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『卒業』静岡の声

2023年3月16日『先生、こんにちは、お久しぶりです。失礼します』と、言いながら、いつも通り診察室へ入った。

 先生が、『脳波も、全く異常無し!
そうかぁ、もう、あれから1年かぁ。
今日が最後!もう、次の診察は入れません!』と、先生が言った。

『えっ!!』と、驚いた私に、

 先生は、『長かったよねぇ、もう、大丈夫。卒業だよ、卒業!』と、言った。

『私、治ったんだ…  てんかん、治ったんだ』

と、いう思いと同時に感極まって自然と涙が溢れてきた。

 それは、今まで開けた事が無い、重い扉を開いた
瞬間だった。

 泣きながら、『先生、まさか今日が最後の診察になるとは思ってなくて、私、何にも準備が出来てなくて…』と、言った私に

先生は『そんな事しなくていいんだよ。
人としては寂しいけれど、先生としては、治す事が出来た。って、だけで、すっごく嬉しいんだよ』と、言った。

 続けて、『実は先生も、3月いっぱいで、この病院を退職します!』と言うので、

『ええっ!じゃあもう来月はいないんですね?本当に今日が最後になるんですね?』と、言ったら
『そうです!』と言った。

 『先生、長い間お世話になりました。
ありがとうございました。今、ちょっと複雑な気持ちで… 今日は、何時までいますか?』と言ったら

『4時頃までならいるよ』と、言った。

先生に感謝の言葉を伝えた後、診察室を出て、
スタッフステーションの看護師さんに、何人位いるのか聞いた後、他の診察待ちの患者さんもいたけれど、フッと、『人生は短い、他人を気にするな』と、言うゲーテの言葉を思い出し、看護師さん達に大きな声で、
『先程、先生より今日が最後だと言われました。
この病院で、無事にてんかんを治す事が出来ました。もう、私がこの病院に来る事はありません。
長い間、お世話になりました。ありがとうございました』と、感謝の言葉を伝えた。

 待合室にいた診察待ちの患者さん達が、『え〜?!』って、驚いて待合室がざわついていた。

 『ちょっと!あの人、てんかん治ったんだって!』『え?!ホント!!』って、言っていた人もいた。

 会計を済ませ、ホントに今日が最後なんだと思うと、会計の方々にも、『この病院で無事にてんかんを治す事が出来ました。もう、今日が最後です。
ありがとうございました』と言って、病院を出た。

 今までの苦労が、経験になる日だった。

 本当に終わったんだね…
もう、『てんかん患者』じゃ、無くなったんだよ私。
この病院に、通院する事が無くなった。

病院前のバス停で、母親に電話をした。
『お母さん、てんかん治ったよ!もう、今日が最後の診察だって』って。

 母親は、『良かった、本当に良かった。
あんたをこんな病気に産んでごめんね』と、言っていた。

 『もう、治ったんだから責任感じる事は無いよ。
親が生きている内に、てんかんが治った。って、
報告が出来て良かったよ』と、母親に言った。

電話越しに、母親は泣いていた。

 『あんたをこんな病気に産んでごめんね』なんて、それだけ親として責任を感じていたんだろう。

 帰りのバスの中で、『先生は、4時までいるって
言ってたから、百貨店で何か買って、戻って渡す
時間が充分にある!』

 だってもう、本当に最後だから…

 百貨店のお菓子コーナーで、お店の人に
『長い事、病院に行ってたんだけど、おかげ様で治す事が出来て、先生に渡したいです』と、話したら『じゃあ、短冊の形をした小さめの熨斗があるのでお付けしますね』って。

 『看護師さんにも、少し渡したいので小さめのを、もう一箱お願いします』

 『御礼 伊藤』で、お願いします。

少しだけど、お菓子の詰め合わせを買ってもう
一度、病院行きのバスに乗り、病院へ向かった。

再び病院に到着した時には、12時半頃だった。
お昼だったせいか、診察待ちの患者さんはいなかった。
スタッフステーションに、看護師さんがいたので、『先程、先生に診察して頂いた伊藤です。
先生は、いらっしゃいますか?』と、言ったら
『もうすぐ最後の患者さんが診察終わるので…』と、言われ、待つ事にした。

