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初めまして、noteの皆さん。

はじめまして、皆さん。セオドアと申します。(もとは他の方の記事を読むために適当に名前を決めたのでいつか変更するかもしれません。)
プロフィールにも書きました通り、私はかなりねじ曲がった、世間一般が「まとも」と定義するものからは遠い性格をしています。
いわゆる”物事を斜めに見る”タイプの人ということです。
別の言い方をすれば、社会不適合者ということです。

さて、私がここで記事を書いていこうと決めたのにはいくつか理由があります。

まず一つは、正直に申しますと、私が寂しかったからです。

私のような社会不適合も、人を恋しく思うことはあります。
むしろ、私が社会不適合者だからこそ思うのだろうと思います。

私は内向的で、明るくキラキラした人間ではありません。
私には、目立って日を浴びるような特技や物はありません。
私の考えていることは、多くの人にはわかってもらえないかもしれません。
私は世間が要求する、明るく、活発で、素直で、扱いやすい若者ではありません。
こんな私は、きっと一人なのだろうと思いました。それならば、それを受け入れていこうと思いました。
でも駄目でした。

私を理解し、私の存在を深く認めてくれる人が欲しいと思ってしまったのです。
両親や親類とは違った、もっと私と視点の近しい友が欲しいと思ったのです。
それが現実だろうとネットの中でも構わないと思いました。
それほどまでに、私は人と話す機会を失っていたのです。
そして、そう感じているのは私だけではないのではないかと思ったからです。

昨今、多様性を謳う社会の波が到来し、自らの個性に向き合い、真に「自分らしいこと」を探して生きる人々が増えているように感じます。
一方で、社会が受け入れられるスピードをはるかに超えて多様性が生まれ、あふれかえっている状態でもあると思います。
そうなれば当然、受け入れられずに孤独にならざるを得ない多様性もあるわけであると考えます。

私は、そんな方々とこの場でつながり、それを通して「私」を見つけていきたいと思っています。
そして、私もそんな方々の居場所でありたいと考えました。
つまり、このnoteという場所で一つのコミュニティーを築きたいと思っています。
これが、私がnoteを始めた大きな理由です。

二つ目は、noteの記事によって私が救われたからです。

私がnoteを開くきっかけになったのは、「社会人」という言葉に疑問を持ったことがきっかけです。
詳しいことはまた別の記事に書こうと思いますが、私はこの「社会人」
という言葉に悩まされていました。こんなことに悩んでいる自分をせめたりもしました。
ですが、noteのとある記事によって、この疑問に対する一つの答えが見つかったのです。
「こんな考えもあっていいのか」と自分を許すこともできました。
あの時の気持ちは忘れることはありません。

先ほども書きましたように、多様性はあふれかえっています。
私も、その一人であると思います。ですから、その孤独さを曲がりなりにも理解しているとおもいます。
そんな私の見る世界や考えをここへ書き出し共有することで、私と同じような人が一人でも自分を許すことができればと思ったのです。

私はまだ人として未熟ではありますが、そんな私でも誰かの助けになれればと思います。


長文になってしまいましたが、ここまで読了していただきありがとうございましました。
当記事をご覧になった皆様、そして私のように社会に生きにくさを感じていらっしゃる皆様の良き日をお祈り申し上げます。

それでは。



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