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あらゆるものごとに内在するリズム

目を瞑って、呼吸に意識を向ける。吸って、吐いて、繰り返されるリズムに頭部、喉、胸、腹部がすべて連動して動く。心臓の鼓動も、全身を巡る血液の流れも、意識下で働いてくれているその他の臓器も、すべて同じリズムを刻む。私自身を自分の内側の生命のリズムに同化させると、ふわふわしていた意識が引き戻され、心が落ち着く。

調子のよい掛け声とともに、杵を振りかざしては降ろす人と、手元の水に手を浸しては、臼に手を伸ばして白いお餅を返す人とが、リズムよくお餅をついていく。取り巻きには小さな親子連れも何組か含まれる。「まだついていない人は?」母親が背中を押すが、小さな男の子は輪の中心に行くことを嫌がる。促されて、ようやくやる気になったようだ。大人の男性と一緒に大きな杵を持ち、体いっぱいに杵を振り下ろす姿が可愛らしい。向こう側で母親がカメラを構える。周りで見守る人たちも自然と笑顔になる。場が和らぎ、餅つきの掛け声が、一段と大きく、ゆったりとした。そのリズムに乗って男の子が杵を振り下ろして、餅つき終了。場の温かい包容力を肌で感じる。

もくもく絵本を使った「お話ごっこ」で遊ぶ二人の間を滞ることなくエネルギーが流れる。そのエネルギーに押されて、語り手達も、物語も、変化し続ける。語り手達は、お互いから影響を受けつつ、でもそれぞれのリズムを刻む。お互いの波長の合うときもあれば、合わないときもある。徐々に、語り手も、身振り手振りがついて、物語の中に入り込んでいく。何の脈絡もないお話が、お互いの掛け合いの中で思いがけない展開をみせる。誰も、良いものや面白いものをつくろうとしていないのに、お互いが共鳴し合うときに創造の神様が場に下りてくるようだった。

遊び場には、その場にいるひとりひとりを超えた独自の生命がある。ひとりひとりが、場に流れるリズムとエネルギーの循環を作り出しているが、誰一人として、全体の流れに抗えない。

丁寧に教材を読み込みたいパートナーとそれを何らかのアクションに結び付けたい私。お互いの志向の違いを感じつつ、具体と抽象の間を行き来しながら、手探りで進む。二人の異なる観点がうまい具合に噛み合って、議論の内容に深い満足感を覚える。だが、議論の流れと時間の流れは必ずしも一致しない。先に時間が来てしまい、やや後ろ髪を引かれる思いで会を閉じる。後から振り返って、現時点で私たちに必要なことは議論できた、残りは後回しで構わない、と思い直す。

無理に教材に私たちのペースを合わせることはない。なのに、「教材 1」と定められていると、目の前のチームをないがしろにして、どうしても決められた流れに引っ張られてしまう。それぞれのリズムや波長が異なる中で、私たちに与えられた時間は限られている。そのせめぎ合いや折り合いのつけ方が、対立や不協和音になるのだろうか。そんな時、場の発するエネルギーの流れに身を委ねると、行き詰まりも解消できるのかもしれない。

コミュニケーションの基底には、リズムがある。私たちひとりひとりが刻むリズムがずれたり、交わったりしつつ、その場に新たなエネルギーを生み出す。そのエネルギーも独自のリズムで流れていく。言葉のもっと奥深く、お互いの間に流れるリズムに耳を傾けてみよう。

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