 その間に、対応してくれた看護師さんへ
『私、先生に今日が、最後だと言われました。
皆さんにも大変お世話になったので、少しですが
御礼です』と、言い、百貨店で買ったお菓子を
渡した。

看護師さんが『嬉しいけど、こういうのは受け取れないのよ』と、言うので、『この病院で、てんかんを治す事が出来たの!もう、私がこの病院に来る事は無い!本当に今日が最後なんです』と、言ったら、看護師さんも涙ぐんで、ホッとした表情で、『良かったね。本当に良かった』と、言って、
受け取ってくれた。

 暫くして、診察していた患者さんが出て来たので、『中へどうぞ』と、言われて再び診察室へ入った。

 『先生、お忙しい中、度々申し訳御座いません。
近場で買ってきた物で申し訳ないですが、私からの気持ちです』と言って先生の机の上に置いた。

 先生は、『いいんだよ。そんな事しなくたって、
ありがとう』と、言って、受け取ってくれた。

『先生、私にとって今日は、今までの苦労が経験になる日だと思っています。
だって、1歳6ヶ月から、ずっと通院してきて、色々な人に支えられて、今まで色々な苦労があって、
正直、治るって思っていなかったです。
親も喜んでいましたよ。
先生も、御身体に気をつけて頑張って下さい。
もし、どこかで見かけた時は、挨拶くらいはさせて下さい。
本当に、長い間お世話になりました。
ありがとうございました』と、言って診察室を
出た。

