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脂肪は「武装」だったかもしれない

太り方って、人によって様々だと思う。
甘いものやお酒がやめられない人。
そもそも食べることが大好きな人。
あるいは、病気や産後のホルモンバランスみたいに、自分ではどうしようもない理由もある。

私の場合、ストレスが一番の原因だった。
受験、卒論、就活という、人生の節目で訪れる高ストレスなイベントに際し、いつも体重が激増していた。そしてそのイベントが無事終われば、あっさりと痩せて元に戻っていく。
太る原因は主に過食で、とにかく高カロリーな食べ物を胃に入れないと、心が落ち着かなかったのだ。あれはもう、食べるというより、胃に押し込むという表現が適当だ。

菓子パン、ケーキ、冷凍パスタ…その他高脂質で高糖質なものたち。それを片っ端から口に放り込み、咀嚼もほどほどに飲み込む。食べている時の記憶はあまりない。美味しかったのか、不味かったのか、味を覚えていない。
ただ、空っぽだった「穴」が満たされていくような、塞がれていくような安心感に、昂っていた気持ちが落ち着くのを感じた。

ストレスに弱く、それが体重に顕著に現れるので、体重の増減が昔から激しい。
一ヶ月で数キロ太り、すぐにまた戻るので、体重のグラフが設計ミスのジェットコースターのような激しい曲線を描く。乗っている乗客は多分Gで死んでいる。

医者でも管理栄養士でもないので、いったいどういう理屈で、ストレスが人を過食に走らせるのかは分からない。
ただ、ストレスと戦っている時の味覚は、平常時の味覚とは明らかに違う。
とにかくカロリー、カロリー、カロリー!が欲しくなるのだ。
息が詰まりそうなほど脂っこくて、歯が溶けそうなほど甘〜くて、血糖値が爆上がりしそうな糖質が欲しい。欲しくて、欲しくて、たまらない。

それは例えるなら、そう。冬の雪山で遭難した極限状態の人が、生存を渇望するのに似ている。
身体に悪い。絶対あとで胃もたれする。太る。肌が荒れる。
そんなのは理屈では分かっている。分かった上で、やめられない。「うるせえ、こっちは限界なんだ!」と次の菓子パンの袋を開ける。
極限まで飢えて乾いていたら、腐った食べ物だって、飲むと命を落とすかもしれない水だって、手を伸ばさずにはいられない。だってそうしないと、どの道死んでしまうのだ。

およそ一年前、新卒で入った役所をやめた。
鳴り止まない電話に、クレームに、寝ても覚めても仕事のことが頭から離れない毎日だった。
就職してから、それまで自炊していたのがめっきり機会が減り、
昼食は近くのコンビニのパスタ、夕飯はスーパーで買ったお惣菜。そんな生活を続けていたので、体重がじわじわ増えていき、生理痛が再び悪化した。当然の結果すぎる。

忙しかったけど、自炊する時間が無いほどの激務ではなかった。
無いのは物理的な時間ではなく、心の余裕だった。
スーパーで食材を買って、下拵えをして、味付けをして、その結果できあがる健康的な食事では、舌がもう満足できなかった。出汁の繊細な味なんて分からないし、季節の野菜を美味しく感じる心も失っていた。

ガツンとした刺激が欲しい。とろけるような甘さが欲しい。今日一日で受けた傷を、「負け」を、取り戻してくれるような。
デパ地下のチョコじゃないと、少し高いスーパーのお惣菜じゃないと、カフェで買う抹茶ラテじゃないと、私はもう納得ができなかった。自分の人生に。
無数に受けたすり傷に塗り込むには、上品な手作りの煮物じゃ薄すぎた。梅酒を片手に食べるカップ焼きそばじゃないと、傷は埋まらなかったのだ。

そう思うと、ストレスが高い時に過食して、その結果つく脂肪というのは、やはり「鎧」なのではないかと思う。
脂肪には、人体の大事な箇所を守るクッションの役割もあるらしい。お腹につく脂肪は、たぶん中に詰まっている内臓を守っている。
じゃあ、過食でつく脂肪は、心を守ろうと武装した鎧?

太ることは甘えだとか、自己管理が足りないとか、そういう考えをする人はいるし、別にそれはそれで良いと思う。その人にとっては、それが真理なのだろう。
ただ、ストレスの高い状況で逃げられないまま、舌が別人になったように味覚が変わり、どんなに理屈で考えても衝動的に食べるのがやめられない、ということを経験してきた私は、結局あれは鎧だったのだと思っている。

戦場で命懸けで戦う戦士が、素っ裸の肉体では死んでしまう。剣の腕に自信があって、目の前の敵を薙ぎ払うことはできたとしても、じゃあ背後から矢が飛んできたら?足元に地雷が埋まっていたら?いったいなにが、そのむき出しの肉体を守ってくれるのだろう。

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