、見るのが初めてであった。


「……どう思う?」

 韓信の問いに曹参は率直に答えた。

「あなた様の功績に対して賞賛していながら、それにいちいち注釈をつけていますな。漢王があなたを信頼するかどうかは、次の戦いの結果にかかっている……今に至るまであなたは功績を重ね続けてきたが、漢王はそれに満足しているわけではない……そういうことでしょう」

「そうだろうな……しかし」

 韓信は手で地面の砂を一握りすくいあげ、それをひとしきりもみ砕いたと思うと、勢いよく放った。いらつく心を落ち着かせようとする素振りであった。

「私は、都合よく振り回されているだけのように思える。今さら斉国の領有を認められてもな……失った者が帰ってくるわけではない。斉の地をもらったところで、そこに蘭が待っているわけではないのだ」


 曹参は、言葉を失った。蘭の死に関して、韓信がその気持ちを吐露したのは、これが初めてであったことに気付いたのである。

「……お察しいたします」

 そのひと言しか返しようがなかった。


「うむ。しかし、本当に私の気持ちを察してもらいたい相手は、君ではなく漢王だ。私は、あの方に忠誠を誓ったことで……蘭や酈生を失い……カムジンを殺さねばならなかった。しかも私はもとより……斉王になりたくて戦ってきたわけではないのだ。戦いに勝つことは確かに自分の虚栄心を満たす。しかしそれが欲しくて戦ってきたわけでもない。私はただ……戦いに勝つことで他人から嘲りを受けないことを望んだ。しかし、結果はこうして漢王に軽んじられる存在と成り下がっている」

「…………」

「出会った頃の漢王は、私が寒がっていると服を着せ、暑いときには汗を拭いてくれたりもしてくれた。腹をすかしていると見れば、食事を用意し、道で出会ったときには車に乗せてくれた。しかし、あの方は……お変わりになり、そのような気持ちを示すことをしなくなった」

「領地を保証していらっしゃいます……それは、汗を拭いたり、服を着せたりすることよりもはるかに大きな恩賞でございましょう」

「それはそうだが、しかし漢にこの地をもたらしたのは、漢王の力によってではない。酈生と……はばかりながら、私の力だ。いや、私と酈生はそもそも漢王の命によって行動したのだから、その功が漢王に帰せられるべきだということはわかっている。だが、そうとわかっていても言わずにはいられないのだ」


 臣下も韓信のような地位になってくると、結果だけが重視される。功績は功績のみ評価され、それに伴う苦労や、失った犠牲などは無視される。


 大樹は自分の周辺に子孫を残すべく種を飛ばすが、種が成長して自分と並ぶような高さに育つことを期待しているわけではない。自らの作る影が日の光を遮り、子孫の成長を阻害することを知っているからだ。

 このため成長半ばで枯れ朽ちる子孫は、親である大樹の養分となって短い一生を終えるのである。人々は大樹の咲かせる美しい花や、美味なる実にのみ感銘を受ける。しかし、その裏に犠牲が伴っていることに気付く者は少ない。


 このとき曹参が受けた劉邦と韓信の関係の印象がそれであった。韓信自身は自分の功績のために犠牲となった者を思い、自責の念に駆られながら日々を過ごしているが、その功績があまりに偉大で美しいものであるため、他者はなぜ韓信が自分を責めるのか理解できないのである。そして、このときの他者とは漢王である劉邦を指すのであり、大樹である彼は小さな、そのようなことに気付かないのであった。

「……では、このたびは命令書に従わず、遠征しないということにいたしましょうか」

 曹参はそう言って韓信の返答を待った。しかし、韓信はなにも言わない。

「もし、それがまずいということであれば、王ご自身は今回臨淄に残り、兵は私が引き連れていくことも可能です」


「……いや、それはよくない。命令を与えられたのは私であって、君ではないからだ。仮に私が君に任務を代行させたとしたら、私は忠誠心を疑われるばかりか、項王との戦いを前に逃げ出した男として、嘲りを受ける。君の気持ちはありがたいが、ここはやはり私自身が行かねばならないだろう」


 漢王ははたしてこのような韓信の性格を見込んで命令を発したのだろうか。曹参の見る限り、韓信はそれほど劉邦を尊敬しているわけではない。よって忠誠心も口で言うほど、あるわけではなかった。

 ただ韓信にあるのはどんな無理な命令も実現させる能力であり、本人もそれを自負しているのである。命令に対して「できません」と返答することは、自身の能力を否定することであり、劉邦にしてみれば、韓信のそのような性格を理解していれば、どんな命令でも押し付けることが可能なのである。


 しかし、このことは逆に韓信を信用していることの証でもある。かつて韓信は項羽の配下にいたが、項羽が韓信を信用して任務を与えることがなかったため、彼は漢に転属した。彼が漢に不満を持ったからとして、再び楚に帰属するとは考えられず、残された道は自立するばかりである。

 かといって放っておいては、やはり信用を形にあらわすことができない。劉邦の立場としては韓信を信じて命令を出すことだけが、自分が上位に立つための手法であるのだった。なぜなら、軍事的能力において、韓信は劉邦を上回るからである。韓信に忠誠を誓わせるには、軍事によってではなく上位者の威厳ある態度を示す方が効果的なのである。


――斉王は、野心の少ないお方であるから助かっているが……。斉王の自制により、漢は命脈を保っているといっても過言ではあるまい。しかし、天下に項王が存在しているうちはまだいい。項王亡き後、漢王は斉王になにを命令するのか。そのとき漢王はどうやって斉王の上に立とうとすることができるのか……。