 近くにいた看護師さんが、『記念にこれ持って行って下さい』と、パープルデーの手作りのコマを渡されたので、記念に貰って帰った。

『本当に、御世話になりました。ありがとうございました』と、言って病院を出た。

 完治は難しい、治すと言うよりは発作を出さないように、出さないように上手く付き合っていくしかない。と、言われている『てんかん』という病気。

 『てんかんがある』と、言うだけで
『そういう人とは、付き合えない』って、言われた事もあった。

 発作を見られたら、友達まで失くす事もあった。

 てんかんが、邪魔をして、悔しい気持ちになる事が多かった。

『てんかんさえ無ければ!』って、ずっと思っていた。

偏見と戦う為には、精神的に強くなる事しか無かった。

私には、耐える事しか出来なかった。

 『私の何がいけなくて、こんな病気に!』って、
思う事もあった。

 てんかんを、理解してくれる人なんて、家族と病院の先生くらいしかいなかった。

 一生懸命、治療をしてくれる先生に対して、申し訳なく思う事もあった。

てんかんを、恨んだ事もあった。
どうする事も出来ない自分に、涙を流す日が数えきれないほど沢山あった。

 てんかんを、『隠そう』とする気持ちが、よく分かった。
常に、周りの人達と『壁』を感じていた。

 『どうせ、私なんて…』って、いつも思っていた。

 孤独だった… ずっと、苦しみ踠❨もが❩いていた。
卑屈になる事が多かった。

 てんかんは、私にとって『人生の障害』だった。

この時代を生きていく中で、どうしても、そう
思わざる得なかった。

『現実を直視する心に、本当の理想が生まれる』
                  ゲーテ

 毎日、薬を飲みながらでも、普通に生活が出来る
だけで、良しとしなきゃ。って、ずっと自分に言い
聞かせていた。

 『限られた中の幸せ』を、探していた。

 ゲーテの言葉が、私を慰め癒やしてくれた。

 毎日ずっと心のどこかで、妥協しながら生活して
いた。

薬を飲まなくなる事は、『贅沢』だと思っていた。

私に、そんな日が来るなんて、思ってもいなかった。

 ずっと、『健康』に憧れていた。

治るって、思っていなかったから。
一生、この病院に通院するんだと思って、覚悟を
していたから。

 『涙とともに、パンを食べた事がある者でなければ、人生の本当の味は分からない』ゲーテ

 3月16日は、この言葉が胸に染み渡った。
それだけ、てんかんに苦しめられてきたんだよ。

 でも、もう終わった…  終わったんだよ。

 この精神的な苦しみから、やっと、解放されたん
だよ。

 『人生において、重要なのは生きる事であって、
生きた結果ではない』ゲーテ

自分自身を説得させる為に『病気も、個性だよ』って、ずっと思っていた。

『てんかん』は、産まれ付きだったから、私は、
47歳になるまで、『健康』を、知らなかった。

 『てんかん』と、正式に診断されたのが、
1歳6ヶ月。

それから、本格的に投薬治療が始まった。

先生が、『治療』によって、『健康』へと、導いてくれた。

先生は、『完治』と言うカタチで、
目に見えない『健康』と言う、素晴らしさを、
私に教えてくれた。

先生が、治してくれたから、私は、『てんかん』を『貴重な経験』に、する事が出来た。

私の『笑顔の裏』には、沢山の数え切れない
涙が隠れている。

『もう、病院に戻らないようにしなきゃ!』ね。


私は、47歳にして無事にてんかんを治す事が、
出来ました。

そして、偶然にも先週の日曜日、3月5日は、私の
誕生日なんだよ。

 病院のスタッフステーションが、『パープルデー』に合わせ、ラベンダー色の風船で華やかに装飾されていた。

とっても素敵だったよ。

病院に到着した時は、『何かイベントあるのかな?』くらいにしか思わなかったけれど、挨拶をして診察室を出た時は、まるで私の完治を、一緒に
祝福してくれているようだった。

 すっごく、嬉しかったよ。

しかも、この日は快晴で、雲一つ無い青空が、
私に向かって、『良かったね!』って、言ってくれているようだった。

 先生からすれば、私は患者の一人にしか過ぎないけれど、私にとって、最後の診察日『3月16日』は、
一生忘れられない一日になりました。

 てんかんが治って、不思議と自信がついたよ。

 だって、私、健康になったんだよ!
もう、患者じゃ、無い!

 健康って、ありがたいね。
こんなにも、幸せなんだね。
全てが、バラ色に見えるよ!

 もう、何にも遠慮する必要が無いんだね。
心から笑える日が、やっと、私にも来たんだね。

 長かった…  私、頑張ったよね。
諦めないで、良かった。

 色々な病院を転々としてきたけれど、とっても良い先生に巡り会えたおかげで、適切な治療を受ける事が出来て、『治す事は難しい』と、言われている
『てんかん』を、無事に『卒業』出来たのは、
先生のおかげだよ。

 私に『健康』を与えてくれた先生に、本当に、
感謝だよ。 感謝しかない。

 先生、本当に長い間お世話になりました。
ありがとうございました。

 2023年3月30日、主人の休みを使って、私の実家へ行った。

 行く途中に、車の車窓から見える通院していた病院を、まるで、何も無かったかのように、車で走り
過ぎ去って行く。

 段々と、遠ざかって行く病院に、車に乗った自分を重ねながら、何処か違う『距離』を感じた。

   憧れの健康が、現実になった。

『てんかんさえ、無ければ!』って、ずっと、思っていた自分が、懐かしく感じた。

それは、自分の弱さから来る『逃げ』だった事に、
気付かされた。

『断薬なんて、嫌だ!』あの日、診察室で先生に言ってしまった事を、大変申し訳なく思い、そして、後悔した。

怖かった、あの『断薬の壁』を、無事に乗り越えられたから、今の自分があるんだと、改めて思った。

先生と長い間、一緒に頑張った『てんかんの治療』

『先生の力』を借りて、少しずつ完治へ向かう事が出来た。

私を、応援して、支えてくれた家族にも、感謝しているよ。

私だけが、『治療を頑張った』訳では無い事を、
分かっている。

完治して、5ヶ月後にあった8月27日の先生の講演。

開演前に、『先生、こんにちは』って、挨拶したら、『発作、無いよね?発作、無いよね?』と、患者で無くなった後も、私を気遣い、心配して、何度も何度も、私に聞いてくれた先生。

医者としてだけでは無く、先生の人柄と、優しさを知る事が出来た。

こんなに素晴らしい先生に、治療して貰えていた事を、私は幸せに思った。

『先生を信じて、良かった!先生の患者で良かった!』って、改めて思った。

『治らない』と、思っていた私に、完治と言う
  『希望の光り』を、私に与えてくれた先生。

『とっても良い先生』だったから、てんかんが治った事は、嬉しいけれど、先生との、お別れは淋しいなぁ。


色々な思いが、後から後から、こみ上げて来る。

   せっかく、健康にして貰えたから。

先生のおかげで、やっと、産まれて初めての
『健康』に、なれたから。

   一度しか無い、人生だから。

 いつまでも、治った事に浸っていないで、
 もっと、人生を謳歌しよう!

