40代膵臓がんサバイバーです
”膵”という字がいつも書けません
40歳を少し過ぎた頃、膵臓がんが見つかりました。
なんとか手術は間に合い、抗がん剤治療、コロナの時期を経て、現在に至ります。
自分が闘病するにあたって、一番知りたかった情報は…
退院後にどんな食べ物を、いつくらいから、どのくらい食べて、
リハビリをしながら職場復帰や出勤ペースなど、どう進めれば良いのか?
再発した場合に備えて、調べておくことはどんなことか?という事でした。
自分は日記や記録は苦手なので、記事の内容はわりと記憶頼みの、ざっくりな物になりますが、『働く世代』ならではの癌との付き合い方を、書いていければ良いなと思っています。
ちなみに病気になって、膵臓の”膵”という字を書く機会が増えたのですが、
いまだにしょっちゅう忘れます。なんなら平仮名で誤魔化します(笑)
そんな、名前すら書けない膵臓と、自分とのお話です。
…これは、、、食あたり?!
病院へ入院することとなる数日前。残暑厳しい頃でした。
数日前からなんとなく体調の悪さを感じていましたが「ま、気のせい」ってことで、特に気にしていませんでした。
仕事が終わって自宅に帰宅してから、急に妙な腹痛に襲われ、トイレとリビングを往復することとなりました。よく急性腸炎的な症状を、季節の変わり目に発症することが多いので、今回もその類だと思っていました。
なんとか眠りについたものの…
健気にトイレの神様に参拝していたお陰か、なんとかお腹も落ち着いてきて、ベットに入ることができました。
が!!夜中にまたもや強い腹痛で目が覚め、トイレに駆け込みました。
今回はなかなかの腹痛で、そのままトイレの床に寝そべって、しばらく動けなくなってしまいました。
額に変な汗をかきつつ、「救急車を呼ぶべきか?!?」と悩みましたが、「食あたりごときで、救急車呼んじゃあかん〜…」と思い、そうこうしてるうちに症状も収まり、なんとか朝を迎えました。
悪いこと言わないから
翌日、ちょうど休日だったので、朝から近所の病院へ向かいました。
朝の症状は悪くなく、昨夜の往復で体内に残っていた悪いものは、体から出切った感がありました。昨晩から何も食べてなかったのも良かったのだと思います。病院へ行くのは、むしろ念の為という感じでした。
診察室に通され、診察が始まると先生が「?」という雰囲気になりました。その後、ベットに横になりエコー(?)の機械をガラガラ引いてきて診察。
結論としては『悪いことは言わないから、いますぐ大きい病院へ行ったほうが良い』ということでした。
自分としては『え〜?そんな?ホント??』という感じでしたが、先生が嘘をいう意味がないので、かかりつけの大きい病院の紹介状を書いてもらいました。
今日はご家族とご一緒ですか?
急いでその足で病院へ行き、書いていただいた紹介状を提出しました。
この時いただいた紹介状は、大きい茶封筒に入っていて、CD-ROM添付と書かれていました。大学病院への紹介で、何度か紹介状(別の持病です)は書いていただいたことはありますが、こんな大袈裟な紹介状初めてです(笑)…。
内科で受付をして程なく、肝胆膵・消化器科の受付に案内されました。
看護師さんが出てきて「体の具合はいかがですか?座っていて大丈夫ですか?」など、まめに気を配って下さっていました。
待合で待っている程度でこんなに気をかけていただけることは少ないので、
なんとなく『?』という感じにはなっていました。
しばらくして、また看護師さんが出てきて
「今日はご家族とご一緒ですか?」と尋ねられました。
自分は、そんな大層なもんじゃないでしょう〜と思っていたので、「来ていますが、外でお茶しています」と答えました。
するとまた診察室に入って行き、しばらくしてまた出てきて「ご家族は?」と聞かれました。
割とこのくだりを2〜3回繰り返して、さすがに「あれ?!?実は緊急を要する??」と思い、慌てて携帯で家族を呼びました。
つづく
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