 曹参は将来劉邦、韓信双方に不幸が訪れることを思い、頭を悩ました。しかし、彼にはどうすることもできない。

 このようなとき、魏蘭が生きていれば……少なくとも韓信をうまくなだめ、激発を抑えることは可能なはずであった。

――漢王と斉王の争いが起きれば、私は立場上漢王の側につかねばならぬ。斉王と袂を分かつのは心苦しいばかりだ……。いや、そんなことは言っていられない。斉王の力をもってすれば、漢王はおろか私自身も滅ぼされるに違いない。どうか……なにも起きてくれるな。


 楚を討つにあたって、劉邦は韓信・彭越の両軍を招集するのに先行し、黥布に淮南の地を制圧させている。黥布は劉邦の従弟である劉賈(りゅうか)とともに楚の南方地域に侵攻し、ついに旧都寿春を陥落させた。さらには楚の大司馬周殷(しゅういん)を説き、これを寝返らせることに成功すると、ともに北上して城父を陥とし、決戦の地に向かうべくさらに北上を続けた。

 これにより黥布は正式に淮南王を称した。


 韓信・彭越・黥布。この三人こそが、楚を倒し、漢の世を築いた元勲である。並び賞されることの多い彼らであるが、この中で武勲随一の者は、やはり韓信であろう。韓信は他の二人とは違い、長く劉邦の配下として働いてきた男であり、漢が国家として産声をあげたときから支え続けた男なのである。このため韓信は彭越・黥布のほかに、張良・蕭何と並び賞されることも多い。

 その意識はこの時代に生きる者の通念であり、韓信自身もそれを否定していない。

 しかし後世に残された史書の中には、韓信の増長をうかがわせるような発言の記録はなく、彼の自意識がどれほどのものだったかを客観的に推測することは難しい。

 ごくわずかな判断材料として、このとき各地から集結した漢軍を指揮したのが、やはり韓信だったことが挙げられる。劉邦は居並ぶ豪傑たちの中から韓信を選び、韓信も迷わずそれを受けたのであった。この事実は韓信の実力が自他ともに認めるものであったことを証明するものだと言えるのではないか。


 臨淄を発ち、決戦場へ向かう道すがら、韓信は灌嬰をその軍に迎え、行軍を共にした。

「斉王……いよいよ、ですな。いよいよ項王を……」

 灌嬰は積年の抗争がついに終結することに興奮を抑えきれない。


「ああ。いよいよだ。私が淮陰を出てから何年の日々が経ったことか……。あっという間のことのように思える。しかし逆に長い年月だったとも思う。いずれにせよ、ついに我々の戦いの日々も終わりを告げる。……そう思うと実に感慨深い」

 韓信のこのときの表情は、灌嬰にはひと言で説明できない。喜んでいるようでもあり、寂しそうでもある。

「私は、自分自身のことがよくわからない……。もう無用に人命を犠牲にすることがなくなることは、やはり嬉しい。しかし、一方で私はまだ戦い足りないのではないかと……。戦いを指揮することしか能のない男から、戦いを取りあげたらなにが残る? おそらくそれは無であろう」

「斉王には、王として斉国の発展に責任がございます。この先もやることは多いでしょう。無であるはずがありません」

「……私などは国政に口を挟まぬ方が良いのだ。曹参どのがうまくやってくれる。あの者は寛大で、人の良いところも悪いところも受け入れる。そして緩やかに、社会全体を包むように統治していける男だ。狭量な私にはその真似ができぬ」

「大王、あなた様には曹参どののような能力はないとおっしゃるのか?」


 灌嬰の見るところ、韓信は常に正しさを意識している男であった。それは確かに素晴らしいことである。しかし、今本人が語ったように、確かに狭量なところは存在するようであった。

「ない。実は私はこう考えている。他人には気を許すことができないと。社会は悪意の塊のようなものであり、その悪意は過去から脈々と受け継がれてきたものだと。つまり、ちんぴらから生まれた子はやはり成長してちんぴらとなり、ちんぴら同士で寄り添う。そしてやがてちんぴらの子を産むのだ。世の中からちんぴらをなくすには、その血脈を絶つしかない。……殺すしかないのだ」


 灌嬰は絶句し、ひとしきり考えた。この方は以前からこのような考え方をしていたのだろうか。あるいは魏蘭の死がきっかけとなり、一時的に極度の人間不信に陥っているのかもしれぬ。

「極端に過ぎますな」

 結局どう答えてよいかわからず、そのひと言だけを返した。もしかしたらこのひと言が韓信を怒らすのではないかと灌嬰は内心で恐れたが、意外にも韓信はこれを肯定した。

「そのとおりだな。だから私は王には向かないのだ。以前にも言ったが、私はこの戦いが終わったのち、漢王に斉国を献上するつもりだ。誰かに譲ってもいい」

「……また、そのようなことを」

「私は生前の魏蘭とひとつ約束を交わしていた。戦いが終わったら静かなところで、誰にも干渉されず、ひっそりと暮らそうと。残念ながら魏蘭はいなくなってしまったが、今でも私の思いは変わらない。私が王であれば、きっと世の中を正したくなる。理想を掲げて、その実現のために人の命を軽々しく絶とうとするだろう。おそらく私は、自分自身を止められないに違いない」


 韓信はそう語り、不思議なことに灌嬰はこの言葉に納得したのだった。


――私が仕えた韓信という人は、王座にありながら自身の増長を恐れ、ありのままに権力を振るうことを嫌った。……一言でいえば、自制の人だった。


 灌嬰はのちに知人に対してそう語ったという。



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