  きっと、先生も私の『新たな旅立ち』を、
  喜んでくれるよね。

『てんかん』と言う、柵❨しがらみ❩から、心が、
ゆっくりと、雪解けが始まっているのを感じた。

それは、私の人生で重大な出来事に『終わり』を
告げた瞬間だった。

もう、私が病院に行く事は無いけれど、長い間
お世話になったね。

    そして、本当にありがとう!

『ありがとう』って、言う言葉が、今までこんなに、重みを感じた事は、無かった。

おかげで、笑顔が溢れる毎日を過ごせているよ。

『先生、私に健康と言う素晴らしいプレゼントを
 して頂き、ありがとうございました。
 一生、大事にします!』って、心に誓った。

『健康』は、私にとって、強みになった。

 てんかんを治して頂いた、先生への感謝の気持ちで、いっぱいになった。

 改めて、てんかんが完治した事を、両親に報告
した。

 『一番苦労したのは、本人なんだから。
だけど、治って良かった。本当に、良かった』と、親は安堵していた。

 確かに、そうかも知れない。
陰ながら、親はそれ以上に私の事を、心配していたと思う。
親として、責任も感じていたと思う。

 そうでなければ、『こんな病気に産んでごめんね』なんて、言わない。

 今思えば病気を通じて、学ぶ事もあった。

苦しい思いをした後は、その先に必ず成長がある事を、『てんかん』は、教えてくれた。

自分が成長するきっかけを、『てんかん』から貰った事には間違いない。


精神的に強くなれたのも、『てんかん』があったから。
負けず嫌いになったのも、きっとそう。

 悔しい思いをする事が、多かった病気だけれど、
今は、健康の有り難みに心から感謝しているよ。

 何となく、当たり前に過ぎていく毎日がとっても
幸せ。

 宿泊先は、伊豆高原だった。
帰り道に、伊豆高原にある『さくらの里』に主人と行った。

 満開の桜が、歓迎してくれた。
春は、出会いと別れの季節。

 そよ風に舞う桜が、『てんかん』に、そっと、
サヨナラを告げた。

満開の桜は、それを祝福してくれた。

私は、笑顔で貴重な時間を主人と過ごした。

 『毎日を生きよ!貴方の人生が始まった時のように』ゲーテ

 一年で、一番大好きな季節の春が、私に幸せを運んでくれた。

桜咲く、この場所で桜が優しく微笑んでくれた。

自然が織りなす、この美しさを胸に刻んだ。

 そよ風が、優しく私を包み込んでくれた。

別れから始まる、新たなスタート。

 私の、『新たな人生』が、始まった。

そう、全てはこれから、これからだよ。

やっと、手に入れた健康を無駄にしないように、
体に気を付けながら生活するよ。

 生きているって、素晴らしい。
健康って、有り難い。改めて、そう感じた。

 日常の何気ない出来事にも、常に感謝の気持ちが
持てるようになった。

 『以前より、明るくなったね!』って、言われる
ようになった。

この気持ちを、ずっと忘れないでいたい。

 こんなにも、景色が違って見えるんだね。

 『生の歓びは大きいけれども、
     自覚ある生の歓びはさらに大きい』
                  ゲーテ 

私には、結婚した時よりも、『てんかんが治った』歓びの方が、大きかった。

 40年以上も、ずっと苦しんできた病気だから…

 病気より、精神的に苦しかった。

 どうか、てんかんに苦しんでいる全ての人に、
『諦めないで良かった』って、言える日が来ます
ように。

 いつか皆さんにも、苦労が経験になる日が来る事を心から願っています。

 そうそう、私、最後にみんなに言いたい事があったんだ。

    ずっと、この日を待ってたの。

 『ねえ!私、てんかん治ったよ!
         だから、貴方も頑張って!』 


                伊藤みゆき         
                

 

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